Gazing At " Promised Land "

2004度 その六



センター2日目の夜は河合塾など予備校のセンター解答速報をプリントアウトし、各受験生の答え合わせが始まる。ウチの塾は毎年、この高3受験生の答え合わせ、高2や高1に見学させることにしている。性格が悪いと言われればそれまでだ。しかし、来年、再来年の受験に臨む生徒たちに今を疾走する受験生の心の震えや痛み、歓喜、落胆など、受験生の荒ぶる魂の発露を見せておきたい。例年、女の子たちは採点をしながら予想外の答えに泣き崩れる。そんな光景を後輩に見られるとは痛恨かもしれない。しかし今までウチの塾は人から見られる、人の視線を一手に受ける、人の視線に晒される、そんな現場だった。このHPもその色合いはある。人の注目を受けながら見得を暮れるのかどうか。毎年、涙でクシャクシャになりながらの採点を眺めながら、こんな先輩を晒し者にする行事は来年こそはやめようと思う。しかし、この光景こそが来年の受験生にとり最も受験生として価値ある原風景になるんじゃないかと一人ごちる。

今から2年前の東京、俺たちは三田駅近くの喫茶店でその一瞬を待っていた。アキちゃんの早稲田大学発表・・・。一つのテーブルに俺とアキちゃん、アキちゃんの隣に祐輔。早稲田大学はこの年から学内での合格発表を中止した。手段はネットで大学のHPから検索するか、電話越しに無機質の機会音の発表を聞くかのいずれかしかなかった。俺はアキちゃんを車に乗せ、高2の祐輔や橋本などを乗せ東京を目指した。同日、三田の慶応大学では古西の合格発表があった。慶応の合格発表会場へも乗り込めるように俺たちは三田駅近くの喫茶店に篭城したのだ。

アキちゃんが電話をかけた・・・沈黙。「落ちました」と小さくうめき、アキちゃんは机に突っ伏した。机を涙がつたって流れ、床に落ちた。俺は窓越しに通勤客や通学客が通り過ぎる往来を見ていた。祐輔は感情を押し殺したような目でアキちゃんを眺めていた。

祐輔はアキちゃんのことを「山本先輩」と呼ぶ。「山本先輩が僕たちに残してくれたもの・・・あの三田駅近くの喫茶店のあの光景が僕の起点となったと思います。それまでの僕はまじめに勉強さえやっていればどうにかなるさと思っていました。だけど、あれだけ全てを犠牲にして勉強していた山本先輩が落ちた。泣いている・・・あの光景が、僕の高3の1年間を支配した。なまけそうになると僕はいつだってあの時の光景を思い出すようにしてました」

しかしアキちゃんは泣いても男の子だった。俺は男には理不尽大王、しかし女の子にはからきしである。センター2日目の夜の採点、絶叫する男には何ら痛痒を感じなかったが、女の子の泣き崩れる姿には良心の呵責を感じ続けた。そして・・・今夜も。

普段は両家のお嬢ちゃん然とした知早が泣きながら自分の答案をめくっていた。予想外の答に声が引きつった。「どうして・・・どうして・・・、これって本当に生物の答えなん!」 俺は後ろから知早の背中を眺めていた。そして高1の愛と千紗が嗚咽する先輩を眺めていた。高2は・・・誰一人として姿を見せていなかった。

直嗣の名古屋市立は吹っ飛んだ。綾奈は姿を見せてはいなかった。しかし携帯が高3を結んでいる。綾奈の横浜国立も風前の灯のようだと噂で聞いた。菊山は国語はともかく、必殺の英語でこける。物理では「答えを2つ記せ」という設問に1つしか解答せずマークがずれて大問1問をほとんど失った。地理もまた壊滅的な出来だった。大森の立命館の可能性もなくなった。允も立命館大学にすんでの所で届かない。失われたひと月、俺は歯噛みする思いで自分を責めていた。そんな惨状のなかで唯一、拓也だけが奮闘、立命館の可能性が点灯した。

1月下旬の深夜に放映される「センター速報」、沈痛な表情の高3が顔を揃えた。センターで奮闘した拓也の変則4教科入試、都留文科大学のボーダーは前年の75%から85%に上昇。今年から全般的に受験教科が増えて、教科数の少ない大学や変則4教科の大学が大幅にボーダーを上げていた。85%・・・可能性はなかった。

センター速報終了後、大学生と高3が相談しながら出願大学を決めて行く。知早は志望大学の三重大のボーダーに大幅に得点が足らず断念。私立大学に賭けることになる。健太はボーダーちょい浮きの三重大学へ変更。名古屋市立大学の目がなくなった直嗣は変則3教科の大学を探しまわっている。

センター速報から4日語の25日、私立大学の受験が動き出す。ブーちゃんも初陣、近畿大学に臨む。特筆すべきは大森、25日に皇學館、そして正念場は1月31日から始まる8連荘。京都産業3連荘・立命館3連荘・同志社2連荘だった。
センター速報から1週間ほど後、私立高校の受験が始まった。遥だけが私立本命、残りは40日後の公立入試が本命だった。

俺の身体の調子は一進一退を繰り返していた。元来低血圧だったが、寝覚めのままで一日を終えていく。微熱が続き鼻水とくしゃみがやまない。確かに睡眠不足ではあった、しかし少ないガソリンでも走るしかなかった。初めて老化を意識した。

私立大学乱打線のなか、菊山は同志社・慶応・早稲田の布陣で古い塾で京都大学に備えていた。ネックは数学と英語。数学はそこそこに点数が取れるようになってはいたが、まだまだ京都大学の合格点には届かなかった。なにしろセンターでボーダーを大幅に割っていた。この劣勢を挽回するには森下の試算では、数学で5割を叩くことが至上課題だった。京都大学数学は、東京工業大学と並び、日本の理系数学の最難関を誇る。しかしこの数学を攻略することなしに京都大学合格の目はなかった。

私立大学の発表が毎日のように出る。一日で終わる高校入試とは違い、なかなか心の準備ができない。大森が皇學館文学部に合格、知早もコミュニケーション学部に合格した。寺沢は近畿大学に合格したものの、実感があったという本命の関西大学に落ちた。後は南山大学と名城大学が残るのみだった。直嗣は鈴鹿医療大学(国立)に加え急遽、日大を受けることになり上京。東京と三重を往復するかたちで南山大学を受ける。
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