れいめい塾25時2002年前半 2002年後半

れいめい塾戦記

2004年度 その弐



加奈子(津西3年)はこの15期生唯一の女性、俺にすればこの学年と太陽と称していた。何かにつけてウチの塾にはイベントが多い。カラオケ大会やクリスマスパーティ、大晦日の高校生料理対決もあれば高校入試前夜から当日朝にかけての送り出しなど。当然のごとく15期生の料理担当は加奈子に委ねられる。これを加奈子は悠々とこなしてくれた。性格は活発で明るい、女の子を睥睨する同級の男連中も、こと加奈子だけには「カナちゃん」と呼んで親しげに付き合っていた。勉強のほうも高校の勉強も塾の勉強も過不足なくこなす器用さを発揮、桐原の試験などは自転車で塾に到着早々始められるだけの完成度、サラッとミス0でクリアする。申し分のないスーパーレディとも言えた。そんな加奈子の弱点は謙虚なことだった。

加奈子の夢は映画産業への就職、「公開予定の映画の見所などをパンフなんかに書くのが憧れなんですよ」と恥ずかしそうに言っていた。ところが斜陽産業の代名詞ともいえる映画業界、真っ向勝負の就職はきつい。俺が考えた戦略は広告代理店に就職しておいての映画担当。ゆえに志望大学は東京都下の大学、具体的には東京大学・一橋大学・早稲田・慶応といったところ。加奈子の武器は驚異的な記憶力、これを最大限駆使しての東京大学攻略が本線だった。しかし加奈子の最大の弱点は謙虚なこと、ストレートに東大なんぞを錦の御旗を振り回そうものなら「私なんて到底無理です」となるはずだった。そこで一計を案じ、積極的に一橋大学を押す。それでも志望大学欄に一橋の名前を書くことに躊躇する加奈子。ところが1年後期から徐々に成績が伸び始め、津西でトップ10に入るところまで辿り付いた。返却される成績表には一橋大学の文字が違和感なく踊る。後は時期を見て東京大学のネタを振るだけだった。

一橋と東大、それほどの差はない。センターの平均点が落ちる年は、安全策で東大から一橋に受験者が流れ二次試験の難易度では一橋の方に軍杯が上る年もあるほど。加奈子は英数国の3教科のバランス抜群、高3にかけて社会や理科も器用にこなすように思われた。しかしネックは一橋の文系最高峰と評される数学、なにしろ医学部志望の生徒が力試しに挑戦するレベルの問題が並ぶ。この一橋数学を加奈子がどう攻略するかが加奈子の大学受験における最大のポイントではあった。そして俺の出した結論、一橋数学とは勝負しない・・・。高3までは一橋で加奈子を引っぱるだけ引っぱり、土壇場で東大へとシフト。東大の数学なら一橋数学に比べて素直なだけ、加奈子には勝算がある。しかし津西で2位にまで上り詰めた加奈子ではあったが、東大勝負を高らかに叫ぶには余りにも時期が早すぎた。俺の試算では勝負の趨勢を決めるのは高3の夏休み、一橋数学をぶつけてみてなんとかしのげれば一橋で勝負、勝負にならない場合は強力に東大シフトをプッシュする。熟慮に熟慮を重ねたこの流れ、俺は加奈子が高2の秋頃に到達した。ところが一転、加奈子は塾を辞めてしまうことに・・・。

加奈子がウチの塾に抱いていた不満は時間のルーズさにあった。医学部の講師は研修病院の都合などで授業が潰れることもあり、京都から週に一度やって来る大西君の「大西タイム」と揶揄されるルーズさも拍車をかけた。そして俺がウチの娘たちのだらけた勉強に腹を立てて家で娘たちを怒り始めたことから急遽、英語の授業を切ったことが引き金となったようだ。

母親と姿を見せた加奈子に俺は土壇場で東大にシフトする戦略を語った。塾を辞める以上は今しか加奈子に話す機会はなかった。加奈子の反応は予想通り、目を丸めて言い放った。「そんな、東大なんて・・・私には無理です」「1年前にはオマエさん、一橋大学で勝負やて俺が言った時も同じような表情をしたよ。だけど、この1年で自信満々に一橋大学って志望大学の欄に書けるようになったやん。自信を持てよ、俺が東大まで勝負できるって言う以上は絶対にできるねん。菊山を見てみな、加奈子と同じように1年前に京都大学までならいけるって言ったのに、1年ほど拗ねててんで勉強しなかった。しかし何がきっかけなのか、人が変わったように勉強を始めた。いろんなきっかけはあったと思う。古西とのミスキャストも絶品やったし、この冬休みにやった英語のセンター過去問で菊山にとっちゃ始めて加奈子に勝った。あの時の菊山の嬉しそうな顔を見た? まあ、加奈子はちょっと悔しそうな顔をしてたけど」「だって菊山君はよくできるから」「そりゃ違う、ポテンシャルはあるだろうけど、それを引き出したのは俺じゃない。ウチの塾の環境さ、具体的に言ったら加奈子の絶妙のアシストかな。俺はさ、この学年を『太陽の加奈子、月の菊山』っていう布陣で乗り切りたかったよ。加奈子、今は笑い話にしてもいいけど、絶対に思い出せよ。一橋から東大シフトを・・・」

ウチのアホな娘たちのために俺は中学の頃から大切に育ててきた宝物を失った。そしてこの学年を「太陽の加奈子、月の菊山」と標榜していた俺は頓挫。加奈子とのせめぎ合いで偏差値70に到達していた菊山の、ライバルが皆無の「一人旅」が始まった。

立命館宇治高と津高との狭間で漂う陵に俺は何もアドバイスめいた台詞を吐かなかった。ただ、「今はまだ決めるな。即断はするな」 それだけを御まじないのように唱えた。全県模試で陵の成績は落ちていた。2学期前半の勉強スタイルは昔に戻っていた、週に3回・・・、これでは成績が下がるのも当然だった。しかし俺は何も言わなかった。言わないことで、今回の選択が陵の人生にとっていかに大事な局面であるのかを分かってほしかった。本音を言えば津高、しかし陵には一切口をつぐんだ。しゃべりの俺にしてはよく頑張った。そんな頃に陵の親父から兄貴の話が会話にのぼる。

陵の兄貴、隼人は三重6年制の5年。大学受験まで1年少々だが、成績のほうは悲惨の一言に尽きた。親父さんの考えでは陵と入れ替わりに6年、すなわち高3進学時からウチの塾に入れることを考えていたようだったが、商売っ気のない俺にしては珍しく積極的に打って出た。「どうせ春になったら入れてもらえるようならば、この冬休みあたりから入れてもらえませんか」

高3の1年では私立3教科ならともかく、国公立までは届かない・・・。これが俺の実感だった。知早(津東3年)がいい例だった。知早がウチの塾に入ってきたのは去年の4月、そして志望大学は三重大学。ポイントはそれまでの各教科の完成度、しかし英検準1級の英語を除けば、受験生とは 言いがたい仕上がりばかり。特に数学が全くといっていいほどの出来で講師の古市(三重大学2年)が正真正銘の鬼となった。唯一の得意教科の英語も英検のような物語文はそこそこできたが、大学受験の本線である論説文読解は壊滅的な出来だった。論説文特有の抽象語を全く覚えていなかったのがその理由。入塾早々、ターゲット1900からスタート。しかしながらなかなか覚えられない。高校受験期の研ぎ澄まされた記憶力の良さは完全に陰をひそめ、享楽追求型の2年間が記憶力を完全に磨耗させていた。これは知早に限ったことではなかった。1年前の花衣もまた、高3進学時に塾にカンバックするものの、歌を忘れたカナリア・・・高校入試の頃の切れ味はボロボロに錆び付いていた。あの頃のテンションを取り戻すのに最低ひと月はいる。中学からの叩き上げは高3進学とともに毎日7時間ほどの勉強量をこなしている一方で、花衣は3時間ほどで奇妙な優越感に浸っていた・・・「私ってよく勉強してる」 確かにそれまでの享楽追求型の生活から見ればよく勉強しているわけだが、低レベルの陶酔感でしかなかった。久しぶりに受験生のフィールドに足を踏み入れた生徒の場合、この奇妙な自己満足から一刻も早く脱却することが不可欠となる。かつてウチの塾で午前5時には塾に来て勉強していた経験を持つ花衣ですらが、楽しい高校生の呪縛から解き放たれるのに数ヶ月要している。

1年前に花衣で演じた苦戦を糧に知早に臨むものの、ウチの塾と初遭遇ということもありなかなかリズムに乗れない。それにつれて古市の顔がひきつる。

同時進行で知早と格闘していた俺は、来春から隼人と同じようなランデブーに付き合う気は毛頭なかった。できれば高2終了時までに最低限の基礎を固めておきたかったのだ。具体的にはターゲット1900の1〜1500まで、桐原2章のイディオム、古典単語、古典の用言&助動詞の活用表といったところ。このあたりの腹筋を徹底的に鍛えておきたかった。そしてもう一つ・・・、今の段階では立命館宇治高か津高か、どちらに転ぶか分からなかったものの、万が一津高に進学した場合を想定していた。三重中受験に合格した頃の兄貴ではなく、怠惰な5年間で嫌と言うほど打ちのめされた隼人のこれからウチの塾で過ごす1年間を陵に見せておきたかったのだ。

隼人の壊れ方は予想通り、現状の三重6年制の危機を具現化していた。まずはターゲット1900を最初から、毎日高校の帰り道にウチの塾に寄らせ少しずつ少しずつ英単語を覚えさせていった。そして見事になぞっていく過去の先輩たちとの同一症候群・・・覚えたものの、すぐに忘れる。英単語の順番を変えさえすれば、一瞬にして元の木阿弥、灰塵に帰す。それでも毎日、隼人とのタッグマッチは続いた。古西の英文法の授業にも出始めた。そこには年功序列なんて平和なものは皆無。やった奴が、覚えた奴が勝つという当たり前でいて、年上には残酷な空間だった。綿々と下級生に負ける日々が続く。塾を辞めるかもしれない・・・そんな俺の視線を撥ね返すかのように、隼人はウチの愛(津高1年)や竜神(津高1年)、さらには三重6年制の下級生でもある岡(4年)にも負け続けた。恥ずかしくないはずはなかった。それでも隼人は授業に出続けた。それでも隼人は負け続けた。

1階で繰り広げられる負け続ける兄貴の話を、俺は陵にしつこいほど語った。受験から逃げない、嫌なことから逃げない兄貴を語った。陵が一人の時にも、中3全員にも、俺は隼人の“今”を語った。隼人こそが大学受験、高校受験を問わず、受験そのものだった。

曲をかけるのを忘れたディスクジョッキー、果たしてこれが処方箋となったんだろうか、陵の志望高が決まったと親父さんから連絡が入った。津高受験・・・俺は胸の高鳴りを意識しないように心がけた。長い長いパンクラチオンロードのうちの、一つの橋を渡ったにすぎない・・・誰もいない廊下の踊り場で俺は一人ごち、タバコの煙を追った。陵の約束の地、プロミスド・ランドを巡る3年間が始まろうとしていた。

隼人だけではないが、私立6年制の生徒に宿る奇妙なプライド・・・6年制に行ってる以上はいい大学が当たり前。隼人の志望大学を俺は同志社と立命館に設定した。下宿を当てにしている隼人の叔母さんが京都府の城陽市に住んでいる。陵の立命館宇治高という選択肢も、この叔母さんの家に下宿するという条件から導き出されたものだった。隼人の大学を考えると、城陽から通学可能な大学に限られた。そして6年制を満足させる大学ともなると、やはりこの二つしかなかった。

同志社と立命館・・・今年、大森(津西3年)と拓也(高田U類3年)と允(浪人)がシノギを削った大学でもあった。

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