れいめい塾25時2001年

れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾 れいめい塾発「25時」 

2001年2月24日号


 14日はバレンタインデー。塾内の女の子達、小5から高2までいろんなチョッコリットをもらった、この場を借りて感謝しておく。しかし少々重いチョッコリットもあった。前日久しぶりにNのお母さんが姿を見せた。Nは3年前にウチの塾からセントヨセフに合格、今は塾を続けていない。沈痛な表情で話してくれた内容は以下のごとし。

 「担任の先生から呼び出しを受けて学校へ行ったんですが、どうも学校をやめてほしいと・・・。はっきりとそう断言されたんじゃないんですが、さかんに匂わせているなと・・・。娘は前々から素行の問題でちょこちょこと注意は受けていたんですが・・・。なにしろ突然で、学校をやめるにしても今の時期、私立高校の受験は終わっていますから後は公立高校しかない。内申もまた提出物を出す出さないとかで良くないんです。でも、今度は今までと違って学校側の態度は極めて強固なようで、『娘さんの居場所はこの学園の中にはどこにもない』とか、『このままセントで高校生活を送る以外にも娘さんのためになる選択肢があるでしょう』とか・・・。クラブでも楽器が演奏できないらしくてお荷物の状態に置かれているようで、『勉強でもついてこれない、クラブでもついてこれない。もう、あなたの居場所はないのよ』なんて言われて・・・。確かに勉強面では家でちっともやらないツケが溜まったとは思うんです。数学なんかよく分からないと言ってますし。このままでは高校に進学しても皆についていけないかもしれない。となるとシスターのおっしゃるように”新しい選択肢”を探したほうが本人のためかなと・・・」

 俺からのいくつかの質問、「昔、俺が教えた時は算数や理科で点数を稼ぐタイプだったと思うんすけど」 「でもセントに入学後は予習や復習をすることなく過ごしたので、成績も落ち気味で・・・」 「しかしセントも今の時期に『やめろ』とは言えないでしょう。私立入試も終わって後は公立を残すのみ・・・もし強制的な行使とでもなったら、それこそこの世の中には神様はいないですよね」 「はっきりと『学校をやめろ』とは言いません。でも昨年暮れから幾度となく『あなたは勉強ができない』『みんなからあなたは浮いているわ』『クラブでも楽器がひけないようならあなたの居場所はないわ』などと・・・。当然娘にも良くないところもあり、提出物を出さないとか、授業中に居眠りしたりとか、・・・でも今回は娘も懲りたようで『もう一度やり直したい』と言ったんですが、やはり学校側の態度は辞めさせようという意思が強いようで・・・。先日、娘が『もう死にたい』と言うに及んでは、私たちも学校の意向を汲んで公立高校を受けさせようかと・・・」 「でもその様子だと彼女、かなり内申悪いですよね」 「ええ・・・、2学期の数学は提出物を出さなかったから数学の評定欄が空白になってましたし・・・」 「おもろいガッコですね、空白の一日ってね。ぶっちゃけて10段階評価で40くらいですか」 「・・・ええ」 「となると白子か、稲生あたりかな・・・。ウチの生徒は受けないもんで正確なところは分からないですけどね」 「こんなこと言うのは身勝手だと重々承知しています。せっかくセントに入れていただいたのに、いつの間にか挨拶もせずに塾をやめてしまって・・・」 思い出した、確かに挨拶もなく塾に来なくなったっけ。でも、最近はこのケース多いよな。所詮、塾なんて生徒達から、父兄から裏切られるなんて珍しいことでもない。ただ、生徒はともかく親が輪をかけて規範の観念に薄い。最悪なパターンはお父さんが警察でお母さんがピアノの先生。この取り合わせの子供、一言の相談、挨拶もなく塾に来なくなるし、それに対するアクション、親サイドからも一切なし。親にこそ躾が必要・・・このNだけじゃない、以前にもそんな生徒が2人、不思議なことに揃ってピアノと警察のドッキング。この類似って何やろ。つまりは世紀末究極の取り合わせ?

 「僕はこのままセントにいるほうがベターだと思います。内申がない状態で公立を受けたとしても合格可能性のあるのは白子か稲生あたり・・・彼女が馴染めるかどうか」 「では、先生から公立受験が厳しいことを話していただけますか」 「・・・いいですよ」 3年前、なんとかセントに合格させようとアノ手コノ手を駆使した生徒でもある・・・話をするくらいならいいか。

 15日、約束の時間から30分ほど遅れて母親に連れられてNはやって来た。このあたりなんだよな・・・規範が・・・俺は髪の毛をかきむしりながらポツポツと公立入試の内申と白子や稲生の高校の様子について話し出した。午前中に知り合いの塾の先生のところへ電話をかけて高校の概略は聞いておいた。Nは黙って聞いていた。3年前に比べてふっくらしたような・・・顔のニキビが年月を感じさせていた。「でもな、なんでこの時期に学校側は頑なになったんや。いくらセントには神様がいなくても、普通やったら2学期、10月か遅くて11月くらいが最後通牒や。退学に追い込んでも後の私立入試や公立入試を思いやるくらいの度量、悪魔でも持ってるで」 「この連休、シスターから3日間朝から晩まで勉強するように!って言われたんやけど・・・」 「それで?」 「3日目にクラブの演奏会を見にいったのがばれて・・・」 「なんやそれ、オマエが悪いんだろうが」 「まあ、そやけど・・・」 「結局はさ、確かにセントの出方はきついけどネタを振ったのはオマエやん。学校側が切れたんもそれ相応の理由もあるやろ、オマエってさ、小学校から変わらへんとこあるで・・・マイペースなんや。そこんとこ変えようちゅう意識持たへんだらどこへ行っても同じやで」

 今日は今井(鈴鹿6年制)の上智大学の発表。手応えがないとは言っていたが携帯に連絡。「やられました」という今井の声はそれほどの落胆を感じさせるものではなかった。「いいやん、俺は上智は嫌いや」 「ははは」 「上智とか慶応とか上品なガッコは嫌いや」

 この日、清原(南山大学4年)が名古屋大学院試験を受けているはずである。

 寺田(津西3年)と今井が姿を見せパソコンで慶応大学理工学部の解答をプリントアウト。開明学院の成績がアップしたとの報告を知らせに甚ちゃんがたまたま姿を見せていた。「先生、どうも慶応は落ちるような・・・」 「そうか寺田、これで東京工業大学一本で勝負か! カッコええやん、ラスト一発で逆転やで」 「はは」 横合いから上智で一発食らった今井、「俺ら、決してそんな状況なんて望んでやってへんのにな。いつだって全力勝負やってんのにな」 これには甚ちゃんも苦笑い。

 深夜、寺田から電話。何事かと思いきや、「先生、やはり落ちましたね」 「落ちたって慶応か?」 「ええ」 「・・・あのな」 「数学が大コケです、2割ですね・・・」 「2割ってあんた」 「それと英語が5割かな、・・・物理が7割」 「あんたな、えらい冷静に分析やってんねんな」 「いや、ご報告だけでもと」 「あのな、最後の一発でピシッと決めるくらい言ってよ」 「ははは、分かりました。決めますよ」

 16日、午前7時50分。古西は近鉄特急に乗り込み東京へと向かった。見送る者は偶然津駅に居合わせた花衣(津西国際1年)と隆哉(津西2年)の2人。この話を後で聞いて俺は高2に不信感を募らすことになる。あれだけ慕っていた先輩の晴れの門出・・・前回の上智大学での上京は俺が見送った。しかし今度の本命・慶応への旅立ち、ウチの高2なら遅刻覚悟で見送りに来るだろうとの判断。見事に崩れた。見損なったわい! 最低やで、ウチの高2!

 開明学院へ日曜テストの成績を取りに行く。惨憺たる成績だった。菊山は津高の合格圏にはいるものの、津西を狙う香奈子はボーダー、直嗣と大森になると合格圏やらボーダーから逸脱、完全なる一人旅。去年の学年に比べて今年は1枚も2枚も落ちるというのは俺が一番理解しているが、これほどとはね・・・。しかし今年の展開はこれしかなかった。直嗣と大森がいち早く津西を志望したことから内申を貯める勝負となり、この1年間ほとんど中間期末に追われて実力を磨く余裕がなかった。全県模試などの一般模試も一切受けなかった。途中で自信を無くしてほしくなかったからだ。勝負はラスト1カ月、模試は私立終了後の開明学院が実施する日曜テストだけに絞っていた。ここでマクる!・・・これが俺の描いた作戦。オーラスの親での連荘・・・タイミングを測ったうえでのリー即ツモ!これしかない。とりあえずは高田U類攻略まではたどり着いた。しかし予想通り記述対策が十分でないウチの生徒達、苦戦を強いられることになった。だが中学側との三者懇談で志望校は旗幟鮮明、津西で突っ張った以上はすでに戦端は開かれている。この4回に渡るROUNDの中、実践形式で仕上げていくしかないのだ。

 Nが来て勉強している。俺は去年の三重県入試問題をさせてみた。数学がなんと50点中10点、英語26点、社会と理科も20点ちょっと。なんとか国語だけがかつての片鱗を伺わせる出来?の40点弱。壊滅状態・・・少なくとも今、公立入試に臨もうとしているウチの久居高志望の面々より数段落ちる実力。「なんのために私立中学に行ったんや」 思わずグチが出てしまう。

 Nの母親が俺に言った。「どうでしょうか?」 「・・・かなり壊れてますね」 「家族で相談した結果、白子や稲生ではちょっと・・・、ここはダメモトで久居高を受けさせようかと・・・」 「もし落ちたらどうするんですか?」 久居高なんてレベルじゃない!と言いたかった。「もしそうなったら、浪人して・・・来年は津高を受けたいと娘が言うんです」 「僕は頭を下げてでも、土下座してでもセントにいられるものなら、続けたほうがいいと思いますけどね」 「ええ・・・でも『死にたい』とまで言った娘の気持ちを考えると・・・。ともかく明日は父親といっしょにセントに行くつもりです」

 ウチの生徒で警察官になった奴には必ず言うつもりだ。「ピアノの先生とだけは結婚するなよ」と。そしてピアノの先生になった生徒にも言うつもりだ。「警察官とだけは絶対に結婚するなよ」と。

 波多野から携帯に電話。「先生、明治学院補欠です」 「補欠か・・・」 「でも、去年は補欠は全員が合格してますから」 「そりゃ良かったな、波多野」 「いや、今年はどうなるか・・・」 「で、今日の本命の明治は?」 「英語が8割弱・・・」 「スゲエじゃん、すると日本史でコケたか?」 「いえ、日本史も簡単で・・・7割くらい」 「アンタ、日本史簡単ていうて7割はないだろ。となると国語でコケたか?」 「なんか、人がコケるのを期待してるみたいですね。・・・いや、国語は分からないです・・・実感がない」 「となるとチャンスはあるな」 「・・・なんとか」 「発表が待ち遠しいってか」 「少しだけ・・・」

 翌日の17日は古西のラストマッチ・慶応大学経済学部入試。しかし中3が一挙に沸騰、深夜まで記述問題を解きまくる。家に送るのが深夜3時モードに突入。津市内から久居西、嬉野までを駆け回り塾に戻ってくると午前5時前。このまま古西に電話するために徹夜となる。俺は英作文のプリントをパソコンで打ち始めた。

 午前8時、そろそろと古西に電話しようかと思っていたところへ電話。「おはようございます」 「元気そうだな」 「先生、寝てた?」 「ああ、熟睡中だったよ。起こしやがって」 「やっぱりね」 「・・・やっと来たな」 「ええ、やっと・・・ね」

 午前10時、慶応大学経済学部の入試が始まる。同時刻、京都ではサバに当たった正知が龍谷大学の院試に臨む。 

 昼過ぎから中学生達が姿を見せる。三重中の岡にNのことを話す。「私立に受かってもな、勉強せんかったらNのようになる。今の彼女の内申では白子や稲生あたりや。そして実力もそのクラスや。いったい何のために私立中学へ行ったんやろな」 珍しく、岡が殊勝な顔をして聞いていた。この日以後、岡は毎日のように塾に姿を見せることになる。 

 勝者から学ぶものもあれば敗者から学ぶものもある。ウチの塾では全てをさらけ出す。それでもNの名前はイニシャルにしておいた。イニシャルというラップでくるんだからといって生臭さを薄れさせる気は毛頭ない。だから俺は何度も何度もしゃべりまくる。私立中学の存在意義とは何なんや? 

 午後8時、俺は波多野の携帯へ連絡。波多野は新幹線の中で取った。雑音が激しい。横に古西がいるという。「どやった?」 「難しかったですね、手も足も出ない・・・」 「となると昨日の商学部が勝負か」 「ええ」 「古西は?」 「横にいます・・・」と言いつつ沈黙。トンネルにでも入ったんだろう。何度か、切れ切れの連絡で古西の声が聞こえる。「こけたわ・・・試験問題、ゴミ箱へほったったわ!」

 携帯では今日は家に帰ってゆっくりすると言っていた古西、午後10時前にドアを乱暴に開け教室に入ってくる。姿を認めた後輩達が挨拶するものの無愛想極まりない。落ち着きもない。そわそわしている。パソコンを稼働させてヤフーから不動産を検索している。成る程・・・さっそく下宿探しかと一人ごちる。「どこで探してるんや」 上智大学は四谷にある、慶応は横浜だ。画面を見ると四谷界隈を検索中である。「四谷か・・・」と言うと、「ちゃうちゃう、横浜に住む気は十分あるんやけどな・・・、俺のほうは十分その気満々なんやけどな、こればっかりは俺の都合だけでもアカンしな・・・」

 1階の教室のアキちゃん(久居高2年)と功樹(津東2年)をつかまえて尋ねる。「古西、試験のこと何か言ってたか?」 「いえ、べつに」とアキちゃん。「こけた、とか言ってへんだ?」 2人とも顔を見合わす。「べつに・・・」 「そう・・・、やっぱ後輩には辛いこと言えへんのかな」 「古西先輩、ダメだったんですか?」 「うん・・・数学でやられたみたいやな」 「・・・」 「今までの慶応模試、ほとんどA判定やけどな。やっぱ受験は何が起こるか分からんわ」 「でも、まだ結果は分からないじゃないですか」 「そやけどな、アキちゃん、あの自信家が試験問題をゴミ箱にほってきたんやで! 勝負は見えてるよ」 「じゃあ、27日の合格発表には行かないんですか?」 「行くよ。結果は関係ない。小論文勝負というワケの分からん戦略を立てやがったけどな。地道に国語で勝負してりゃ上智で8割叩けるだけの実力を持ってる奴や、もっと違う展開、絶対に慶応に行きたいのなら他学部も受けれたはず。でもな、今年のウチの主役であるアイツが選んだ道や、結果がどうあれ見届けるのが俺の責任やな」 「・・・」 「確か上智大学の発表も今日やけど、結果聞けへんだわ」 「上智大学は合格したって言ってましたよ」 「え! そうなの・・・俺にはそんなこと一言も言ってへんで。それとな、高2も受験まで1年を切った。志望大学を出すように全員に言ってくれ。大学名だけやないで。センター教科と二次試験の教科、配点率なんかの情報も付けてな」 「わかりました、期限は」 「今日・・・はしんどいな。明日中でどや?」 「はい、全員に伝えます」

 2階の教室に戻った。古西は依然変わらずパソコンの画像に見入っていた。後から覗き込むと画像は横浜日吉周辺のマンション情報を映し出していた。慶応大学合格発表、2月27日・・・。

 18日、中3は開明学院でのROUND−2に臨む。また、直嗣・大森・拓也の3人は鈴鹿高専入試。しかし俺の頭には鈴鹿高専より開明さんとの一戦のほうが興味がある。今日の試験は去年、佑輔(津高1年)が2位を取った試験。つまり菊山と佑輔の差がどの程度まで縮まっているのかが分かるわけだ。

 佑輔は今回の津高実力テストで英語では学年順位27位、数学では5位という成績を叩いた。国語は分数にすると限りなく1に近くなる悲惨な順位ではあるが・・・。菊山と佑輔は俺が見る限り同タイプ。菊山が津高に合格したら佑輔の背中を追いかけることになる。

 午前10時、中2の秋田真歩が姿を見せる。試験まで8日、試験体制に入ったわけだ。このあたりがこ奴の恐いところだ、自分で計画を組み試験に臨む。昨夜も塾にやって来たが機嫌が悪かった。また家でケンカでもしたか?と思いきや実力テストの成績が返却、あまりの悪さで落ち込んでいるとのこと。で、試験問題を見てみると総合順位で2位。「これのどこがアカンねん?」 「だって英語でmust not の短縮形が書けなくって・・・、数学も1番の計算問題、2問も間違ってるし」 「そりゃオマエがアホなだけや。まあ次は気つけるこっちゃな」 この怒りのリズムが今日の午前登場の布石となったわけだろう。真歩の試験直前の指定席は教室の片隅のコンピュータの机。周りが本棚で隔離された一角、ここだと誰かと話すこともない。この横50cmほどのウサギ小屋ならぬネズミ小屋で真歩は勉強する。

 佐藤に電話。「元気でっか?」 「うん・・・」 暗いな・・・、「どやった?私立のほうは」 「アカンだ」 「北里も酪農もか?」 「うん、・・・で大阪薬科大学を受けたんやけど」 「薬科!」 「うん、それはまあ合格したんやけど」 「薬科ってアンタね、一体この1年何をやってきたんや」

 正知に電話。「どやった、院試」 「・・・どやろな、できたのもあるしコケたんもあるし」 「何教科や?」 「3教科、英語と専門と第二外国語」 「オマエ、第二言語何取ってるねん」 「ポルトガル語」

 村田君が明日一番で教授にレポートを提出するとかで塾にやって来てはパソコンからプリントアウトしている。「阿部は関西大学、ダメだったみたいですね」 「そうか・・・まあ、数学の出来が悪かったって言ってたからな」 「古西は?」 「古西も長い受験人生も昨日の慶応で全て終了や。そして明日は今井が早稲田へ最後のツアー。古い塾に残るんは弘と寺田の2人だけになるね」 「といっても二次まで・・・」 「あと1週間やな」 「本当に最後ですね」

 大森が悄然として帰ってくる。「どやった、高専?」 「理科が・・・」 「そりゃ高専だからな」 「あとは何とか・・・」 「心配せんでもいい、落ちてるわ」

 真歩は結局夜9時頃に帰っていった。約12時間も勉強していたことになる。ダンプカー真歩、再び付属のトップ奪還に臨むってか。

 今井がやって来た。「明日から東京です」 「アンタも最後やね」 「ええ」 「永かったんか、短かったんか・・・」 「そうですよねえ」

 深夜2時、大森と橋本(高田U類1年)を送った帰りに古西の家の前を通ってみた。1階のリビングにはまだ明かりがついていた。車を止めエンジンを切った。たぶんリビングでテレビゲームでもしているんだろう。静寂・・・タバコに火をつけた。窓から忍び込む空気には春の匂いが漂っていた。ルーフ越しに見上げると満面の星・・・。中3の受験期、深夜毎日のように古西を送ってきた。BGMは浜田省吾の『イメージの詩』 吉田拓郎のデビュー曲のリメイクバージョン。

 古い船には新しい水夫が乗り込んでいくだろう 古い船を今、動かせるのは古い水夫じゃないだろう 

 車の中ではいろんな話をした。そこにいたのは中2の時に成績が下がって無理矢理ウチの塾に入れられた被害者意識旺盛のひ弱な古西ではなく、最もウチの塾生らしくなっていた古西だった。あれから4年、事あるごとに俺は古西に話し続けてきた。しかしこれから古西は異郷の地で暮らす・・・。俺は2本目のタバコを吸い終わりエンジンをかけた。

 新しい塾に帰り1階の教室の黒板に以下のように書いた。

 『志望大学の報告すら忘れるようでは古い塾を使える器量はない。自分に厳しくない奴に古い塾は使いこなせない。古い塾は今年で潰す』

 19日、西郊中の大森と菊山の三者懇談で中3全ての懇談が終了した。今回の三者懇談で興味を引いたのが久居西の指導だ。久居高の倍率は現時点1、57倍。これが1.1倍程度になるという。どんな根拠があるのか興味津々なのだ? そして拓也の懇談、内申がないことから「どうせ内申ないんやから津西で勝負しろ」 拓也がウチの塾に来たのは広告の作文に書いているように300点を切ったからだ。しかし教えてみて俺は、津西までなら勝負できるとの確信を抱く。以後、何度も拓也に説得するものの本人は津東に固執する。別段津東に愛着があるわけでもなく、津西は進学校やからシンドそう、津東は楽そうてなノリだと思われる。鈴鹿V類を担任から勧められても0〜7限授業に恐れをなしてU類で受けたくらいだ。直嗣や大森のように初期の段階から津西を目指して内申を着々と積み上げてきたわけではない。このパターンが一番やっかいなのだ。自分に才能があるのに身体を引いてしまう生徒がウチの塾ですら増えちまった。直嗣・大森は1年以上もの準備を費やしてきた。そして高田U類を攻略、とうとう最後の牙城に迫る。しかし拓也の場合は担任主導の津西勝負。拓也もまた高田U類に合格したことが今回の方針変更の主要因と思われる。大学進学を考えれば津東より高田U類の方が有利なのは認める。しかし・・・何度も何度も念押しをした・・・津東でいいと言い張った。急転直下の津西変更。俺は無力感に打ちひしがれ久しぶりに酒をあおった。

 高2が雁首揃えて志望大学を報告しに来た。アレドナリンが逆流するのが分かった。功樹(津東2年)が申し訳なさそうに言う。「先生、志望大学の報告遅れてすいません」 そして全員の志望大学名を書いた紙を渡す。功樹・大阪府立、アキちゃん(久居高)・早稲田、隆哉(津西2年)・信州大、砂山(津高)・横浜国立大! 村瀬(津高)・横浜国立大! 「砂山に村瀬! こんなんやったら今でも受かるわ! わざわざ古い塾で身体を削ってまで勉強する必要ねえだろ! 特に村瀬、今年の広告で何を書いた! 今までの先輩に負けないよう勉強する? 言うんは簡単や。でもな、今までの連中以上にやるちゅうことは横国のボーダーなんぞ遙かに越えるわい!」 

 脳裏に津駅のプラットホーム、古西が特急のドアをくぐる。見送る者は隆哉と花衣。セピア色の久居駅・・・仲が悪く古い塾でケンカばかりやってた邦博(日立建設機械)と越知(旭洋)。邦博の早稲田受験での送り出し、雪が舞い散るなか歩いてきた越知。俺はニヤッと笑って叫んだ。「どないした? 邦博とは犬猿の仲のオマエが・・・」 「いや、どうのこうの言ってもクニは今年のウチの主役ですからね」 

 あの時の越知の照れたような笑顔を俺は一生忘れない。高2に怒りが爆発した。恐れをなしたのだろう、気がつくといつの間にか中学生の姿は霧散していた。

 砂山が再び姿を見せて一枚の紙を手渡した。そこには「東京工業大学5類・砂山」と書かれてあった。

 深夜、中井登場。「先生、志望大学の報告です。遅れてすいません」 この時には怒りは冷めていた。「オマエはどこや」 「青山学院・・・」 「青学か、サザンのファンか?」

 午前3時、菊山と直嗣を送っていく時にまだ1階の教室に明かりが付いている。ドアのガラス越しに覗くと村瀬が大学リサーチの冊子をめくっては虚空を見上げていた。 

  20日、今井の早稲田大学受験が政経学部からスタート。

 この日はアキラの立命館大学の合格発表。しかし昼を過ぎても連絡がない。シビレを切らした俺はアキラのオヤジの携帯に電話。「アカンだんちゃうかなあ、自分の部屋に入ったきり出てけえへんで」 受験生を持つオヤジとは到底思えない気楽さで答えやがった。クソオヤジが!

 今井から電話。「先生、インターネットで早稲田の政経の日本史の解答が出たら連絡してくれませんか」 「どやった、初遭遇は」 「いや、太刀打ちできない・・・ですね」 「あのな、オマエ一応は早稲田模試で政経C判定出てたやん。何を弱気なこと言うてるねん」 「それが、やっぱり・・・次元が違いますね、商学や社学とは」 「じゃあ、なんで解答いるんや」 「政経の出題傾向が他学部でも影響があるようなんです」 「・・・わかった」 「お願いします」 

 夜遅くにアキラから電話、「アカンかったわ」 「えらい時間やな」 「もっと前にも電話できたんやけどな、落ち込んでるふりしてたんや」 「そういうのをへらず口て言うんや」 「こりゃオヤジの思惑通り、関西大学で決まりかな」 「えらい弱気やな、まだ立命館一つ発表残ってるやろ」 「まあね・・・」 「でも関西大学やったら俺も都合がええわ」 「なんで?」 「大阪へ行ったら泊めてもらうわ」 「フフフ、じゃあバスマット買っとくよ」 「そりゃありがたい」

 仁志(津西2年)から電話。「先生、志望校の報告遅れてゴメンなさい。実はオタフク風邪らしいねん。で、志望は横浜国立大学にします」 「都立大は?」 「いろいろと考えたんやけど、横浜に変更しようと・・・」 「そりゃ、オマエの志望やからな。で、センターボーダーは?」 「85%くらい」 「きついな」 「うん」 「クラブもやめてほしくないしな」 「絶対に現役で生きたいからガンバルわ」 「亮太(岡山理科2年)が津西で野球部やったやろ。あん時は家に帰るんが夜の9時30分くらいで食事して塾に来るんが10時過ぎやった。一日2時間の勉強やったけどよくやったと思う。オマエも一度一日のタイムテーブルを作ってみろ。少ない時間で最も効果がある勉強スタイルを考えろよ」

 古西が登場、「暇やで来てしもたわ」 俺は隆哉(津西2年)の志望大学の英語をインターネットから検索中。なにしろ隆哉、成績ボロボロ、なれど大学は国公立。実力に見合う大学は皆無だが、この1年でもしかしたら・・・という大学はいくつかある。隆哉が書いてきたのは信州大学。しかし二次試験の英語の出題形式が合うかという問題もあり検索する。信州大学の試験問題が画像に現れる。大問3題、・・・しかし内容把握の80字要約、・・・英作文、・・・20パーツから成る整序英作。こんなパターンがいずれも3題。隆哉の溜め息が漏れる。「これは・・・」 「だからな、偏差値が低いから信州にするってノリがアカンねん。過去問で傾向を探るのはこの時期にやってくことや。こんな問題じゃオマエは勝負できんよ」 「僕もそう思う・・・」 俺に代わって古西がパソコンを検索、隆哉の勝負できそうな英語の大学を探し始めた。俺はそんな古西の背中を眺めながら懐かしい歌を口ずさんでみた。

 古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう

 21日、弘の立命館大学工学部の合格発表。しかし昼を過ぎても連絡がない。胃が痛くなってきた・・・。

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