れいめい塾25時2001年

れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾 れいめい塾発 「25時」

2001年2月15日号


 7日、東京では今井(鈴鹿6年制)が私大初遭遇、立教大学経済学部に臨んでいた。そして寺田(津西普通3年)は翌日の東京理科大の入試のために上京した。

 俺は前回の「25時」にテーマを当てた清香のことが気になっていた。気分を悪くしなかったろうか? それに加えやはり清香、なんと鈴鹿高校の試験でマークミスをしたことが噂で流れてきた。それも一つ解答欄をずらして書いたという最悪パターンだ。清香の実力なら鈴鹿のU類まではなんとか、しかしこのマークミスで分からなくなった。鈴鹿を落とすと残るは高田と日生だが、高田は五分五分、まあ日生は受かるはず。やはり鈴鹿を当てておきたい・・・しかしマークミス。身体が震えた。

 佳子と花衣(ともに津西1年)が学校帰りに塾にやって来た。「先生、直嗣、合格したんやね」と佳子。「どこを?」 「え、・・・高田U類・・・」 「え、なんでオマエが知っとるねん」 「あすかチャン(津西1年)の携帯に入ってきたらしい」 「何! 俺は何も聞いてへんで! あの野郎、お世話になった塾の先生よりも早く先輩に連絡しやがって! 今日塾に来ても絶対に口を聞いたらへん」 「でも、直嗣、ホントよく頑張ったわ」と花衣。「確かにな・・・ウチの塾に来た頃は分数の計算できへんだもんな。中学でもずっと数学は腐っとったわ。でも中3になってちったあ自覚が出てきたのか質問するようになった。今回の学年末試験でやっと数学100点や」 「すごい」 「中学に入って初めての数学満点を土壇場で取りやがった。あげく、三進連6回の数学で嬉野中学年トップやで」 「ホント!」と花衣。「不思議だが本当だ.。たまには神様も罪作りなことをしやがる」

 夜、満々笑顔の直嗣はオズオズと切り出した。「先生、高田U類に・・・」 「オマエの顔なんか見たくねーや」 俺はきびすを返した。 

 直嗣について書きたいこと、そして同時に今だから話せること、それも直嗣への懺悔やな、これはまた改めて書くつもりだ。

 夜になり海津(早稲田大学2年)から古西(津高3年)の小論文の添削がファックスで送られてきた。すかさず古西の携帯に電話、「すぐ来いよ」 「いや、明日は東京やからもう家に帰ってるねん」 「仕方ねえや、明日の特急何時や。持って行ってやるよ」 「それはどうも・・・。津駅発8時49分です。どうぞよろしく」

 深夜2時、香奈子と清香と横山を送る。最後になった清香、後部座席から小声で言う。「先生、明日は鈴鹿と高田の発表です・・・」 「知ってるわ」 「オマエさん、聞くところによると鈴鹿でマークをずらして答を書いたらしいが、何の教科や?」 「数学です」 「それやったら軽症やな。大森と直嗣の感想じゃ難しいらしいやん。理科や社会やったら目も当てられへん。で、何番や?」 「3番です」 「これもラッキーやな、1番や2番からマークミスしたら痛い。3番やったら清香が正しく答を埋めたところであんまり変わらへんで。逆に受かるかもしれへん」 後部座席からクスッと笑う気配がした。

 8日、生徒の作文を打つ作業もあり2時間ほどの仮眠で久居駅から津駅へ。あくびをしながらプラットホームを歩いていると「おはようございます」と古西。「ああ、おはよう。はい、これ」と俺は添削の入った封筒を渡す。見ると夜逃げでもできそうな大きなバッグだ。「なんだ、こりゃ。海外旅行でもするつもりか?」 「これでも減らしたんやって。風呂で使うタオルを入れとったら、母親に『ホテルにはタオルが備え付けてある』って言われてショックでさ」 午前8時49分、名古屋行き特急がプラットホームへ滑り込んできた。夜逃げの古西が特急のドアをくぐり振り向いた時、俺はシャッターを押した・・・カシャ!

 今日、東京では寺田の私大初参戦、東京理科大学入試が行われることになっていた。

 広告の原稿を見直す。全然アカン・・・おもろないし、ノリも悪い。最悪なのは熱くない。大森から電話。声を聞けば分かる・・・先生、鈴鹿V類と高田U類、合格しました! 絶叫である。

 この日、清香が家に帰ると高田と鈴鹿から速達が届いていた。清香はその2通の封筒を眺めながら時間を過ごしていた。恐くて開けられない・・・夕刻、お母さんが帰宅。事情を聞きお母さんが開封。まず高田から・・・小さい紙切れが1枚「残念ながら・・・」 そして残る鈴鹿へと手が伸びる・・・。

 拓也がボソボソっとつぶやく。「なんやて?」 「高田のU類受かった・・・」 「奇跡やな」 拓也の顔が笑みで崩れた。拓也は今年の作文に書いているように1年3学期の試験で300点以下を取ったことからウチの塾に密航してきた。しかし欲がない・・・シビアに勉強すれば津西クラスなら勝負できるのに津東でいいと言い続けた。イメージ的に楽そう・・・この性格が鈴鹿高校受験においても発揮される。0限と7限授業のあるV類を担任から勧められても避けてU類を受験。欲さえあれば大きく化けるだろうに・・・やはり欲もまた才能だと思うのだ。

 アキラの関西大学経済学部の受験が終わった。大阪でアキラを泊めたのはレイコ姉、俺が大学時代に世話になったスナックのママだ。レイコ姉はアキラをわざわざ大阪駅まで送ったという。1月31日に福井からやってきて9日間、アキラのツアーは終わった。後は11日の金沢での立命館大文学部受験、17日のやはり立命館大文学部、京都衣笠校舎だけが残っている。

 清香がやって来た。「先生、高田は落ちました」 俺は無言だった。「鈴鹿はU類に合格しました」 「そうか・・・、しかしやることは変わらへん。社会の地理と歴史の記述問題からやな」 「はい」

 古西の携帯を鳴らす。「ちゃんとホテルまで行けたか、田舎モン」 「楽勝さ。ホテルで今井と落ち合い、近くの食堂で700円のみそカツ定食まで食べましたよ」 「今は何してるねん?」 「試験が終わった寺田君と待ち合わせて今は3人で喫茶店におるんさ」 「寺田の今日の出来は?」 「寺田君は数学100点だそうです」 「今井の立教は?」 「今井君は合格したそうです」 「何!」 「楽勝だそうです」 「そんなウマイ話があるかい!」

 この日の夜行バスで波多野(三重高A)は東京へ向かった。長いツアーの始まりだった。波多野はこれから本命の明治大学入試17日までの9日間を東京で過ごす。ホテルは格安!と自慢していたファミリーホテル。そしてこれが波多野の受験生活の最後のツアーでもあった。

 深夜、東京から帰ったばかりの寺田が塾に姿を現す。「お帰り。どやった?理科大は」 「まあ、数学は良かったですね」 「で、何しにきたんや」 「代々木ゼミナールの東京理科大の解答速報を・・・」 「なるほどね」 しかしまだネット上では掲載されてなかった。「次は?」 「14日の慶応です」 「それで私大は終了か?」 「ええ」 「後は・・・」 「25日・・・」 「東京工業大学の二次試験・・・」 「ええ」

 9日、今井の上智大学経営学部入試。そしてやはり東京でファミリーホテルという楽園?で1週間籠城中の波多野に電話。「生きてる?」 「なんとか」 「ホテル暮らしは楽しいか?」 「帰りたい・・・」 「ははは、ホテルはどんなとこや?」 「かなり古い」 「じゃあ、安いんだろ?」 「まあ、一泊5千円くらいです。でも夕食はありませんが」 「なるほど、じゃあ夕食は外食か。どんなもん食べてるねん」 「マクド・・・」 「大変だな、難民。で、1日の中京大学の発表っていつだっけ?」 「明日です」

 俺は夜から開明学院の永橋学長に岐阜の袴田さんを加えて飲み会。永橋先生と話すことで何がしかの刺激が欲しかった。俺の広告は遅々として進まなかった。去年の春、行きがかり上からホームページを立ち上げたことで「何らかの感情を文で表現したい!」という欲求は満たされた。しかしそのことが逆に年に一度の広告の原稿から緊迫感や緊張感を奪ってしまっていた。

 10日、俺は朝から二日酔いで寝ていた。東京では古西の私大初参戦、明治大学入試。そして波多野の明治学院大学入試が始まった。

 夕刻近く、俺は冬眠から覚めたクマのような足取りで塾に行った。中3が勉強している。机の上の1枚のコピーが目に留まった。”全日制、内定3929人”とある。第一回の県立高校進学希望状況!  

 津高  定員400名  志望549名

 津西  定員400名  志望587名 (普通と国際を合わせて)

 津東  定員360名  志望390名 (普通のみ)

 久居  定員240名  志望305名  推薦内定者128名

 久居の場合はややこしくて、推薦で合格した生徒も志望者に含まれているため、定員240名のうち推薦合格者を引くと112名。これが3月14日の受験の定員となる。志望者には推薦合格者も含んでいるため、志望者から推薦合格者を引くと177名。つまり3月14日は定員112名の枠をめぐって177名が受験することになる。ややこしいから以下に。

 久居  定員112名  志望177名

 まず津高の倍率が1.37倍と高い。今年は1クラス40人の減少ゆえに高くなるとは思ったが、この倍率を見て変更する者が予想される。となると変更者は津西に流れるわけだが、津西もまた馬鹿みたいに高い。1.47倍である・・・ここも地盤沈下が予想される。となると津東に流れる。津東は珍しく無風状態・・・倍率1.08倍である。津や津西から津東へどのくらい動くか・・・これが2001年度公立高校入試の中勢地区の最大の見所となった。そして久居はここ数年来になく激戦、1.59倍。

 この数字が13日あたりから始まる三者懇談、そして志望校決定でどう変わるか? 予想好きな俺の予想を書いておく。

 津高は減少傾向となるものの倍率は1.3倍をキープすると思う。1.31倍にしとこ。津西は津東へ流れるだろうが、やはり1.4倍はキープする。1.42倍あたりか。そして津と津西からの難民を受け入れる津東は志望が435名ほどに膨れあがり倍率1.28倍あたりだと思う。当たったら何かご褒美をお願いしたい。

 11日、中3が開明学院での日曜テストに臨む。甚ちゃんが走り回っていた。複雑な心境ではあった。1年前、甚ちゃんと2人して車に乗ってこの会場へやって来た。ウチの生徒達(今年の高1)が無事教室に入るのを見届けて2人して受付のイスに座り、試験前の慌ただしい動きを眺めていた。あれから1年・・・俺はたった一人、慌ただしさのなかで居心地悪さを感じながらイスに座っていた。

 アキラは金沢で立命館、波多野は東京で法政大に胸を借りているはぜだった。

 別所書店に行き何冊かの本を買い込み隣りの喫茶店”蛮加無”で読み散らかした。何か書けそうな気がしてきた。永橋先生や袴田さん、忙しそうに走り回る甚ちゃん、推薦に落ちた日にやって来て黙々と勉強していた清香、大森の絶叫、日々新しい塾に来てはパソコンで大学の倍率を見ていた高3の面々、古西の旅立ち・・・俺は塾にもどりキーボードを叩き始めた。自分がそれまでに書いた文章を立ち上げ、手直しや削除を繰り返した。やっと文章に血が通い始めた。締め切りは・・・13日の朝一番。

 波多野に電話、「中京はどやった?」 「受かりました」 「・・・とりあえずは良かったな」 「ええ」

 中3が肩を落として帰ってきた。大森・直嗣・拓也など、高田U類を当てた時の元気はどこへやら・・・。これでいいんだ、と思う。私立発表で高田U類あたりに合格するとついつい浮かれる連中、毎年のように出てくる。奇妙な安心感、高田U類に受かったから津西に受かるだろ・・・みたいな。私立の傾向と公立の傾向は雲泥の差、私立がどこに受かろうと何ら公立の合否の根拠にはならない。しかし、やはり難関と言われる高田U類に合格すればうれしい。その気持ちは分かる。でも気持ちの切り替えが必要なのだ。過去、私立の成績に浮かれて公立で苦杯を舐めた先輩はうようよいる。ここが勝負! だから永橋先生にお願いして開明学院の日曜テストを受けさせてもらっている。

 12日、東京では今井の立教大学社会学部と古西の上智大学経済が始まっている。

 三重では広告締め切りを翌日に控え、ヒーヒー言いながら広告のリード文作成に追われている。

 福井ではアキラがインターネットで関西大学経済学部の試験の解答を引き出す。「関西大学の経済はいけたかもしれん!」

 夜、古西と今井は揃って帰省。古西は実家で風呂に入ってから塾に姿を見せた。「どやった?」 「数学はほぼ完璧やと思うけど・・・ああ、これこれ」 古西は一枚のはがきを差し出した。「明治のセンター入試、期待したけどやっぱりアカンかったわ」 「明治に行く気はなかったんだろう?」 「まあ、今日の上智で決めたからさ」

 受験の熱気を身体から発散する古西を眩しそうに眺めているのは克典(東京学院大学3年)、昨日東京から戻ってきたという。俺と克典は飲みに出た。イジリンマの予定が休みで、隣にある『たかや』へ。ここでは伊藤友紀(皇学館大学教育学部2年)がバイトしている。残念ながら友紀は休みとか。最近、男の影を感じるよな。『たかや』の呼び物?穴蔵のような2人部屋で暑苦しそうな男が二人、酒を飲む。

 塾に帰ると午前1時の教室で中3が6人ほど勉強している。克典がつぶやく。「いいなあ、やっぱりこういう光景を見ると、れいめい塾、ウチの塾やなあと思いますよ」 締め切り間際に飛び込んできた作文、健太(津高1年)と卓(高田U類1年)の作文を、克典は百キロにも迫る巨体を丸めながらフロッピーに入力してくれた。

 13日、広告締め切り。この日の朝一番で飯田印刷に広告のフロッピーディスクを持ち込む約束になっていた。昨夜来、最終の字校正やら写真のキャプション付けやらで午前7時になり、やっと脱稿。午前10時、12枚の写真とフロッピーディスクを持って俺は飯田印刷に駆け込んだ。

 この日、寺田が最後の私立、慶応大学理工学部受験のため上京した。

  夜となり古西がパソコンで上智大学の解答をプリントアウト。ここで採点すればいいものを「古い塾に問題が置いてあるから、後で電話するわ」と言い捨て去る。しばらくして電話が鳴る。「とおったわ」 唐突である。「上智か?」 「うん、スゴイよ、これ」 「本命の前に受かってしまうと・・・」 「何言うとるん、俺はこのまま上り龍の勢いで行くんや」 「内訳は?」 「英語がさ、80%やな・・・国語も80%。聞いてよ、数学、これがまたミス1でさ。過去問でもこんなにできたことないんや」 「慶応が本命なんやからな」 「分かってるって。でも、俺って本番に強いんかな」 「はいはい、その気分で東京へ向かえや」

 田丸君(三重大医学部4年)が高1数学の授業で姿を見せる。「古西、上智の数学楽勝で受かったって断言してたけどな」 「聞きました、でも先生、去年の慶応の数学させたら撃沈しました」 「ははは、そりゃいい。ざまあ見ろ!って言っといてよ」

 夜、印刷所の社長、といっても隆哉のオヤジで俺の中学時代の同級生だが、最終の訂正と注意を電話で知らせて、やっと今年度の広告は終了した。肩の荷を降ろした気分になったのは事実。しかし塾内は依然として受験の真っ只中。テンパッてることに変わりはない。以下に今年の俺のリード文を載せておく。

 れいめい塾 発「25時」

2001年2月25日号

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