2001年25時れいめい塾

れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾 れいめい塾発 「25時」

2001年2月7日


 中3は試験が近づくと朝型に変わる。今年の朝型移行は29日から。朝型になると俺の生活もガラッと変わる。塾に泊まり込み、朝の5時過ぎには起きて生徒の質問に答え、そして中学校まで車で送る毎朝が続く。

 29日未明、俺は「しばらく帰らへんからな」と言い捨て深夜4時に家を出る。背中に奥さんの声が響く。「年中でしょ?」 塾に戻りスラム街のベッドで横になる。まどろむことしばし、朝が訪れている。教室内では横山と直嗣が勉強している。どうやら大森からも電話があったようだ。何か話した覚えがある。大森と菊山は西郊中のため、中学まで送るのが一苦労、ゆえに自宅で勉強することになっている。さすが律儀な大森、午前5時に電話してきたようだ。しかし菊山からはなし、遅刻三昧のこ奴に朝型は似合わない? さて嬉野中の直嗣と西中の横山、どちらから行くか? 久居西の始業が8時20分、嬉野中が8時25分。5分のタイムラグゆえに横山から送る。しかし久居インターから庄田にかけて渋滞、工業団地に右折する車が多いのに右車線を走った俺はまだまだ甘い。「とりあえずは学習や、明日からは気をつけよう!」と叫んだら後部座席の直嗣、「先生、遅刻せえへんかな?」 「わからん」 途中、一志インター付近で直嗣が「こっちが近道!」と言った道へ左折・・・すると工事中、迂回することに。「いやはや、なかなかスリリングやな!」とゲーム気分の運転手と溜め息連発のお客。なんとか島田から衆人環視の信号無視を3回繰り返して嬉野中へ到着、時刻は始業2分前。

 深夜、連日杉本理恵(三重大医学部看護)がやってきてなかなか帰らない。菊山・橋本を送った帰りにミニストップでカリカリマンを買って帰ると瞬く間に2つ平らげる。俺はパシリか? 杉本はというと、何を書こうかな・・・と言いつつ原稿用紙を眺めている。作文提出締め切りは・・・と言いかけ目を閉じた。

 気づけば朝、直嗣と川喜田が二人。時計を見ると7時半をまわっている。「また起きられへんだ」と言いながら身体を起こし車のキーを探しまくる。車に乗り込むや直嗣、力強く宣言。「今日は嬉野からお願いします」

 30日、黒田君(三重大医学部4年)に聞いてみた。「センター速報の帰り、車の中で佐藤とどんな話しをしたの?」 「ええ〜と、僕の浪人の頃の話ですね」 「佐藤は何て言ってた?」 「三年も浪人するなんて僕にはできへんな・・・とか」 「そう」 「何か?」 「いや・・・」 俺は言葉を濁した。やはり気になるな・・・明日から毎日、佐藤とは連絡を取ろうと考えた。

 1日、波多野の中京大学(試験会場は松阪大学)と阿部弘(津高)の関西大学(試験会場は名古屋の河合塾)の入試。ついにウチの高3の大学受験がスタート。

 まどろんでいたのか・・・古西(津高)に起こされた、横には寺田(津西)がいる。「なんや?」 「ハッツァン(波多野)見に行くんやろ?」 「情報早いな」 起きあがろうとするが身体がだるい。「まだまだ早いやろ・・・時間?!」 壁の時計は7時45分、すかさず教室内を見渡すと川喜田・横山の久居西組と清香がいる。直嗣は・・・風邪だろう。久居西までラッシュを駆け抜け30分!やばいやん。「行こや」 「松阪大学は?」と古西。「久居西からまわる」 清香は今日が本命の試験、久居高推薦試験。内容は作文(600字程度)と面接(集団)。去年一挙に10数名も大量に退学させられた(形式的には自主退学だが)久居高の中退者。グループのリーダー格で、レディーズにも所属していた女子学生が久居中出身者とあっては清香を含めた今年の久居中の後輩達、肩身の狭い受験となる。

 松阪大学で波多野のスナップを撮るつもりで手にしたカメラ、これを教室の出かけにかまえる。「清香!」 振り向く清香・・・カシャ!

 3日前に学習したはずが、久居西に向かう車の流れになかなか乗れない。なんとか久居西のローソンの駐車場で川喜田を降ろすと、四つ角で交通指導中の西中の先生。その先生の視線を気にしながら横山の家まで。横山を降ろして松阪大学へ。一志から嬉野インター横を抜け風光明媚のなか中部台公園へと向かう。三重中手前を右折して急な坂道を駆け上がる。時刻は9時10分。波多野を携帯で呼び出すと、微笑みながら駆けてきやがる。「どないや調子は?」 「首を掻き切ってきます」 「そんな生意気な発言すると、また甚ちゃんに怒られるで」 波多野は高校受験の時、将来大学進学を夢にも考えず推薦で三重高Aに進学した。高校1年の夏、兄貴(名城大学4年)に連れられウチの塾にやってきた。推薦ということでシビアな勉強をしなかったのだろう・・・英語に関しては壊滅的な出来だった。三重高Aは高1&2と日本史の選択はない。大学受験を私立文系と絞ったものの、社会は日本史を取りたいと言う。しかし高校では高3まで履修はなく、高1の頃から塾で少しずつ日本史を進めていった。推薦で高校へ進学した波多野にとり、実質的には今日が人生初の入試。「教室内は三重高の生徒ばかりか?」 「ええ、ほぼ全員が三重高生ですね」 「それじゃ、あがるこたねえな」 「ええ、普段の実力が発揮できると思います」 俺はついつい苦笑い。「だから先生、後は阿部君の会場の方へ!」と言いつつ芝居がかって手を伸ばす。「バカ野郎、弘は名古屋だ。今からじゃ間に合わねえよ!」

 写真のレンズの向こうに波多野が中京大学受験と書かれた標識の前で勇ましいポージング。倒した相手の胸の上を足で押さえつけフォールするスタン・ハンセンもどき。だから不安なんだよな・・・そうつぶやきながらシャッターを切る・・・カシャ!

 久居に戻り高茶屋病院近くの喫茶店でモーニングを。「弘はどうだろうな?」 「阿部君な、今日は物理に全てを賭ける!って言ってたけどな」と古西。「どういう意味や?」 「関西大学工学部は物理でトップ6%に入ったら優先的に合格させてくれるんだって」 「その心がけじゃ正面突破は無理やな」 「関大の数学が相性合わんて嘆いてたな」 「ところでアンタら、いつから東京へ行くの?」 寺田が「僕は7日です」 「そういや、東京にお母さん着いてくらしいやん?」 苦笑しながら頷く。「俺のオフクロもいっしょに着いてきては名所旧跡しっかり周ってたな」と俺。「私大は僕だけなんですけど、国立に着いてくるって」 「ホテル、旅館?」 「いえ、ウィークリーマンション1週間だけ借りまして・・・」 「なるほど、そりゃ安いやろな」 「ええ、予想以上に」 古西が話に割り込む。「ハッツァンさ、1週間も同じホテルや。かなりかかるよな」 「そりゃ大変やろな」 「おかしいのがさ、倹約せなアカンて東京へは深夜バスで行くねん」 「ははは、アイツらしいや。でもあのガタイや、狭いやろな。ところでオマエはホテル取ったんか?」 「バッチシ、新宿駅近くのアルタ側」 「ちゃんとホテルまで辿り着けるかな? 大学の下見もあるしな」 「それそれ!それが心配なんさ、慶応大学模試の時に名古屋駅ですら迷ったからな」 デザートのヨーグルトを食べられないと寺田が古西にまわす。「ラッキー!」とさっそく古西がほおばりつつ、いたずらっ子のようにニヤしながら俺に聞く。「25日の話聞いた?」 「25日、国立の二次試験やろ。それがなんや?」 「あのさ、阿部君が名工大の試験1日で終わるんや。俺ら文系組3人も終わってるやん。でさ、田丸先輩(三重大医学部4年)が車で東京まで連れてってくれるって」 「25日の夜か?」 「うん、となると寺田君の・・・」と横をチラリ。「僕の東工大の試験2日目の朝に大学にやって来るそうです」 寺田、珍しく笑顔で。「アンタ、最近性格変わったよな・・・明るいやん」 「でさ」と再び古西。「26日に東京に着いて寺田君見送ってさ、そしてその日どっかに泊まったら・・・」 「成る程、27日・・・慶応大学の合格発表ってか?」 「どう、名案やろ」 「まあな、じゃあオマエらが東京のどっかで眠りこけている頃、俺は高2を連れて東名高速を突っ走ってるってわけ?」 「そうそう」 「いい身分だな?」 「でもね、どこで眠るかってのが問題で・・・多分、田丸先輩のボルボの中かなと」 「僕のウィークリーマンションになんとか泊まれんかな」 「えっ!ほんと」 「一度聞いてみるよ」 俺が割り込む。「物見遊山じゃねえんだ! 楽しい話は合格してからにしてくれよ」

 こ奴ら高3と気楽に食事に行くことなんてこと、ここ数週間もすれば終わっちまう。この4月からこ奴らは、こことは違うどこかの空の下で一人暮らしを始めることになる。それが東京であってくれれば、本人達がひたすらに追い求めてきた大学の空の下であってくれれば・・・そう切に願う。

 塾にもどった。連夜の2〜3時間睡眠で身体がだるい。横になろうと思ってフト目が黒板に行った。何か書いてあった。

 「先生へ。気合いと笑顔で行ってきます」 

 清香の字だった。時計に目をやると午前11時、久居高校で集団面接を受けている姿を思い描いた。俺はそっとつぶやいた。「がんばれ・・・」

 この日は久居高だけでなく県下の公立高校の推薦試験のため、中学は昼まで。スラム街のベッドから身体を起こすと教室には大森と直嗣、そして川喜田と横山が勉強していた。遅れて菊山が姿を見せる。そしてしんがりは塾の前に家がある拓也・・・あのな。

 中3も受験生ということでは高3と同じ、俺は厳かに事後報告。「松阪大学に行ってきたけどな、波多野先輩は全然緊張してなかったよ」 即座に大森、「いえ、緊張してたでしょ」 一瞬俺は言葉につまってしまった。何を言っても受験生である大森の心を逆なでするだけだった。温厚なだけが取り柄の大森が一瞬にして返してよこした刃物のような言葉・・・。「そやな、波多野先輩は緊張していたんやろな」 

 2日、佐藤に連絡を取る。1日の北里大学の手応えに興味があった。「どやった?」 「アカンだ・・・」 「何でやられた」 「英語・・・」 「難しかったんかい」 「うん、量が多い。最後までするにはしたけど・・・」 「次は?」 「4日の酪農学園大学・・・」 「テンション高めやんとな」 「うん」 「暗いな? その後は鹿児島が待ってるんやろ!」 「うん」

 電話を終えてしばらくすると、また佐藤から電話。「どないしたんや?」 「うん、実は言い忘れたんやけど・・・」 「志望校変更か?」 「・・・うん、まだはっきりとは決めてへんのやけど」 「で、どこにするねん?」 「千葉大の生物生産・・・」 「そこやったら納得できるんか」 「・・・ん」 「ボーダーは?」 「10点ほど上かな」 「なるほどな・・・、まあセンター速報の後で黒田君に送ってもらう車の中でどんな話をしたか興味があったんや。たずねたら、黒田君が3浪したことの話になったんだろ?」 「うん」 「オマエが3年も浪人できやんと言ってたの聞いたしな。センター当日にも”浪人はもうこりごりや”なんて言ってただろ」 「・・・まだ、はっきりと千葉大にしたわけじゃないし・・・」 「いや、俺はな、鹿児島から千葉にするの怒ってるんやないで。それはオマエの自由なんや、どっちにしても正解や。山登りでさ。途中で吹雪になってさ、頂上すぐやのに引き返す勇気って奴やな、クサイけど。センター試験は特に英語と数学で暴風雨やったやろ?」 「うん、暴雨風やった・・・」 「ははは、でさ、昨日の北里も吹雪いてたやろ?」 「うん、吹雪いてたな」 「じゃあ、後はオマエが好きにしたらいいよ。臆病者のオマエのことやから、鹿児島受けるのを期待している塾の先輩や講師連中に申し訳がたたへんとか考えとるんやろ」 「・・・」 「とりあえずは4日の酪農学園の勉強やろ」 「酪農学園の出来が良かったら鹿児島で勝負したいんやけど・・・」 「そりゃ終わってからの話やで」

 この日は中3の私立高校受験の送り出し。これを高2のアキちゃん(久居高)が開始の時刻を聞きにくる。「中3の送り出しは高1主宰が恒例や。アンタは関係ないで」 それにしても今年の高1の配慮のなさには腹が立つ。日程は例年のごとく中3が黒板に書き出している。これを見れば一目瞭然、しかし感性が摩耗している。高1にとっては高校受験なんて過ぎ去りし思い出のスナップ写真になっちまってるんだろう。結局バタバタと土壇場でジャスコに走ったり、車に乗せて走ったのは俺だが、あげくジャスコであすかチャン(津西1年)が迷子になっちまい、送り出しが始まったのは午後10時を過ぎていた。

 そして3日、鈴鹿高校入試。高校受験が始まった。

 この日は俺が酔っぱらって2階から落ちた記念日だ。あれから8年が経つ。松阪中央病院に緊急入院した俺を眺めながら医師は「必ず意識が戻るという期待は持たないでください」と宣告したという。しかし悪ガキは2日目に覚醒。8日目には「全治2ケ月です」と言い張る医師を強引に振り切り退院した。医師から「奇跡と呼んでもいいんですよ」という皮肉を受けながらの退院・・・早稲田大学を受験する邦博を久居駅で一目見送りたい・・・その一念だけでの退院だった。

 8年前の2月12日、今となってはセピア色の久居駅・・・木造の久居駅、雪がちらつくなか、ふらつきながら俺は邦博が特急に乗り込む姿を眺めていた。頭痛が激しく吐きそうになるのを堪えている俺を、横で支えてくれていたのは越知だったんだろうか。

 あれから8年が経つ。鈴鹿高校を受験する横山と川喜田を久居駅まで送って家に戻ると奥さん、静かな声で言った。「今日は無茶はしないでね」 そして俺にとって十字架を背負うがごとく2月3日に、こよなく愛した5期生の山田智子が結婚した。よりにもよって・・・憤然としながらもハンカチをポケットの中に確認。午前8時40分、弟の公則(8期生)が迎えに来た。結婚式は四日市、津の野田の実家から智ちゃんはウェディングドレスに身を包んでタクシーに乗り込む。親族や来賓が乗りこんだ送迎バスは最寄りの久居インターから。智ちゃんの乗るタクシーは花嫁が”戻ったらアカン”から混雑承知、津インターから四日市へと向かう。

 花束贈呈となり突如、公則が号泣する。それがうつったのだろうか?俺もまた溢れ出る涙を堪えることができなかった。声を出さなかったことが精一杯の抵抗か。式の後で俺は公則に怒鳴った。「馬鹿野郎、子供ができた一人前の大人がなんだ! ワアワア泣きやがって、男は黙って泣くんだよ!」

 公則に昨年の夏、子供が産まれた。女の子だった。お母さんの話では「公則の子供の時にうり二つ!」とのこと。名前がイカしている・・・宙(そら)。山田宙・・・。俺は今期の冬季講習のプリントを一部修正した。英語の基本文型のプリントだ。

 My parents named me Sora. (両親は私を宙と名付けた)

 4日、俺は昨夜からの二日酔いが抜けず唸っていた。外界では高田高校が入試をやってるはずだった。そして大阪のほうでも酪農学園大学に望みを託しているクリスチャンがいたはずだ。

  夜になり佐藤に電話。「どやった?」 「簡単やった」 「良かったじゃねえか」 「でも、簡単すぎた。”9割は確実や”って声が聞こえてきたし」 「・・・差別化できねえってか」 「・・・」 「どちらにしてもオマエの人生だ。一人で考えろよ。国立の願書締め切りは?」 「6日」 「しびれるよな・・・、とにかくこの件は田丸や黒田には6日まで言わないでおくからな」 「・・・」

 センター速報は麻薬のようなものだ。ビハインドがあっても、全国から届く激励や叱咤に身体が熱くなりついつい行かずもがなの勝負を挑むことが往々にしてある。その熱さが実力以上の力を引き出すタイプもいる。齋藤(北海道大学1年)などその典型といえる。しかし佐藤にそのドライブ感覚があるか?と問われれば、否と答えざるをえない。所詮、キリスト教弾圧に堪え忍ぶ農民キャラなのだ。とにかく雑音を遮断したかった。佐藤、千葉と鹿児島とで揺れ動く・・・という情報が広がれば携帯が鳴り続けることは明白。ここは佐藤自身に孤独のなかで考えさせたかったのだ。  

 5日、皇学館高校入試。直嗣と大森が出張っていっている。俺はアキラの携帯へ。アキラは3日に関西大学からスタート、連荘で4日に本命立命館文学部を大阪会場・大商大で受けている。「どやった、関大?」 「楽勝」 「楽勝って、オマエ簡単に言うよな」 「何度も見直したんや、あれで落ちたらどうしようもない」 「そう言う奴に限ってやられるけどな。で、立命館は?」 「今イチやな、英語の長文は読めたんやけど文法のほうが・・・」 「そんな感想の方が安心するよ」

 深夜、今井がやって来る。「先生、明日行きます」 「どこへ?」 「え? 東京」 「え! もう東京へ行くの?」 「はい、7日が立教・経済ですから」 「本当に行くの?」 「?はい」 「さびしいやん」 「ははは、行かな受けれませんよ」 「無理せんでも・・・」 「いや、そんなワケには・・・」 「で、立教の後は?」 「上智ですね。これが難しい。なかなか英語が最後まで解けない」 「さすがに上智、盛りだくさんってか?」 「ええ、10番まであります」 「そして?」 「立教・社会学部です。これが志願者が去年よりも増えっちゃって」 「難しいんか?」 「いや、でも経済でゲットしとかんと精神的にきついかなと。早稲田に挑むまでに結果が出ますから」 「そして?」 「それで一旦帰省です。12日の夜には帰ってきます」 「そうか、古い塾も寂しくなるな」 「僕が明日で、あさってが寺田君。そして次の日の朝が古西君で夜に深夜バスで波多野君」 「そして誰もいなくなった、ってか」 「阿部君だけですね」 「あとはアキラか?」 「アキラの立命館はどうなってるんですか?」 「あ!そや。何日だっけ? 俺さ、京都に行くつもりやったんや」 俺はカレンダーに目を通した。”2月6日;アキラ・立命館、波多野・近畿”とある。「えらいこっちゃ! 明日は中学生を高校まで送ってくのに、アキラのこと忘れとった」 「でも日生第二に行くんなら京都は間に合わないですよ」 「仕方ないな。朝送ってから京都へ走るよ、なんとか昼休みには間に合うだろ」 「大変ですね」 「オマエたちも大変だろ?」 「はあ、・・・まあ」 「何時だっけ、久居駅は」 「7時10分の特急です」 「残念ながら見送りに行けねえけどな、頑張ってこいや」 「はい」  

 1階では黒田君が中井と話しこんでいた。「黒田君、今まで言わんかったけど、佐藤は多分鹿児島から千葉に変更や」 「千葉に獣医ってありましたっけ?」 「いや、学部も変更。千葉大学の生物生産・・・」 「え! そんな・・・」 黒田君の視線が虚空を這った。

 6日、三重高と日生学園第二の入試。また、名古屋では波多野の近畿大学が、そして京都ではアキラの立命館大学文学部の入試が衣笠校舎で実施されることになっていた。

 俺は7時過ぎに横山と清香を車に乗せて出発した。同じ頃、今井は久居駅のプラットホームで近鉄特急を待っているはずだった。近鉄の高架を上りながらポルタの方に向けて怒鳴った。「せいぜい気張ってこいや!」

 俺は日生学園の試験会場を青山町と勘違い、早く出発しすぎたことに気付く。ブラブラ走り青山高原の山ん中にある日生学園に到着したのは午前7時45分。小雨が降り出した。車の中で受験生が集まるまで3人して待機。清香がポツリと言う、「先生、今日は推薦の発表です」 「結果は自宅に連絡か?」 「いえ、午後4時に中学へ再登校です」 「そうか・・・しびれるよな。俺は今から京都へひとっ走りしてくるから、それまでには戻ってるよ」 「京都!」 「受験生はアンタらだけやないよ」 受験生の乗ったバスが到着、緊張した風情の中学生がゾロゾロと降り出す。それを見て清香、「じゃあ、先生行ってきます」

 2人を見送り京都のアキラの携帯を鳴らす。なかなか繋がらない。「あの野郎! 何やってんだ」と毒づいていてフト気付く。「こっちがこんな山ん中じゃ繋がらないんだ」 俺は青山高原を駆け下りた。「アキラか! 何やってんだ!」 「メシ食ってるよ」 「いいな、暇で。間に合うのか!」 「十分」 「今から京都に向かう! 昼休みに携帯の電源入れろ!」 「分かった」 「じゃあな」 携帯の時刻表示を見た・・・8時40分。「11時までには着くかな」 俺はアクセルをふかした。

 この時刻、今井は名古屋から新幹線に乗り込み一路、東京へと向かっていた。

 国道1号線から名神にという考えはなかった。英語が終わるのが正午、時間はたっぷりある。ブラブラと1号線を走らせる。正知の携帯に連絡、前に金児里絵失踪の件で連絡して以来だ。「元気か?」 「それが・・・寝てるんやけど」 「風邪か」 「いや・・・あたったみたいで。昨日からもどして吐いて、もどして吐いて・・・」 「何に?」 「サバ」 「サバ? そりゃ、買った店に文句言えよ」 「いや、賞味期限が切れてるやつで」 「ははは、冷蔵庫でかくれんぼしてたってか?」 「そうそう」 「そりゃ元気そうでなによりだ、ははは」 「いや、元気じゃないって」 「何か薬買ってやろうか」 「いや、もう全部出す物出したから、なんとか・・・」 「院の試験は?」 「17日」 「仕上がりは?」 「わからんな、でもなんとか・・・」 

 携帯でかなり話し込みながらも街の風景に変化なし、大津は広い? じゃねえ、ひどい渋滞なんだ。時刻は11時をまわっている。東山三条から岡崎へ、そして丸太町通りを西へ。西大路を右折。ここをもう少し行くと邦博が暮らしていた下宿があったっけ。1階はセブンイレブンだったか・・・。西大路を北上し、福王子方面に左折。立命館衣笠校舎の正門に車を止めると警備員に注意される。近くのローソンに車を止めて正門に戻る。携帯・・・繋がった。「俺や、俺。今、正門におるんや。はよ来い!」 しばらくするとアキラがやって来た。「どないや?」 「今度は文法できたけど長文が読めんかった」 「片肺飛行、いつまで続くかね」 俺はアキラを正門前に立たせた。カメラを取り出し・・・カシャ! もう一枚!・・・カシャ! もう・・・あれ? アキラは俺に近づきながら言った。「先生、やめてや。恥ずかしいわ」

 再び京都の街を走る。裕美ちゃん(京都教育大学2年)に会っていこうかと考え北大路に進路変更。携帯を取り出し、呼び出すものの大阪の住所(お母さんの実家)の番号しかない。己の不覚をなじりながら鹿ケ谷から南禅寺を抜けて1号線、行きの渋滞に懲りた俺は京都東から名神に。「帰ったら久居高校推薦の結果か・・・」

 午後8時をまわっても清香から連絡はない。高1の教室であすかチャンと話す。「清香からまだ連絡ないねん」 「実は推薦の結果が分かったらメールを送りますって清香ちゃん私に言ってたんですけどね」 「で、あった?」 「・・・いえ」 「なるほど・・・となると」 「・・・」 「あかんかったな・・・」 「・・・」 「女の子やからな、今日は休みか。やっぱ佳子のようにはいかんよな」

 去年、石田佳子(津西1年)は高田U類に落ちたものの、その夜塾にやって来た。男連中には常々言ってきた。「私立が落ちようと受かろうと、本命が公立である以上は旅の途中や。落ちたから塾に行けないなんて言い訳は女の子にまかしとけ! 男やったら平然として来んかい!」 男尊女卑の俺は女子についてはむしろ自宅で一晩くつろぐことを勧める。泣き顔を見るのが辛いからだ。塾に姿を見せ、自分の志望校・津西を目指して平素と変わりなく勉強している佳子を見て、中井(津東2年)は心底感心したと言う。「”よく来たな”って中井先輩が言ってくれて・・・うれしかった」と佳子は言う。「俺はなんて言ったの?」 「先生は・・・何も言ってくれませんでしたよ」 そう言って佳子は笑った。

 清香の結果を気にしているところへ電話が鳴る。「イヤだね・・・」 「もしもし」と・・・オマエ!? 「先生、金児里絵です」 「オマエ・・・」 「帰ってきました」 「あのな、この3ケ月間どこにおったんや!」 「まあまあまあ・・・、へへ」 家出人、無事戻るってか。

 高橋君が姿を見せた。心なしかやつれている。「先生、今年の風邪には注意してくださいよ」 「あれ?高橋君、風邪やったん」 「ええ、ずっと寝込んでました。今年の風邪はまず吐きます、胃の中のものが全部なくなりますから回復まで時間がかかりますね」 「俺は風邪はひかないから、心配なのは受験生やな」 「風邪にかかったらすぐに医者へ行って点滴を受けるのがベターですね」 「わかった」 その瞬間、清香が高橋君の後ろに現れた。「先生・・・」 「・・・」 「だめでした・・・」 「・・・そうか。でもな、清香」 泣いたのだろう、目が充血していた。「まだ旅の途中や・・・」 「はい」 「少なくとも・・・よく来たな」

 清香は10月にウチの塾に入った。従兄弟の鈴木洋美(9期生)からウチの塾のキツさは重々聞いていたらしい。いくつかの塾に通った。しかし続かなかった。自分の志望校を久居高校に決め、不退転の覚悟でウチの塾の壊れかけのドアを叩いた。よく頑張ってきた、しかし今までの貯金がない。勉強しても勉強してもどこかが水漏れを起こす。穴を塞ぐ、すると違う所で水が漏れ始める、また塞ぐ。その繰り返しでこの3ケ月を過ごしてきた。彼女は広告の作文を三度書き直した。以下・・・

 私はこの塾に入るまでは弱い人間だった。いつも嫌なことから逃げていたり、友達に頼ったりした。何よりも自分の意志を貫き通すことができなかった。そして、そんな私のまま受験の壁とぶちあたった。もう逃げられないし、友達に頼ることもできない・・・。何度も追いつめられた・・・。でも「雑草みたい」と言われてきた私は追いつめられっぱなしでは終わらない! そこで甘い自分にピリオドを打つためにも、勉強に一生懸命になるためにも、厳しいと聞いていたこの塾に入った。入ってからの4ケ月の中で、勉強以外のことで分かったことがある。それは「れいめい塾」は、れいめい塾そのものが厳しいのではなくて、れいめい塾生一人一人が自分自身に厳しいということだ。
 私も少しずつ自分に厳しくなれたと思う。強い人間になれたと思う。今のままの私で受験の壁を突破します!!
 P.S. 心の支えになってくれたかんちゃん、そしてれいめい塾のみなさん、ありがとう。今井先輩の言葉も忘れません。(笠井 清香)

 作文を見ていて、書くだけなら何でも書けるよな・・・と申し訳ないけど冷ややかな気持ちになることがある。有言実行はカッコいい、しかし言葉だけの生徒がウチの塾すらでもチラホラ見受けられるのも事実。決めの台詞はどこで覚えたの? トレンディドラマからの受け売り? えらっそうなことはイカした風情で言うけど口だけ、そんな生徒と俺は生涯酒を飲む気は毛頭ない。

    清香へ。

 昨日は慰めることもせず、無愛想ですまんかった。許してくれや、こんな性格なんや。でもな、オマエさんの作文を読んだ時に感じた違和感、見事に吹っ飛んだわ。清香は昨日やって来た。確かに清香は強くなった。清香はいつの間にか、れいめい塾にドップリつかり、ウチの生徒になっちまったよ。でもな、最後に言っとく・・・俺達は、まだまだ旅の途中だ。

 そしてこの日、佐藤は千葉大学に出願した。

                           トップページに戻る

れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾リンク集 れいめい塾 三重県津市久居 学習塾一覧表:れいめい塾発『25時』 三重県津市久居 学習・進学塾『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居れいめい塾の日記(関係者ブログ集) 三重県津市久居広告一覧 れいめい塾 三重県津市久居 学習塾 進学塾サイトマップ|れいめい塾 三重県津市久居 進学塾&学習塾
当ホームページに掲載されているあらゆる内容の無許可転載・転用を禁止します。
れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾Copyright(c) 2000-2009.reimei-juku. All rights reserved. Never reproduce or republicate without permission
ホームページ管理:橋本康志橋本クリニック|皮膚科(皮ふ科)|広島県呉市の皮膚科(皮ふ科) 日曜診療 ゆめタウン呉