ひとりごと 6 2000ねん7がつ        

最終目標は富士登山?
   〜でも、富士山の見える山がいいな〜
 

 山の代表と、いえばまず頭に思い描くのが「富士山」である。
誰もが知っている山で、一番高い山だ。3000メートル級の山はこれしか知らない。
私は、富士山には苦い思い出があるのだ。

それは、小学5年生くらいの時、すでに30年ほど昔のこと。
家族で「富士登山」をしたのだ。
何の計画もせずに、今より情報もない時代のことだ。

何の下調べもなく、3000メートルの山もどんなのか知らず、もちろん準備もしていない。
日帰りのハイキングか裏山の登山のつもりであったに違いない。
食事もろくすっぽとらず、夕方からただ黙々と歩かされていたことが、記憶に残っている。

夜遅くなり山小屋に近づくと、山小屋の人が、
「この先に行ったら、凍死するぞ。危険だから泊ままっていった方がいい。」
今思うと何カ所かある山小屋のその夜、泊める人の確保にそういっておどかされたらしく、

その夜は山小屋で仮眠をすることになった。
ちょうど5年生のいたいけな(自称)少女である。
人と人の間に入って夜を明かすことなんか絶対いやだったし、気持ち悪かった。

キョーレツな足のにおいが直接くるのである。
そんな長い夜を、小汚い布団の中で過ごした想い出がある。
両親は、その時「素泊まり」を予約したのだろう。

朝食はちゃんとしたものは食べられず、インスタントラーメンだったことを思い出す。
沸点が低いのか、生ぬるいラーメンで麺は完全に煮えていなく、
食欲がない上、朝からラーメンなんて食べられるものではなかったように思う。

よく寝られなかった上まずい食事、
それに、寝不足になりだるい体で頂上を目指して歩いたように思う。
行けども行けども茶色の石と岩ばっかりで、美しい景色なんかこれっぽちもなく

御来光を見るのが富士山に来たときのお決まりなのであろう。
そんなもの、小学生の私には何の興味もなく、ただの太陽にありがたさなんてわいてくる筈がない。
みんな思い思いに休憩をとっている。私たち家族の横で大学生らしき女の人たちは、

話をしながら楽しそうに、持ってきたおにぎりやおやつを食べていたのが、
強烈に頭にこびりついていた。
それにひきかえ、うちの親は・・・

おやつどころか、おにぎりも持ってきていないなんて、後で聞いた話によると、
お金さえ持っていればどうにかなる。そう思っていたらしい。
登山というと、ふつうの食事のカロリーではとうていからだが持たない。

行動食と言って休憩の度に、水分の補給とカロリーの補給が必要になってくる。
そんな予備知識もないまま、3000メートル級のおそれ多くも富士山に挑んだ家族は、
今で言うと、「バカ家族」である。(初登山が富士山という無茶なことをした)

案の定、8合目の3つ目のところで母親(当時45才)が、高山病になりへたり込んでしまったのだ。
ここで登頂を目指すか、下山するかの判断の時である。
8合目で登頂組と(父、姉、姉の恋人)下山組の(母、私)二つに分かれた。

小学生の私はもちろん下山を選んでしまったのである。
わたしも、体調が悪く吐きそうだったのでこのまま頂上を目指すには無理だと判断し、
母と2人で山頂など何の未練もなく、いとも簡単に下山を選んで、そろそろと下り始めた。

下山は簡単で、滑り転げるようにただ走ってきただけで、
駐車場の5合目のところまで来たら気分はすっかり良くなり、
登頂できなかった自分がやけに腹立たしかったことを今でも覚えている。

いつかもう一度登頂をしてやるぞ。
子供ながらそんなことを決めながら、河口湖でキャンプをした苦い思い出がある。
その時のトラウマがいまだに残っているみたいだ。

富士山にはあこがれるし登っても見たいのだが、あの高山病らしき、頭痛はもう二度と嫌なのである。。
雪化粧をした富士山は憧れるなあ。
いつか富士山の見える山には登りたいなあと思っている。