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ひとりごと 4 2000ねん6がつ
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夫婦山行のすすめ
〜なぜいっしょに山へ登るのか〜
夫を山に誘うようになり、初めは誘っても「いや」の一点張りだったのが、
このところ、しぶしぶ同行してくれる。
それなりに、登山の楽しみを分かち合えるようになってきた。
一人で行っていた山行とはまた違った趣がある。
相手の体調を思いやり、自分がしんどくなってきたらまた相手も同じように、
しんどいのかもしれない。
声をかけながら登山道を前後に歩き、人間としての基本的な心遣いが、
かけひきなしに感じられるのである。
相手が思いやりがあるのかないのかが、登山という行動でいっぺんにわかってしまう。
非日常から閉ざされた山の中では、
今、一緒に歩いているパートナーが頼りになってくる。
もし、この山中でどちらかが歩くことが不可能になったとする。
さて、歩けなくなった片方をどうやって下山させるか。
また、一人残して里の方まで助けを求めて自分が下山するのか。
はたして夫は、どのような行動をとるのか。
山を歩きながらそんなことを考えていると楽しくってしょうがない。
まさに、サバイバルなのである。
ぎりぎりのところで人間の本性がわかるということである。
夫婦もそういった信頼関係があるのと無いのとでは、
家庭生活を送るにおいて違ってくるのである。
夫婦で山を楽しんでいると、そういった信頼関係と、
相手への依存性がうまく共存するのである。
登山は、男と女がハンデーをつけなくても楽しめるスポーツである。
瞬発的な力は男性にはかなわないが、じりじりと登る登山では、男性には引けを取らない。
岩場を登る本格的な登山でない限り、中高年の山歩きにいたっては、
男性も女性も同じ所から始まるようだ。
その人のそれなりの力でのぼることが出来るし、頂上に立つことができる。
二人で山を歩き、二人で風を感じ、二人で頂上から見る景色を楽しめることができたら、
こんなすてきなことはないと思う。
子供の頃の、登山遠足では味わえなかった感動が、
夫婦というパートナーと分かち合えることが、夫婦山行の良さではないだろうか。
こうなると夫婦も、男女の仲と言うより、どちらも『おっさん』である。
女房役と言うより、子供の頃のガキ大将とその子分という仲であり、
さしずめうちのところは、夫は隊長で私は隊員ということにでもしておきましょうか。
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