〜思い出話シリーズ〜   [戻る]
私の音楽放浪記/湖都の閑人さん

私は小学六年生の時に、性に目覚めると同時にクラシック音楽にも目覚めました。
クラシック音楽は大人の音楽なんでしょうかね。
そのころ、母子家庭(兄妹三人、父親は中支にて昭和20年に戦死)の貧しい環境でしたが、家のホームラジオから流れてきた美しく青きドナウ河に心奪われ、あーーー音楽ってなんて良いんだろうーーーと感動したのを憶えています。

それから数年後、ノーベル賞で一躍有名になりました「島津製作所」に幸運にも就職する事ができ、経済的にも安定し、本格的に音楽とオーディオの道楽に嵌りこむ事とあいなりました。

初めて自分のシステムを組むころ、時代は管球式からトランジスタの時代へ入ろうとしていました。
そこで、貴重な小遣いを使うのなら寿命の永いトランジスタだと思い(今から思うと実にあさはかな知恵)、丁度、トリオから日本初(世界初?)のコンパクトなトランジスタアンプが発売され、それに飛びつきました。

数年後、トランジスタアンプはメインスイッチ等のトラブルで、トランジスタと関係ない箇所の故障で敢え無く寿命を迎えました。
そのころ、すでにSS誌を定期購読していまして、新製品の紹介でラックスの「SQ−38F」を瀬川・菅野さんが、ピアノの音がコロコロと鳴り国産アンプとしては画期的な製品であると絶賛されているのを読んで、一発で決めました。
評論家の菅野さんはそれ以来一番信頼している方です。
同時に、今のLPプレイヤーやレボックス A−77オープンデッキやFMチューナー、テクニクスのカセッテデッキ(かなり高価な物でした。)も同時に揃え、以来約15年程夢中で音楽の世界に入り込みました。

しかし、現実は厳しいもので、仕事の都合でオーディどころでは無くなり、以来三年程前までお蔵入りとなってしまいました。

三年前に無事定年となり、それまで約60年住み慣れた新京極近くの借家を出て、ここ大津市雄琴に移住しました。こうなると、オーディオの虫が再び目を醒しアット言う間に今のシステムが出来上がりました。この間、タンノイに相応しいアンプを探してTFCにも書き込みをした所、三重の2PHさんから、良かったら家のタンノイGRFメリーと上杉アンプのシステムを聞きに来ませんかとメールを頂きお会いしたのが、2PHさんとのお付き合いの始りです。
しかし、人との縁とは不思議なもので、これを切っ掛けとして田舎のGRFさん、暇な人さん、Kさんを初め多くのタンノイファンの皆様と知り合いになることができました。次の土曜日には音楽人さん、日曜日には安西さんと、増々人との繋がりが広がっていきます。まさに、オーディオ万歳、タンノイ万歳、我が人生に悔い無しです。