56■昔々の話をしよう
そして、回る時代。


282■妖精の城で (テス視点)
「こんにちは、テス」
「あれ? ベラ?」
ぼんやりとした視界に、懐かしい顔。
「えーと……」
ボクは考える。
「ボクって起きてたっけ?」
「テスはまだ寝てるよ? 私とは夢の中で話してるの」
「そうなの?」
「うん」
「そんなこと出来るんだ」
言うと、ベラは笑った。
「ま、色々あるのよ」
「で、何」
聞くと、ベラはにやりと笑ってその場で一回転した。
「あのねー」
にまにまと笑って、ベラはボクを見る。
「……何かいいことあったの?」
その言葉を待っていたんだろう、ベラは両手をぱっと広げる。
「そうなのよー! 大ニュース! あのねー、妖精のお城にマスタードラゴン様が新しい絵を贈ってくださったのよー!」
「大ニュース?」
思わず聞き返す。
「そんな不満そうな顔しない」
ベラは口を尖らせる。
「すっごい事なのよ!? 栄誉よ!?」
頭のなかにプサンさんがちらついて、栄誉とか大ニュースとかどうもピンとこない。
ボクがあんまり感心しないから、ベラはため息をついてあきらめたようだった。
「まぁ、テスは昔から感覚変だったし……いいわ。ともかく、伝えたからね?」


目が覚めた。

なんだかぐったりした気分で起き上がって、欠伸をしながら頭をバリバリかく。
やっぱり、ベラがわざわざ来たっていうのは、あれは「見に行け!」って事だよなぁ。
……プサンさんが贈った絵ねえ……?
確か、前は勇者誕生のお祝いの絵を妖精の城に贈ったんだったよね。
あの絵はよかったな。
見に行く価値はあるのかなあ?
「どうしたの? 悩み事?」
まだ寝そべっていたビアンカちゃんがゆっくりした口調で言うと、座っているボクの足に頭を乗せる。膝枕みたいにしてから、ボクを見あげた。
「んー」
ボクはビアンカちゃんの髪を撫でながら、言うか言わないか考える。
「なんかね、妖精のお城にマスタードラゴン様が絵を贈ったんだって」
「何で知ってるの?」
「夢にベラが出てきて、教えてくれたんだ」
「え!? ホントに!? 素敵ー!」
ビアンカちゃんはボクを抱き締めた。
「……じゃあ見に行ってみる?」
「行きたいっ」
声を弾ませてビアンカちゃんは起き上がる。
「絵も見たいけど、妖精のお城に行きたいっ」
「あぁ、メインは城ね」
「マァルに聞いたら、すっごく素敵なお城みたいなんだもん。見てみたいわよ」
「まぁ確かにきれいだったね。王の間にはステンドグラス越しの色のついた光が降り注いでたし、お城自体鏡みたいな湖に建ってた」
「素敵ー!」
ビアンカちゃんは想像しているのかうっとりと目を閉じる。
「絶対行きましょ? いつ行くの?」
「気が早いよ」
ボクは苦笑する。
「まあ、間近な休みにでも行ってみようか」
「だったら三日後ね! 楽しみだわー!」
ビアンカちゃんは今から出掛けるかのようにニコニコとして、目を輝かせる。
「どんな服着ていこうかしら? やっぱりちゃんとした服?」
「旅してた時の格好で十分だよ。かなり広い湖の真ん中に建ってるお城だから、いかだを使うんだ。ちゃんとした格好で濡れちゃったら大変だよ」
「そっか」
ビアンカちゃんはのびをした。
「マァルやソルにも言わなきゃ。楽しみねー」


あっと言う間に時間はすぎて、妖精のお城に行く日になった。
久しぶりの本格的な外出に、子どもたちのテンションも高い。「早く早く」と口々に言いながら、足踏みをしている。
「じゃあ行ってきます」
ボクはオジロン様やサンチョに言ってからビアンカちゃんたちに合流した。
グランバニアから少し歩いた所にある平地で、久しぶりに天空のベルをならす。澄んだ音色が空に吸い込まれて、しばらくするとマスタードラゴンが舞い降りてきた。
「まさか呼ばれるとは思ってなかったぞ」
「平時に乗り物にして失礼します。本当ご迷惑をおかけして……」
ビアンカちゃんが頭を下げると、マスタードラゴンは大きな声で笑った。
「よいのだよいのだ、ちょうど仕事に飽きてきた所だったのだ」
「ちゃんと世界を見守ってくださいよ。仕事でしょ、仕事。仕事してください」
ボクは思わずマスタードラゴンを見上げた。けど、マスタードラゴンは聞こえないふりをした。
相変わらず正直者だ。
「で? 何処へ行くのだね?」
「妖精のお城に行きたいのっ」
マァルがマスタードラゴンにむかって両手を広げる。
なにか、期待の大きさを表しているようだ。
「絵を見に行くのかね?」
「そうだよ」
ソルはうなずく。
「プサンさんが贈ったんだよね?」
「そうだ」
「何の絵?」
「それを見に行くのだろう?」
マスタードラゴンは苦笑してソルを見る。ソルは「あっそっか!」と頭をかいた。
「では行こう」
マスタードラゴンの声にボクらは頷いて、その背に乗る。
彼は静かにはばたくと、空に向かって大地を蹴った。

キラキラと輝く海をわたって、やがて大陸が見えてきた。
右手側、つまり北側には高い岩山が連なっている。その頂上にある神殿は、今は雲のむこうになっていて見えなかった。
南側には朽ち果てかけた塔があり、大陸の中央には妖精の城がある湖が見える。
「あの塔は昔本当に天空城につながってたの?」
マァルがマスタードラゴンに尋ねると、彼は軽く頷いた。
「遥か昔にな」
少しずつ高度がさがる。
ボクらは湖の南側に広がる平地におろしてもらった。
「ありがとうございました」
マスタードラゴンは一度頷いて、再び天空に戻っていった。

湖は波もなく、静かだった。
用意されていたいかだに乗って、ボクらはゆっくり湖の中央をめざす。
ボクらの後ろにいかだが通った跡が波になって残る。しばらく進むと、睡蓮がピンクの花を開いていた。
その向こうに、城が見える。
「あれがそうなの!? 素敵ー」
ビアンカちゃんがうっとりと城を見つめる。
「中はもっと素敵なのよ!」
マァルがビアンカちゃんを見上げた。
ソルはよく分からない、といった顔をした。
その気持ちは分からないでもない。

中に入ると、女の子達の興奮は最高潮になった。
きゃいきゃいとあちこちを見ている。ビアンカちゃんが若いのか、マァルが大人びてるのかは考えないことにした。
ボクらは女王にあいさつして、許可を得て二階にむかって歩きだす。
途中にいる妖精たちは初めて会うビアンカちゃんに興味があるらしく、話し掛けている。
「テス様とビアンカ様が運命で結ばれ、勇者様がお生れになったんですよね」
「そうねー、テスと結婚しなきゃこんな苦労しなかったかもねー」
ボクは思わずビアンカちゃんをまじまじと見つめる。
なんか頭が真っ白で何も考えられなかった。
心臓がものすごいはやさで脈打って、痛い。
「……冗談よ。そんな顔しないで?」
「……」
言葉がでない。
「ごめん」
「……うん」
何とか返事して、ボクはへなへなと座り込んだ。ビアンカちゃんが隣にしゃがんで、ボクの背中を撫でた。
「ごめんね」
「も、いい」
しばらく座り込んで、何とか落ち着いてから二階にむかう。
二階の部屋には、新しい絵がかけられていた。
今度の絵は、風景画。
「何処の絵かしら? 見覚えがあるんだけど……?」
ビアンカちゃんが眉を寄せて絵を見つめる。
絵の所にいた妖精がボクを見る。
「この絵は最近になってマスタードラゴン様から贈られたものです。テス様が絵の前に立って心を開けば、きっと愛しい人に会えるでしょう」
「え?」
ボクは絵を見上げる。
あの時みたいに、どこかへ?

ふわりと浮遊感。
声を出す暇もなく、ボクは絵に吸い込まれた。
283■絵の中で (テス視点)
どうやら、ココはエルヘブンみたいだった。白い絶壁に生える草の緑が目に眩しい。太陽はキラキラと頭上で輝いている。どうやら、朝の慌ただしい時間がおわったくらいらしい。洗濯物がはためいているのが見えた。
村の入り口は相変わらず長い急な階段があって、その近くに困った表情の兵士が一人うろうろ歩き回っている。鎧についた紋章を見ると、グランバニアの兵みたいなんだけど、今使っている鎧とは少しデザインが違っていた。
「パパス王子は一体どこに……。こんな朝早くからまたマーサ殿の所だろうか? 王になられる日も近いというのに、またサンチョ殿や王様にしかられるぞ……」
兵士は頭を抱えてため息を吐いた。

……。
パパス王子とは久しぶりにきいた響き。
お父さんがそう呼ばれていたのを知ったのが、ボクとビアンカちゃんがグランバニアをめざすきっかけになった。

なるほど、妖精が言っていた「愛しい人」って、お父さんやお母さんの事か。

で、
そのまだ若いと思われるパパス王子は、マーサ様の所に行ったかもしれない、と。

で、
そのせいで、サンチョやお爺様(会ったこと勿論無し)に叱られる、と。

つまり。
お父さん(若)は、お母さん(若)と目下大熱愛中。視界狭小、猪突猛進、二人の為に世界はあるの、そんな状況?
うーん、それは見たくない気がする。
聞かせてくれるならともかく、勝手に知っちゃうのは果たして良いのかな?

ともかく、これだけは分かる。
……ボクはどうやら、随分過去にやってきたらしい。
自分が何者なのか言えないのは前と同じだけど、ちょっとエルヘブンを見てまわってみよう。
もしかしたら、お父さんやお母さんに会えるかもしれない。
声を掛けるかどうかは別として、見てみたい気はする。
ボクは入り口の長い急な階段をのぼりはじめた。

村のなかは、ボクが知っているエルヘブンとかわりがなかった。ただ、村のなかを歩いている人が若い。
つまりボクがいったエルヘブンは、この時代から硬直していたんだろう。お母さん以外誰も出ていかず、誰も入ってこなかった。
それは良いことなのかな?
悪いことなのかな?
考えながら歩く。
旅人が珍しいのか、時々村の人にじろじろ見られるのがちょっと変な感じだった。

今、エルヘブンの一番の話題はやっぱりお父さんとお母さんのことらしい。
いろんな噂を聞かせてもらえた。
「最近グランバニアの王子が毎日のようにマーサどのをたずねて来てこまったものだ。パパス王子にはなぜかにくめないところがあって、わが民にもうちとけた者がいるようだし……」
「エルヘブンの民のチカラは年ごとに弱まってきているらしい。だからこそ長老たちはそのチカラを強く持つマーサさまを大事にしているのだ」
「しかしいくらマーサさまがエルヘブンの宝だからって大事にしすぎるのもどうかのう。祈りの部屋にとじこめられて自由に出歩くことすらままならぬとは……」
お母さんに同情的だったり、お父さんに戸惑っていたり。
中には「エルヘブンの娘が外の人間と結婚するのは反対だ」っていってるオバサンもいた。
まあ、この時点でいろんなことを言われるのは仕方がない。これはまだずっと続いていく考え方で、ここが開かれるのはもっとずっと先、魔王が倒れた後の話だ。
だから、ボクは何も言わないでただその話を聞くだけだった。
エルヘブンの村のなかを大体まわった。
最後に立ち寄った家は、ちょうどお母さんがいる祈りの塔の裏手の階段を随分おりた所にあった。
坂に建っている家で、入り口のある所と窓際では柱の長さが違う。窓際のほうが長い。
ノックして中に入ってみると、白髪で髭のお爺さんがいた。そう言えばこの家にはお爺さんが住んでいたのを思い出した。
なるほど、ここも硬直しているわけだ。
家は二部屋のようで、奥の部屋から誰かが喋っている声がぼそぼそ聞こえてきていた。
「おや、旅の方かね。珍しい」
お爺さんは目を細める。
「すみません、お客さまなんですね。お話を聞かせて頂こうと思っただけですので、また来ます」
「ああ、いや、いいんだ」
彼は部屋の奥の方をみた。
「ここまで来るときに色んな話を聞いたじゃろ? 渦中の人物がきとるんだ。誰にも言わないのならかまわんよ」
「ええ、あなたが不利になるようなことはいたしません」
ボクが笑いかけると、お爺さんもほほえんだ。
「まったくパパス殿ほどまっすぐな瞳をした若者もめずらしいわい。その熱い心がマーサ様の孤独な心にしみたんじゃな」
「きっとそうでしょうね」
ボクは笑った。

お父さんはいつだって真っすぐで熱い心をもっていた。

「色男のお顔を拝見してきます」
ボクが言うと、お爺さんは大きな声で笑って「そうしたらいい」と頷いた。

隣の部屋には、大きな机があって、二人の男の人が座っていた。
一人は銀の長い髪をしたひとで、エルヘブンの民族衣裳を着ている。
そのヒトは頭を抱えてうなり声をあげていた。
もう一人が、お父さんなんだろうけど、はっきり言ってしっくりこない。
長めの黒髪を一つにまとめているのや口髭はかわらない家ど、やっぱり知ってる顔より随分若い。
もしかしたら、ボクより若いんじゃないだろうか?
水色の服に白い上着を重ねている。あぁ、王子様なわけだ。
……へんな感じ。
二人は深刻な顔で悩んでいるようで、ボクには気付いてないみたいだった。
「う〜ん……。やはりマーサ様の顔を描くならマーサ様がいないとどうも筆が進まないなあ。しかし祈りの部屋は兵士が守っていて私を通してくれないからなあ。それに先日お金にこまって絵の道具をすっかり商人に売ってしまったし……」
「う〜む。なんとかマーサ殿の絵を描いてもらえないだろうか? お城の名工が王位継承記念のロケットペンダントを作ってくれたので……そこにマーサ殿の絵を入れてやがて来る結婚の日の記念にしたいのだ」

二人の前には、ボクがサンチョから渡されたあのロケットがおかれている。
なるほど、こういう経緯で絵が入ってないんだ、あのペンダント。
それにしたってお父さん。
ボクは結婚するのは知ってるからいいけど、「結婚の記念にしたい」ってそれはさすがに気が早いよ?

そんなことを思いながら話を聞いていたら、お父さんがボクに気付いた。
「おや? あなたは旅の人かな?」
そう言ってボクの全身をじっと見た。
「ほほう……。お見かけしたところかなり旅なれたお方のようだ」
「ええ、まあ、世界は大抵まわりました」
「そうだ! あなたなら妖精の羽ペンとパオームのインクを知っているのではないか!? それがあれば何年も色あせない絵が描けるのだそうだ。もし持っていたらぜひかしてほしい。不躾な願いだとは分かっているが……この気持ちどうにもおさえられないんだ」
お父さんは真剣な目でボクを見た。
そう言うモノは聞いた記憶はないけど、たぶん博物館のゆうじいさんなら知ってるだろう。
ルーラで行って帰って……何とかなるかな?
「わかりました。持ってきましょう」
ボクが頷くと、お父さんはうれしそうな顔をした。
「ではお願いします!」
284■絵の中で (テス視点)
ボクはお父さんたちに一度別れを告げて家をあとにする。
長い急な階段をのぼって、再び祈りの塔のところにもどる。
見える景色は、かわらない。
ここが過去で、若いお父さんやお母さんがいるのが不思議な気分。世界に比べて、ヒトの変化は目まぐるしいな、なんて思った。
ボクは祈りの塔を見上げる。
ここに若いお母さんがいる。
「……会ってみたいな」
ボクは祈りの塔へ足を向けた。

塔のなかは変わりがない。四人の長老がいて、塔の壁添いに階段があった。
「旅の方とはめずらしいですね」
ボクに気付いた長老の一人が声をかけてくれた。
「そのようですね。ここまで来るとき村の人に不思議そうに見られました」
ボクは塔の天井を見上げる。
「ここは何の塔なんですか?」
知ってるけど、知らないふり。
「ここは祈りの塔。マーサ様をお守りするための塔」
「守る? 何から? 噂になっていた男性ですか?」
長老は少し笑った。
「日に日に邪悪な意思が魔界で大きく育っているのを感じます。まだまだわれわれエルヘブンの民のつとめは終わっていないのです」
「噂の男性……グランバニアの次なる国王パパス殿に不満があるわけではありません。しかし王妃ともなれば マーサ様はこのエルヘブンにもどって来られなくなるでしょう」

「マーサ様の力はやがて魔をおびやかし……だからこそ魔に狙われるはず。我々の力でマーサ様をお守りしなくては」
「神に選ばれし者は人なみの暮らし、人なみの幸せはのぞめないのが運命……。それはマーサ様もよくおわかりのはずなのですが」
長老たちはそこで天井を見上げた。
なるほど、このころからお母さんは魔物に狙われてて、それを知っているからこそここの長老たちはお母さんをここから出したくなくて。
あー、うまくいかないもんだなあ。
結末知ってるとなんだかなぁ。
ボクは塔の天井を見上げる。
逢えるだろうか?
長老たちは階段をのぼることは止めなかった。
結論から言うと、ボクはお母さんに逢えなかった。階段をのぼりきった所に兵士が居て、部屋を守っていたからだ。
まあ、止めなかったってことは、そうだよね。
ボクは祈りの塔をあとにした。

村の入り口にある宿屋の所まで戻ってきた。宿の前では若い女の人が掃除をしている。
「こんにちは」
声をかけると、女の人はお辞儀をした。
「こんにちは……旅の方ですね? マーサ様にお会いになりにこられたのですか?」
「ええ、まあそんな感じです。今日は逢えませんでしたけど。……一泊できますか?」
泊まるつもりはなかったけど、話をあわせてみる。宿の女の人は眉を寄せた。
「申し訳ありませんがしばらくは旅の方はお泊めできません。グランバニアから来る王子が、長老さまたちのいかりをかってしまって……」
「ああ、そうなんですか……では逢えずに戻ることになりますね」
「そうだわ。おわびにいいことをお教えしましょう」
女の人は辺りをきょろきょろと伺ってから、ボクの耳元にぼそぼそと小声で言う。
「マーサ様のおつきの兵士はすごろく……? とかいう遊びにきょうみがあるようですよ」
ボクは宙を見つめた。
これって素敵な情報だ。
「……ああ、ありがとうございます」
ボクはにこっと笑って頭を下げると、祈りの塔へ引き返した。


祈りの塔では長老たちが祈りを捧げていた。その後ろをそっと通って階段をのぼる。のぼりきった所に居た兵士はボクを見てため息を吐いた。
「またいらしたんですか? 何度きていただいてもこちらは御通しできません」
「まあ、そう言わず」
ボクは袋からすごろく券を取り出してひらひら振った。
妖精の城での事がすぐ終わっちゃったら、カジノ船に遊びにいこうと思って持ってきたものだけど、使えるときに使わなきゃ。
「そ……それはすごろく券!? ううっ夢にまで見たウワサの……!」
兵士の目はすごろく券に釘づけになっている。
ボクは兵士の手にすごろく券をそっとにぎらせて、にっこりと笑う。
兵士は咳払いした。
「ご ごほん! あ〜私はちょっと長老さまにお話が……。ではこれにてっ!」
階段をおりていく兵士に手を振って、ボクは部屋に入った。

部屋に入った所にテーブルと何脚か椅子があって、そこに小柄な女性が座っていた。
華奢な体付きで、黒い髪を腰より長くのばしている。ふっくらした唇は綺麗な形をしていて、桃色。
真っ黒なつやつやの大きな瞳はキラキラと輝いている。
物凄く若い。
ボクが、ビアンカちゃんと再会したときよりも、きっともっと若い。
女の人というより、女の子って感じ。
可愛い。
彼女が、お母さん?
お母さんがボクを見て笑った。
「あら? 兵士がお客さまを入れるなんて珍しいわね。それともあなたのその目に心をうばわれたのかしら?」
立ち上がって、ボクの顔を覗き込むように見上げる。
「兵士さんは長老様に呼ばれたそうですよ? ボクは何もしてません」
ボクは彼女に笑いかけた。
「あなたどこから来たの? なんだかふしぎな感じがするわね……」
「外からですよ」
「村の外って広いんでしょ?」
ボクはうなずいた。
村の外は広い世界が広がっている。そして、絵の外にも。
ボクはここの世界に属さない。
お母さんが不思議な感じを感じるのは、そのせいなのか、それともお母さんがボクとの血の繋がりを感じるからか。
ともかく、「マーサ様」の力はすごいらしい。
「村の外って見てみたいわ」
「近いうちに見れると思いますよ?」
「だといいわね」
彼女はほほえんだ。

部屋のすみっこで、スライムがぽよんと跳ねた。
「ダメよ、出てきちゃ」
彼女は慌てたようにスライムに言う。
「平気です。なかなか可愛い顔をしたスライムですね。それになかなか美形」
「魔物は恐くないの?」
「あのスライムは悪いことしないでしょ? あなたに懐いているみたいだし」
ボクはスライムに近寄って撫でる。
「ぴきー、マーサ様大好き」
「うん、大切にしなきゃね」
ボクはスライムに笑いかける。スライムは嬉しそうに体を震わせた。
「さて、マーサ様にもお会いできたし、ボクはそろそろ行きます」
「待って」
階段をおりようとしたボクの手をお母さんがきゅっと握った。
「あなた、お名前は?」
ボクはしばらく黙る。
言っても良いんだろうか。
ま、いいか。
お母さんなんだし。

「ボクはテッサディールと言います。親しい人はボクをテスと呼びます」
「そう」
彼女はほほえんだ。
「また逢えると良いわね」
「きっと逢えます」
ボクは祈りの塔を出て、すぐに絵の外をめざした。
285■妖精の羽ペン (テス視点)
「あ、お父さんお帰りなさーい」
絵の外での意識を取り戻したボクに、マァルとソルが駆け寄る。
「また気を失って固まっちゃうんだもん、ぼく心配しちゃったよ」
「うん、ごめんね」
ボクは二人の頭を撫でて、少し離れたところでビックリしているビアンカちゃんに近寄った。
「……ホントにあの絵のなかに?」
「うん。すごく昔のエルヘブンに繋がってたよ」
「……凄い。二人に、前ここでテスが絵の中を旅してきた話を聞きながら待ってたんだけど、ホントなのね?」
「うん」
「いいなぁ、私も行ってみたい」
ビアンカちゃんがつまらなさそうに唇を尖らせた。
「エルヘブンで何をしたの?」
ソルがボクを見上げる。
「絵のなかのエルヘブンには、若かった頃のまだ結婚してないお父さん……お爺様とお婆様がいたよ。お爺様はお婆様に一目会って、その絵を画家に描かせようとしている。お婆様は塔に捕われた姫さまみたいだったよ」
「駈け落ちしちゃう前ね?」
ビアンカちゃんは首を傾げた。ボクはうなずく。
「なんだか恥ずかしかったよ」
「それで、これからどうするの?」
マァルがボクを見上げて首を傾げる。
「お爺様は、パオームのインクと妖精の羽ペンって言うのを探していたんだ」
「探してあげるのね?」
ボクはうなずく。
「ボクはその位しか手伝ってあげられないからね」
ソルとマァルが歓声をあげて手を叩きあう。
「ねえ、若い頃のお義父様やお義母様ってどんな感じだった?」
ビアンカちゃんが好奇心に目を輝かせる。ビアンカちゃん、お父さんのこと好きだからなあ。
「当然だけど、若かった。お父さんは今のボクよりちょっと若いくらい。まだ旅をしてないからか、記憶ほどがっちりしてなかったかな」
「へえー」
「お母さんは、もっと若かった。もしかしたらお父さんとは結構年令差があるのかもね。……なんかね、すっごく可愛かったよ。小さくて人形みたいでね、そりゃお父さんよろめくよ」
ビアンカちゃんが眉を寄せて不機嫌そうにボクを見上げた。
「……テスもよろめいたの?」
「……あのさ、どんなに可愛くても、お母さんだよ? 恋敵お父さんだよ?」
「ああ、勝ち目なし?」
「そう言う気持ちにはならないって事。……ビアンカちゃんの中でのボクとお父さんの評価がどうなってるかはよく分かったよ」
ソルとマァルは慣れきって「またか」と言ったようにあくびをした。
絵の管理をしている妖精は苦笑していたけど、話が一段落したところで近寄ってきて、一度お辞儀をしてから、話を聞かせてくれた。
「パオームのインクと妖精の羽ペンですが、詳しいことをこちらの一階にお住まいの賢者様がご存じだと思います」
「ホント!?」
ソルは妖精を見上げる。彼女はうなずいた。
「確かどちらもお使いになっておられましたから」
「あ! 確実に知ってるね!」
マァルは嬉しそうに笑う。
ボクらはお礼を言ってから一階にむかった。


本の山に囲まれたような狭い部屋にそのお爺さんはいた。白い髭と髪が一緒になって、紫のローブにかかっている。「賢者様」と表現されるに相応しい風貌だった。
「おや、どうされましたかな?」
「あなたがパオームのインクと妖精の羽ペンをよく知ってらっしゃると伺ったので、教えて頂けないかと思いまして……」
ボクは手短に用件を話した。賢者様はうなずくと、書き物をしていた手を止めて、使っていた羽ペンを見せてくれた。
「これが妖精の羽ペンだ。残念だが、今は私の分しかないのでこれはお譲りできないが……妖精の国の図書館へ行けば分けてもらえるだろう、確かまだ作っているはずだ。……パオームのインクは、北の教会で作っているものだ。グランバニアの北に小さな教会があるだろう? あの教会でのみ作っている特産品だな」
「お爺さんすごーい! 物知りだね!」
ソルはお爺さんを尊敬の眼差しで見上げた。お爺さんは少し嬉しそうに目を細める。子ども好きなのかもしれない。
「お父さん、貰いにいこう?」
マァルがボクの手を引っ張った。


ボクらはまず、妖精の国にむかった。相変わらず春で、暖かい風が吹いている。
地面は若い緑の草に覆われていて、その緑のあいだに黄色や白い花が咲いていて、風に揺れていた。
「ここが妖精の国!?」
「ビアンカちゃん初めてだっけ?」
「初めてよー? テスたちが行ったところ、ほとんど行ったことないもの。テスのお休みを全部旅行にあててもらってもずいぶんかかるくらい、いろんな所行ったんでしょ?」
「そんなにたくさんでもないよ」
ボクらは妖精の国、ポワン様がいる村のある大きな桜のほうをめざして歩きながらそんな話をした。
「妖精の国もお城も初めてだったし、天空城だって一回行ったきりだし、なんとか言う塔も行ってないし、あと……」
「塔はいや……」
指を折りながら場所をあげるビアンカちゃんに、マァルが難色を示した。
「じゃあ、塔はあきらめましょっ! ともかくっ行きたい所はたくさんあるのっ」
ビアンカちゃんは右腕を拳にして振り上げる。
「わかったわかった。この次の休みはまたどこかへ行こうね」
ボクが降参した頃、漸く妖精の村にたどりついた。


「あら? ベラにご用?」
図書館で働いていたルナがボクらに気付いて本を持ったまま足を止めた。
「あ、いや、あとで逢うとして……今回は違うんだ。妖精の羽ペンって言うのを探しにきたんだ」
ルナが目を大きく見開いた。
「あるわよ? 一本あげるわ」
そう言って窓際の机の引き出しから、羽ペンを取り出した。
「妖精の羽ペンって、ここでしか文字かけないのよ? 他の所だと見えないの。……パオームのインクを使うと書けるんだけど」
変なもの欲しがるわねー、なんて言いながらルナは羽ペンをくれた。
「ありがとうルナ」

その後、三階にポワン様とベラに会いに行った。
「新しい絵、見に行けた?」
ベラはボクらに気付いて駆け寄ってきた。
「うん、それでこっちに寄せてもらったんだ」
「素敵な絵でしょ?」
「……ちょっと恥ずかしかったよ」
「えー?」
ベラは不思議そうに眉を寄せる。
「でも素敵な絵だった。幸せになれるように全力で取り組むよ」
「……やっぱり何言ってるのか分からないわ」
首を傾げるベラにボクらは笑って、結局説明をちゃんとしてから別れた。
結果はちゃんと教える約束をした。
286■パオームのインク (テス視点)
グランバニアの北にある小さな教会に来たのは、これが二度目。
初回は短い時間しか立ち寄らなかった。
ビアンカちゃんがさらわれて、それを追っていたとき立ち寄っただけ。
あの時はボクに全く余裕がなくてちゃんと見ることが出来なかったけど、今きちんと見てみると小さいながらがっしりとした作りで、ステンドグラス越しの光は柔らかくて綺麗だった。
あまりたくさん人は居なかったけど、暖かい感じのするいい教会だ。
「パオームって、魔物の名前だよね?」
ソルは椅子に座って足をぶらぶらさせながら天井をみあげる。
「うん、三つ目の象で、立派な牙があるんだ。……オタケビがすごい奴」
ボクが答えると、ソルは首を傾げた。
「だよね? 何でそのパオームがインクになるのかな?」
ボクらがそんな話をしていたら、入り口の掃除をしていたオバサンがこっちへ来て話を聞かせてくれた。
「パオームのインクはね、魔物のパオームの牙を刳り貫いて、その中に特別なインクを入れて熟成させるのさ。そうするといつまでも色褪せない特殊なインクが出来上がるんだ」
「すごいんだねー」
ソルは目を見開いてオバサンを見る。
「この教会に伝わる伝統品さ。今も作ってるんだよ」
「今も? やったねっ」
ソルが歓声をあげる。
「パオームなんてそうそう居ないでしょう?」
ボクが尋ねると、オバサンは懐かしそうに目を閉じる。
「十年くらい前だったかねえ? うちの教会前でパオームが死んでいた事があったんだよ。死に際の顔は安らかでね。そのパオームの牙を使ったのさ」
「分けて頂きたいのですが……」
ボクが言うと、オバサンは「ちょっと待っとくれね」なんて言って教会の端にいたお爺さんに声をかけた。
「パオームのインクってどうだったかね?」
「どうって何じゃよ?」
お爺さんは困ったように言うと、立ち上がってこちらへ来る。
「もう出来たんだっけ?」
「ああ、先日熟成が終わったところだ。まだ貰い手は決まっとらんがな」
「じゃあ、このお兄ちゃんに一個わけたげとくれ」
オバサンの言葉にお爺さんはボクとソルを見た。
「……ま、いいじゃろ。ワシはインクの良さを伝えられればそれでエエんじゃ」
そう言うと、お爺さんは隅の部屋から入れ物になった角を持ってきてくれた。
「これがパオームのインクだ。うまく使ってくれれば良い」
「ありがとうございます」
ボクが頭を下げると、お爺さんはもう一度じっくりボクを見た。
「……おまえさんどっかで見た気がするな」
「十年くらい前にも来たことがありますから」
ボクが笑うと、お爺さんは首を傾げた。
「さて、二階に行ってるビアンカちゃんたちを呼んでこよう」
「うんっ」
ソルが椅子からぴょいっと飛び降りる。
「お爺さん、インクありがとう!」
ソルは言うとボクの手を引っ張った。
「お父さん、行こっ」


二階は、北向きの壁一面がステンドグラスになっていて、高い天井はしっかり組み上げた柱が見えるようになっていた。
「あ、お父さん」
二階の階段付近にいたマァルがボクに気付いて駆け寄ってくる。
ボクにぽふっと抱きついて、顔をまじまじと見上げた。
「どうしたの?」
「なんでもないの」
マァルはにこりと笑う。
「ビアンカちゃんは?」
尋ねると、マァルはステンドグラスのほうを指差した。ビアンカちゃんはステンドグラスの色に染まりながら、一人のお婆さんと話をしていた。
「あ、テス。聞いて? この方ね、お義父様の……パパスさんの事を色々聞かせて下さったの」
ビアンカちゃんは、わざわざお父さんの事を名前に言い直してからボクを見た。
「そうなんだ」
近寄ると、お婆さんはボクをまじまじ見つめた。
「ああ、パパスさんの息子さんかね。確かに似ているねえ」
にこにこ笑ってボクの手を撫でた。
「父はどんな人でしたか」
「いい男だったねー、わしゃ長いこと生きてきたが、あんないい男他に見たことないわ」
「あ、そうなんですか」
なんと答えたものか苦笑する。
「パパスさん格好良かったものねー」
ビアンカちゃんもうっとりする。
「……そうだね」
自分でもお父さんに適わないのはよく分かってるけど。
例え相手がお父さんとは言え、やっぱりビアンカちゃんがボクじゃない男の人にうっとりするのは気分が悪い。
「テスもパパスさんの血をひいてるんだもん、見込みあるわよ?」
「……見込みね」
ボクは曖昧に笑った。
「お爺様はそんなに格好良かったの?」
マァルが尋ねると、ビアンカちゃんは力強く頷いた。
「素敵だったのよー?」
「会ってみたかったなぁー」
うっとりする女性陣を複雑な気持ちで見ていたら、ソルがボクの手を握った。
「お父さん格好イイよ? 大丈夫だよ?」
「ありがとうソル。味方はソルだけだよ」
「……お爺様は凄そうだけどね」
「……凄いんだよ。……がっくりするからこれ以上聞かないで」
「……大人って大変なんだね」
ため息をついたソルの頭に、ボクは手を乗せる。
「まだ悟らなくていいよ」
心に隙間風が吹いた気分のボクとソルに、ビアンカちゃんが向き直る。
「二人ともちょっと老け込んだみたい。冗談なんだから真面目にとらないでよ。テスは素敵よ?」
「この前からビアンカちゃんの冗談はキツすぎだよ」
ボクは口を尖らせた。
「ごめんってば。……パオームのインクはいただけたの?」
「わけてもらえたよ」
「じゃあ、届けてあげましょ?」
「お父さんの力になれて楽しい?」
ボクが尋ねると、ビアンカちゃんは口を尖らせた。
「その聞き方は素敵じゃないわ」
「えーえー、ダメな男ですよー」
ボクが先に階段をおりると、背後でソルの声が聞こえた。
「お父さんはお母さんがお爺様の話ばっかりするから淋しいんだよ? 許してあげてね?」
なんだってソルは時々人間関係に悟り切ったことをいうんだろう。

それに続けてビアンカちゃんの笑い声が聞こえた。
「わかってるわよー? 私はテスがだーいすきだから、時々意地悪したくなるの。ソルは心配しなくていいのよー?」
「ふーん」
そんな確かめ方ないんじゃない? とか
それって本音? とか
さすがにひどいんじゃない? とか
言いたいことはたくさんあったけど、結局言わなかった。
どうせ言っても負けるしね……。
……というか、好きな子に意地悪するのは小さな男の子でしょ。それってどうなのビアンカちゃん。
287■微笑み (テス視点)
パオームのインクと妖精の羽ペンを持って絵の前に立つ。
「よろめかないでね?」
絵のなかに意識を集中しかけたとき、ビアンカちゃんがボクのマントを引っ張った。
「そういう対象じゃないって言ってるでしょ」
ボクは苦笑する。
ソルが不思議そうにボクとビアンカちゃんとを見比べる。それとは対照的にマァルははぁっとため息を吐いた。


エルヘブンは見た目何にも変わらなかった。いつ来ても変化が感じられない村だから(ボクが鈍いだけかも知れないけど)お父さんに羽ペンとインクを頼まれてからどのくらいの時間がたっているのかわからない。
少なくとも、ボクが絵のなかにいる間は時間が流れている。それは分かっている。
けど、絵から離れている間に時間がどうなっているのかわからない。
まだお父さんはいるだろうか?
考えながら階段を祈りの塔にむかって歩く。
思い立って塔のなかを覗いてみると、長老達はまだ祈りを捧げていた。
ボクはそっと階段をのぼってみた。階段の終わりにいたはずの兵士もいない。
もしかしたら……時間は進んでない?
ボクはお母さんの部屋に辿り着く。
「あら? 忘れ物でもしたの?」
お母さんがボクに気付いてにこりと微笑みながら尋ねた。
「……えと……そうではなくて……あの、ボクがココをでてどのくらいたってますか?」
「変なこと聞くのね? そうね……十二・三分くらいかしら? 村の入り口で引き返してきたの?」
「ええ……まあそんなところです……。あ、ボク用があるので……お邪魔しました」
「……変な人ね」
お母さんは笑う。
「また来るかも知れませんけど」
お母さんが首を傾げた。
「まぁ、色々あるんです」
「不思議な人」
「あ……長老達はいつまで祈りを捧げているんでしょうか?」
「……そうねぇ、あのお祈りは結構時間がかかるから……あと二時間は続くと思うわ」
お母さんは少し首を傾ける。
「ありがとう」
ボクは軽く手を挙げると、あいさつもそこそこにボクは階段をかけおりた。


祈りの塔の裏手の階段もかけおりる。角をまがって、お父さんがいるはずの家に入った。
「おや、早い到着だね」
家の主人の髭のお爺さんが驚いてボクを見た。
「頼まれたものはどちらも所持していたので……世界の名産品を集めて旅をしてるんです」
この答えは、まぁ、嘘じゃない。
ボクが答えていると、隣の部屋からお父さんと画家さんが顔をだした。
「おお、きみか」
「お待たせしました。村の外の馬車に置いてたので……」
「なんと! 妖精の羽ペンとパオームのインクを持ってきてきださったのか! ありがたい! さっそくお借りしますぞ!」
お父さんは顔をほころばせる。すごく嬉しそうで、見ていて嬉しいし、微笑ましい。
ボクは妖精の羽ペンとパオームのインクをパパスに手わたした。
お父さんは暫くそれらをまじまじと見つめて、それから頷いた。
「あとはマーサどのの祈りの部屋の番人をどうするかだが……」
お父さんは祈りの塔のほうを見上げて、眉を寄せた。
「あぁ、番人の方なら暫く戻ってきませんよ。ちょっとお出かけしてもらいましたから。長老たちは今祈りの時間で暫くは塔に入っても大丈夫ですよ」
ボクは壁にもたれて少し笑いながら言う。
「え? 番人の兵士は出かけてるって? なんということだ……。なぜそこまでしてくださるのだ……」
「助けてもらったからです」
「……お会いしたことは無かったはずだが……」
お父さんは首を傾げる。
そう、ボクが助けてもらうのはまだずっと先で、でもずっと昔の話。
今の彼には、わからない話。
「ボクが結婚するとき、周りにいる人たちに沢山助けてもらったからです。だから、ボクも誰かを助けてお返しがしたいんです」
ボクは微笑んでみせた。
これだって本心だ。
「ともかく今はお言葉に甘えることにしよう」
お父さんは画家の男の人を見た。
「それではマーサどののところへまいりましょう、マティースどの!」
「まいりましょう! いざ!!」
画家さんは頷いて立ち上がる。二人は早足で家をでていった。

 

ボクはゆっくりと階段をのぼり、祈りの塔へむかう。純粋に、画家さんがどんな風にしてどんな絵を描くのか興味があった。
それに、お父さんとお母さんがどんな風に話をするのか見てみたかった。
ボクはその風景を見たことが無い。
少し楽しみ。

塔の中のお母さんの部屋に、三人が集まっていた。
テーブルの向こうにお母さんは座っている。画家さんはその向かい側に座っていて熱心にスケッチしている。お父さんは画家さんの前で少し恥ずかしそうに頬を染めているお母さんをやわらかく微笑みながら見つめていた。
二人はそれといって話をしてないけれど、素敵な風景だった。
階段に一番近い所に座っていたお父さんは、ボクに気付いて軽く手を挙げた。
「おおあなたは! おかげでこのロケットペンダントに絵を入れることができます。申し訳ないが少し時間がかかるので、いったん帰ってからまた来てくれないだろうか? お借りした道具は絵が完成したらすぐにお返しします」
ボクは頷いた。
「ゆっくり使ってください」
「ありがとうございます」
お父さんは深々と頭を下げる。ボクは思わず頭を下げた。
それから画家さんの後ろから近寄って、絵を見ながら声をかけた。すると画家さんは少し不機嫌な声を上げた。
「悪いが話しかけないでくれ。ロケットに入れるような小さい絵は色づけがむずかしいんだよ」
小さな紙に描かれた絵は、お母さんにそっくりで、とても腕の良い画家さんだというのがわかる。
邪魔をしちゃいけない。
ボクは今度はお母さんに近づいた。
お母さんは少し緊張して、そして恥ずかしいらしい、困ったような顔で、両手を膝においている。
「緊張してますね」
「なんだかはずかしいわね。でもパパスさんがどうしてもって……」
お母さんは少し笑った。
「私にこんなにまっすぐ近づいて来る人は誰もいなかったわ。神に授かったこの力が人びとをおそれさせるから……」

その神様はあの人、と思うと多少いたたまれない。
もしかしたら、もうあの洞窟でぐるぐる回ってるのかも。
二十年以上って言っただけだから、三十年前のこの時点でも、回ってる可能性はある。
ボクはお母さんを見た。
小柄で弱々しくて、でも意志が強くて素敵なお母さん。

……プサンさんの馬鹿。

ボクは目が合ったお母さんに笑いかける。
「お幸せに」
「あなたも」
お母さんも笑った。
「では、お邪魔しないように、ボクもう行きますね」
ボクは手を振って階段をおりた。
振り返らないで。
288■別れ (テス視点)
一度絵の外へ戻ることにした。
一緒に絵が完成するのを待ってもよかったけど、たぶん画家さんは絵に集中して無言だろうし、かといってお母さんをじろじろ見てたらお父さんと決闘する羽目になるかもしれないし、第一ボクは部外者だから一緒にいる理由がない。
昔のエルヘブンで今のボクに有益な話が聞けるとも思えなかったし(聞ける話は大抵お父さんの悪口だろう)あまりここに居る利点を見いだせなかった。

絵の外では、ビアンカちゃんたちが優雅にお茶を飲んでいた。
「あ、お父さんおかえりなさーい!」
マァルがボクを見てにっこり笑った。
「……お茶?」
「妖精さんがね、待ってるのも大変だろうからって」
「……ふぅん」
なんか、微妙に納得できない何かが……。
ちょっと考え込んでしまったボクを見てソルはほっとした顔をした。
「全部おわったの?」
「またちょっとしたら、インクとか返して貰いに行くんだ」
「……そっかー」
今度はあからさまにがっくりした顔をする。
ソルは、妖精の国でもここでも、女の子ばっかりで居心地が悪いって前言ってたっけ。
さらに今回はお茶会つき。
じっとしてられない性分だから、ソルにとっては辛いかもね、確かに。
ボクは同情しながら、ビアンカちゃんの隣に座った。
「ボクのもある?」
「もちろん」
ビアンカちゃんはほほえんだ。

夕方になってきたから、ボクは再び絵の中のエルヘブンへ向かう。
エルヘブンも夕焼けに染まっていて、白い崖も、その崖にしがみつくように建った家々の白い壁もきれいなオレンジに輝いていた。
ボクはゆっくりと祈りの塔をめざす。もう絵は描きおわっただろうか? うまく描けたのかな? まだ描いてたりして。
なんて色んな事を考えながら歩く。夕方なせいだろう、あちこちから風に乗っていい匂いがする。窓からは暖かな光が漏れはじめる。
どの街でもこの時間帯はゆったりとした時間が流れていて、そして人の生活に密着している。ボクはこの時間帯がとても好きだ。
うれしい気持ちになりながら歩くと、やがて祈りの塔が見えてきた。相変わらず、ひっそりとたっている。
中をのぞいてみると、長老たちはただ静かに、ひっそりと寄り添いあっていた。
心なしか、淋しそうに見える。
「?」
ボクはあいさつしないで階段を駆け上がる。まだ番人は戻ってきていなかった。
この村で一番高いところにある部屋は、窓の外からのオレンジに染め上げられていてとてもきれいだった。

部屋には誰もいなかった。

部屋の隅でスライムが跳ねた。
「こんばんは。……ココの人たちは? お母……マーサ様やパパスさんは?」
「行っちゃった」
「……あ、そうなの?」
ビックリした。
「マーサさま言ってたよ! キミとはきっとまた会える気がするって! ありがとうって」
まさか、もう行っちゃうなんてね。
ボクはスライムを撫でた。
「うん、きっと逢えるよ。マーサ様が言うんだ、間違いないよ。……きっとすぐあえる。そしてずっとずーっと先に逢える」
スライムは不思議そうな顔をした。
「ボクはね、知ってるんだ」
「……ふーん?」
「マーサ様は好き?」
「うん!」
「じゃあ、南」
「?」
「逢いたかったら、南。グランバニアって国。きっと逢えるよ」
ボクは立ち上がる。
「じゃあ、ボクは行くよ」
「ぼく、逢えるかなぁ?」
スライムの言葉にボクは頷くと、階段をおりた。

塔の裏手の階段をおりて、お父さんと画家さんがいた家にむかう。
家の主の髭のお爺さんと画家さんだけが中にいた。
画家さんがボクに気付いて軽く手を挙げてから笑った。
「ああ、もどって来てくれたんだね。大事な道具をありがとう。たしかに返したよ」
そう言って、彼はボクに道具一式を返してくれた。ボクは受け取って袋にしまう。あとで名産品博物館のゆうじいのところへ持っていこう。
「そうそう。パパスから伝言だ。”助けてくれて本当にありがとう。次に会うときにはこの命にかえてもきっとお礼をするから。”だってさ。完成した絵をうれしそうに持っていったぜ。今ごろふたりは東の海に出る頃かな……」
画家さんはそう言って窓の外をみた。

ボクは思わず息を呑んだ。

”次に会うときにはこの命にかえてもきっとお礼をするから”

お父さんの笑顔を思い出す。
そして最期の絶叫を思い出す。

こんな時から
お父さんは……
ボクの事を守る誓いを立てて
そして本当に守ったんだ。

お父さん……。

うまく言葉がまとまらない。
心のなかの、なにか言葉に出来ない気持ち。
じんわりと悲しくて、
悔しい。
でも暖かい。
お父さんは約束を守って
ボクを命懸けで守ってくれた。
愛してくれた。
時間軸はちぐはぐな事になったけど、ボクは漸くお父さんに恩返し出来たのかも知れない。

「……どうしました?」
画家さんは不思議そうに眉を寄せてボクをみた。
「……彼は……その誓いを守ったんですよ」
「守ったって……未来に会うことがあれば、でしょう?」
困ったようにいう画家さんにボクは力なく微笑んだ。
「この件についてはボクは世界一の預言者ですから」画家さんはまた不思議そうな顔をした。
「もう行きます。……父母の力になってくれてありがとうございました」
「は?」
深々と頭を下げるボクの頭に声が降っててきたけど、ボクは答えないで家をあとにした。

絵の外に戻る。
ビアンカちゃんは、呆然としたボクの顔を不審そうに覗き込んできた。
ボクは無言でビアンカちゃんの胸に顔を押しつける。
泣きたい気分だった。
「……テス?」
ボクは答えられなくて、そのまま無言でしばらくじっとしていた。
涙はでなかったけど、たぶんボクは泣いていたんだと思う。
ビアンカちゃんは何も言わないでずっと頭を撫でてくれていた。
「お疲れさま。……よく頑張ったね」
「うん。……ただいま」
289■全部終わって
全部おわって、ボクらはグランバニアに帰ってきた。
ベッドに突っ伏して大きく息をはいたら、色々なことから解放された気がした。
ビアンカちゃんはボクの隣に座って、静かにボクの頭を撫でてくれている。
「ビアンカちゃん」
「なぁに?」
「……ありがとう」
ビアンカちゃんはびっくりしたような、きょとんとしたような顔をしたあと、柔らかく微笑んだ。
「どういたしまして」


「あ」
ボクは思い出して体を起こす。
「どうしたの?」
「ボク、ここへ戻ってきたとき、サンチョから貰ったんだよね」
「何を?」
「絵の入ってないロケット」
「意味なーい」
ビアンカちゃんは呆れたような声をだした。
「お父さんたちの結婚記念品だったらしいんだけど。絵を入れてくれる職人がいなかったんだって」
ボクは説明しながら、ロケットをしまった棚をあける。華奢なデザインのペンダントは相変わらずきれいに光っていた。
「ボクは過去のエルヘブンでペンダントに入れる絵をかく道具をそろえる手伝いをしたわけで……」
ボクはロケットをあける。

さっきまで会っていた、若いお母さんが微笑んでいた。

ビアンカちゃんが覗き込もうとして背伸びする。ボクは少し体を屈めて、中を見せてあげた。
「入ってるじゃない」
ボクは笑った。
「手伝いをしたからね」
「あ、そっか!」
ビアンカちゃんは手を軽く叩いてから、もう一度絵をみた。
「可愛らしい方ね……確かにお義父様がよろけちゃうの、わかる気がする」
そう言って、ボクを見上げた。
「よろめいた?」
「そんな風に嫉妬するビアンカちゃんにね」
答えると、ビアンカちゃんは耳まで真っ赤になってボクの鼻をつまんだ。
「痛いよ」
ボクは鼻声で抗議しながら、ビアンカちゃんの髪を撫でる。
「これまで、いっぱい迷惑かけてごめんね。碌でもない目にあわせたし、危険な目にあわせてばっかりだったし、本当に申し訳なく思ってる。ボクのこと、見捨てないでくれてありがとう。……今までずっとのんびりできなかったから、これからは目一杯のんびりしようね」
鼻声だけど、気にしないで言う。ビアンカちゃんはあわてて手を離した。
「だから、これからもよろしく」
笑いかけて頭を下げると、ビアンカちゃんも頭を下げる。
「こちらこそよろしく。……のんびりするのもいいけど、たまにはドキドキする事もしようね」
「たとえば?」
ビアンカちゃんは視線を宙に漂わせてから、何かを思いついたらしく、目を輝かせた。
「……おばけ退治とか!」
ボクは思わず笑う。
「じゃあまず、いじめられてる猫を探さなきゃね」

ボクらのドキドキは、きっとあの頃からつづいてる。
そして、
多分ずっとつづいていくんだ。
これからも。


夢を見た。
ここはどこだろう。
しばらくあたりをみて、ここがグランバニアの自分の部屋だと気付く。
けど、置かれている調度品の場所や、かかっているカーテンの柄なんかが違う。
だからすぐわからなかったんだろう。

ボクは空中にいるみたいに、部屋を斜め上から見ていた。

まだ明るくて昼間みたい。
けど部屋にはベッドに横たわる女の人しかいない。
黒い髪の女の人。

お母さんだ、とすぐ気付く。
よく見ると、お母さんの隣にはまだ生まれてすぐみたいな黒い髪の赤ちゃんが眠っていた。


ドアが開く。
「マーサ!」
ちょっとだらしないくらい嬉しそうな顔をしたお父さんが、部屋のなかに入ってきた。
「あなた」
お母さんが微笑む。
「男の子よ。きっとあなたに似て強くて素敵な子になるわ」
お母さんのことばに、お父さんはベッドに眠る赤ちゃんを見た。
「……なんだか不思議な気分だ」
「私もですよ。……私たちの赤ちゃん。……健やかに育ってね」
「さっそく名前をつけなければな」
お父さんはそわそわした感じで腕組みをしてその辺を歩き回る。
「そうだ! トンヌラと言うのはどうだろう!」

いやいやいや。
まってまってまって!
思わず言ってしまったけど、ボクの声は聞こえないようだった。

お母さんは笑う。
「まあ、素敵な名前。強そうで、勇ましそうで」

ちょっと待って!、
正気なの!?

「でも、私も名前を考えていたの」
「ほう」
「テッサディールと言うのはどうかしら? テスって呼ぶの」

ありがとうお母さん!


お母さんの提案に、お父さんは難色を示す。
「なんだかパッとしない名前だな」

トンヌラはどうなの!

「が、おまえが気に入っているならそれがいいだろう」
お父さんはそう言うと、お母さんの頭を撫でて、それからボクを抱き上げた。
「今日からおまえはテスだぞ、息子よ」
小さなボクは一瞬笑った。
「あなたもきっと気に入るわ」
お母さんは微笑む。
「エルヘブンで私たちを助けてくださった旅の方のこと、覚えてらっしゃる?」
「もちろんだ、忘れるわけがないだろう?」
「彼のお名前なの。テッサディールって。私たちを結び付けてくださった方のお名前をいただくの」
そう言って、お母さんはお父さんの腕のなかのボクを見る。
「ずっとこの子が、私たちを結び付けてくれるのよ」
「なるほど」
お父さんは納得したようにうなずいた。
「それは良い」
お父さんは笑ってボクを見る。
「あの青年のように、他人のため懸命になれる人に育ってくれたら良いな」
「でしょう?」
お母さんは少し得意そうに微笑んだ。



目が覚めた。
周りで、ざわざわと音がする。
そうだ、ボク、お父さんと船にのってサンタローズへ帰るんだった。
起き上がると、お父さんはボクに背を向けて椅子に座って、何かやっていた。
ボクはおきていって、お父さんの顔を見上げる。
「あのね、ボクが産まれるときの夢を見たよ」












■初回に戻る(笑)

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