その1



三重県津市 奥野 秀和

まえがき     

これは、私が50数年の体験をふまえて、数年前に発表したものである。
 現在の社会の混乱、教育界の混乱はうわべだけの処理ではすまされないものがあり、以下述べるような事柄からやり直さねばならないことである。
 それは、子供が生まれて2・3歳から10歳、小学4年生くらいまでの間に「人間形成」を行うというもので、つまり・・・

  • 物事の善悪、権利義務、世の中の道理等と、それを判断できる能力を先ず身に着けさせること。これが先決で、それと平行して各学科目を教えるのである。
これがなされていないと、人間の形をしながら人間の心を持たない「フランケンシュタイン」のようなものが出来あがるのである。

・野獣の群れ!
 戦後50年、こう言った事柄が自由、自由と言ってなおざりにされてきた結果が、今のこのような混乱した世の中になってしまったのである。
 例えば「学級崩壊」「キレる」等のほかに、今まで無かった様な変な犯罪が次々と起こって来るのである。
「ストーカー」「拉致監禁」意味の無い「通り魔殺人」等、枚挙に遑が無い程である。
 こう言った犯罪を犯す連中は人間の格好をしていても人間の魂を持たない獣(けだもの)つまり「野獣の群れ」である。
 
一日も早くこれを是正しなければならない。
改革とは部分的なもので、これの寄った(集まった)ものが革命である。
これは革命でなければならない!
現在ややこう言った気運が盛り上がりかけている。
この機会を逃さずに行動を起こそうではないか!
 これを読まれた人々が一人一人頭の中に置いて、それぞれが行動(実践)して頂ければ、これは立派な無血革命である。

 これは戦前の事を少しでも知っている人たちが次代に伝えていかねばならない宿題でもある。

 21世紀を担う皆さんのご協力を、お願いする。

 以下の論文は平成6年に発行されたものである。どのような方法で発表すべきか悩んだが、一つの試みとして、この様な形になったものである。




はじめに



 いじめ、校内暴力等の問題が取りざたされてから久しくなる。
これらの事がらは、昭和三十年代頃から盛んになり、おさまるどころか、年々エスカレートして止む気配がない。
以来、これまでにも何度となく、それらの事がらについて会合等がもたれたが、これと言った名案、解答が出ず今日に至っている。
 かく言う私も市井の片隅から、じつと見つめていた。早い時期から其の原因と対策について一つの考えをもっていた。それは年を経るごとに自信を深めつつある。しかし一市民としては、発表の機会もないままに打ち過ぎていったのである。
一方、いじめ、校内暴力等による事件は陰惨を極め、自殺、マット殺人等の生命にかかわる様になって来た。

もうだまってはられないとペンを執った次第である。


その1 発端。


 最近の世相は殺伐とした事件が続出して眼を覆わしめるものがある。まるで終戦直後の明日をも知れぬ時代の様である。いちいちとり上げるまでもなく、御存知バラバラ殺人の多発、誘拐殺人、いじめ、校内暴力等に至っては、ついに生命にかかわる事件が起っている。
 学校問題に関しては、昭和三十何年頃からぼつぼつ起り始めたもので、当時私は紀州方面に仕事で行っており、O中学の校内暴力の事が、よく新聞に載っていた。
 連鎖反応の様に全国各地でも同じ様な事件が起った。

その2 いじめ、校内暴力等、真の原因。

 少し早いが結論を先に述べよう。
 
 これまで述べた事件(悪)が起きるのはなぜか?
 それは、その加害者本人達が、そう言った事は悪いと言う事を知らないのである。
 「そんなバカな ! 」と読者は思われるかも知れない。いや ! 知らないまでも、その知り方が希薄なのである。
極端に言うと、悪い事をしながら罪の意識が無いのである
 たとえば、自転車泥棒等でも、終戦直後は自転車自体がかなり高価だったので、はっきりした犯罪であったが、現況を見ていただきたい。それ(自転車)を盗んで金に替えるとか、そんな事ではなく、いたずらで乗り逃げして、その辺に捨てていくのである。警察にしたところが、届けても一応受付けるだけで、そんな事にかかわっておれないと、なんら動いてくれないのである。
  こんなわけで、悪い事をした、犯罪をおかしたと言う気持がないわけで、これが度重なると、だんだん大きな悪事を行なう訳である。

その3 その対策。

 話を引き延ばすつもりはない。その対策を述べよう。大切な事だから良く読んでほしい。
 それは、子供が生れて物心がつく二・三才頃から小学校三・四年、十才頃までの間に、物事(ものごと)の良い事、悪い事、して良い事、悪い事、しなければならない事、してはいけない事、これらを具体的且つ明確にくり返し教え込まねばならない。
 その上、応用問題として、これらの物事の善悪を自分で判断する「ハカリ」(秤)を心に備え付ける事である。
 これは何でもない事の様であるが、最も重要な事であり現在忘れられている事である。

その4 知る事と知らぬ事、「善意と悪意」

 私は学生時代「商法」を少し学んだ。今では、ほとんど忘れてしまったが、ただ一つ頭に残っている事がある。
 それは「善意と悪意」と言う事で、これは何か行為を行なった場合、悪いと知らずに行う事を「善意」と言い、これは罪にならないのである。「悪意」とは、この行為が悪い事と知りつつ行う事で、これは罪になるのである。
 だから、いろんな事がらも、その善悪を小さい内、若い内に個々に総て教えて、知らしめておかねばならない。
 例えば、私の近い知り合いに、中年になってから子宝に恵まれて、眼の中に入れても痛くないと言うのがあるが、二・三才でもテレビの怪獣映画をよく見て、それに登場する「マジンガーゼット」とか、いろいろな配役を全部覚えてしまったと言う。
 子供の頭は水を吸っていないスポンジがつまっている様なもので、何でも抵抗なしに入っていくのである。この時期に大切な事を教えておくと、一生を通じて必要な時に、自動的に出て来て役に立つのである。

 この様な訳で、物心つく二・三才〜小学三・四年、十才頃までは、まだ自我の芽生えもそれ程ではなく、何でも覚えるし、どの様にも大人(親)がコントロール出来る世代でもある。
 小学校も五・六年になると休も大きくなり、中学生予備軍の様になり、自我も芽生えて、なかなか他の言う事を聞かなくなる。
 その昔は、ハイティーン等と言われた十代後半が、いろいろ問題を起こしていたが、それがだんだん低年令化して、今やローティーン、いわゆる十才そこそこ、中学生→中学校での問題児が多くなっている。
 ここまで来て事件(問題)を起こしてから、それを矯正しようとしても大変困難なのである。

その5 鉄は熱い内に打て!

 当時、中学校で問題が起きると、教師、特に校長は、そのギャップと責任を感じて憔悴し、何人か自殺した事があった。
 しかしこれは無駄死にである。自分がずっと小さい時から教育して来たのなら責任があるが、鉄は熱い内に打てと言う、小さい時にこう言った教育を受けずに曲がって育って、中学まで来てから直すのは至難のわざである。が、ない事はない。
 「鉄は熱い内に打て」と言う。ガラスも同じである。冷えて固まった鉄を直すのはどうすればよいか?…それはヤスリで成形するか、も一度、溶鉱炉に入れて溶かすのである。
 しかし人間はそうはいかない!それに類する事を行わないとダメである。
 よく「性根(しょうね)ずかす」とか「肝(きも)に銘じる」等と言うが、かなりハードな取り扱いをせねば直らないのである。
 かなり前に問題になった「戸塚ヨットスクール」の場合でも、理論的には一理あるが、御本尊の命を亡くしてしまっては「何をか言わんや!」 である。元も子も無いと言う訳である。
 だから何度も言うが、小さい時からの、そう言った教育が大切なのである。
では、どう教育するのか?

その6 「狼少年」と修身

 戦前はそれがあった。いわゆる修身とか、そう言ったものである。
 こう言うと、すぐに国がそれ(修身)を利用して、国民を戦争へかり立てた面をとって、非難する者があろう。たしかにそう言った部分もあっただろうが、他に良い面も沢山あった。
 かく言う私は昭和十三年に生れ、終戦直前に小学校へ入学し、戦前の教育をかいま見た者である。
 その時「狼少年の話」を習ったが、これは、いつも「狼が出た」「狼が出た」と嘘を言って、さわぎたてる少年に、村人はうんざりして、本当に狼に追われても、誰も助けなかったと言う話で、我々の世代の者は、ずっと頭の片すみにこの話がこびりついている。
 自分を美化するつもりはないが、何か悪い事を考える前に、サーツとこの話が頭の中をかすめるのである。
自動ブレーキとなって作用するのである。
 それが証拠に、我々以上の世代の人が複数で雑談中、いつも約束を守らぬ者が変な約束を言い出すと、まわりの者が「狼少年」ならぬ「狼おじさん!」等とひやかすのである。今でもそれが生きているのである。
 他に「ワシントンと桜の木」の話も同類であるが、他は忘れてしまった。しかし何かは頭の中に残って、それぞれの時に役立っているはずである。

その7 戦後の教育「自由平等主義」

 終戦後、戦前の教育は全て否定された。全生徒の前で教師は、これまでの教育は間違っていたと、あやまったとの事である。
 それと入れ替わりに登場したのが、アメリカさん主導の民主主義の教育である。これは国民主権の教育方法で、これの目玉は「自由平等主義」であった。
 これは大変良い事であるが、年が経っていつの間にか勘違いされて「自由勝手」主義となってしまっているのが現況である。
 いつの問にか「利己主義」 のはんらんである。

その8 受験戦争。

 今の時代は何でも受験戦争に勝って、良い学校から良い会社、職業について、他人より幸福な人生が送れる様にと言う願望から、何でも「受験第一主義」がはびこって、全てがこれに向ってまい進している。
 これによる弊害が大変大きくなって来ている。すなわち試験科目以外のおざなり、試験科目のみの塾のはんらん。
 我々の世代から見ると、塾へ行かねば受験戦争に勝てないと言うのは、不思議であり考えられない。どうして学校教育でこれが出来ないのか?塾の授業は楽しいと言う。先生が熱心で、わからなければわかるまで個々にでも教えてくれるからで、授業がわかれば勉強のしがいがあり、張り合いがある訳である。
  なぜ学校でこれが出来ないのか?先生がサラリーマン化して熱意が無くなっているのだろうか?

その9 歴史教育の重要性。

 近頃は、試験課目以外とされて、歴史教育がうとんじらている傾向で、社会課目の中へ入れて、かたずけられている様であるが、これは大変な間違いで、この歴史教育こそ最も大切な事である。
 我々の祖先が通って来た道、行なって来た事がら、それが具体的に明示されているし、その結果の成功例、失敗例すべての答が出ているのである。
 後を継ぐ我々子孫は、これを充分頭へ入れて、これから自分達の歩む方向を定めねばならない。
 受験戦争の為に試験に出る課目を優先しているが、こう言った事がらこそ、それ以前にマスターしなければならない重要なものである。

その10 テレビの功罪。

 現代の子供達は、学校で学ぶ以外の、こう言った事がらをどうして学んでいるのだろうか?
熱心な両親、教師の他に大きな部分はテレビ、雑誌等であろう。特にテレビに至っては、現代人の生活の大きな部分をしめている。
 ところが、このテレビ業界は視聴率と言う怪物に牛耳られて四苦八苦している。その為、興味本位の番組、きわどいもの、犯罪ものが、はんらんしている。
 たとえば一時間の事件物の番組で、全体を見れば勧善懲悪になっていても、始めの事件、犯罪シーンだけ見て席を立ってしまったらどうだろう。その犯罪の手口だけを教えている様なものである。これが恐い。
 余程心して番組製作に当ってほしい。

その11破滅か?改革か?

 文明が進んで、世の中がだんだん複雑怪奇になって来ている。
もう行き着く処まで来ている様な状態である。スポーツの記録、得点にしても十点満点まで出ている。
 これからどうなっていくのであろうか?世紀末と言われるゆえんである。
良い面が発展するのは良いが、反対の弊害がはびこって来るのは困る。悪い面も発展していったらどうなるのか?…それは破滅である。
 いじめ等の問題でも、命にかかわる様になって来たら終りである。
では、この終末を回避するのはどうすべきか?…
 それは改革あるのみである。賢明な我が国民は改革の道を選ぶであろう。
 改革と言っても何らむずかしい事を言うつもりはない。先程言った様に、小さい頃からの人間としての教えを、みっちり行う事である。
一人一人のこう言った小さい事がらも、まとまれば大きな改革である。これがなされれば将来の社会は見違える様になるだろう。
 これまで言って来た事は、実行されて効果が表れるまでに数年〜十年。世代が変わるまでは約二十年かかる。
しかし、これがこの世の中を直すのに最も早く効く特効薬なのである。
 今からでも遅くはない。取りかかろうではないか!

その12 「躾」と「仕付け」。

 先日、この稿を書くに当って「しつけ」なる語を国語辞典で引いてみた。
 おどろいた事に、昔から頭の中に有った美しい「躾」と言う文字が無くなっていた。辞書には「仕付け」とある。
 何と無味乾燥な言葉だろう。何か「押し付け」の様な感じがしてまいった。これでは何ともピンとこないではないか!
 おどろいて大分古い「広辞苑」を引いたら、前記のものと共に「躾」の文字も有ったので安心した。
我々の眼から見ればこれでなければ意味が通らない。

 「躾」とは?
@…・礼儀、作法等を教え身につけさせること。身についた礼容、見だしなみ。
A…・児童の本能、衝動を抑制して社会生活に必要な善良な習慣を身につけさせること。


とある。
これだ!これだ!この事を私は言いたかったのだ!
今の国語辞典の様に、この大切な事項を現代人は忘れてしまっているのである。
 ここまで考えてハタと気づいた事がある。それは今問題を起こしている十何歳かの中、高生、それの親達がすでに戦後生れで、この躾とは何ぞやと言う事を知らずに、又、躾されずに今日まで来たのだと言う事である。私はあぜんとしてしまった。
 ロケットを飛ばして、軌道を外れかけた初期の内に制卸しておれば、正しく目標に達するが、そのままにしておけば、そのズレはだんだん大きくなって、ついにはUターンして地面に落下してしまうのである。

その13 女性よ永遠なれ!貞操観念の欠落。

 戦後強くなったのは、女性と靴下だとよく言われる。それは結構な事であるが、あまり強くなりすぎて、本分を忘れてもらっては困る。
 子供が生れて何年間か、一番身近に過ごすのがこの母親である。
 この時期にしっかりした子供への躾をしてもらわないと、今の世の中の様に大変な事になる。
 テレビや雑誌を見ていると、女性の貞操観念は今や地に落ちて、無茶苦茶になっている。
 こう言った女性から生れ出た子供はどうなるのか?寒気がする。
 江戸時代の書物に「女大学」と言う和とじの分厚い本がある。これには女性はこうあらねばならないと言う項目が沢山書かれている。
 現代の女性も、この本の訳したものを一通りは読んでもらいたいものである。

その14 栄光への未来。

  これまで述べて来た様に、国民一人一人が子供の頃からきっちり躾されて育ってくれば、それはすばらしい社会になるのは受合いである。いじめや校内暴力等も無くなるだろう。
 電車内でお年寄りが乗って来たら、もっと積極的に席をゆずる様になるだろう。
 町ですれ違ったくらいで暴力沙汰になる事もなくなるだろう。
 皆で力を合わせて栄光の未来へがんばろうではないか!

その15 おわりに。

  ここまで読んでいただいて、まず「ありがとう」とお礼を申し上げる。

 この考えはずい分前から発表の機会を考えていたもので、新聞への投稿、これには長すぎるし、本にするには短すぎて悩んでいたものである。
 現在起っている諸悪の根元が、考えていくと皆ここに帰結するのである。
 一方、悪の弊害は行き着くところまで来ている。
ついに、こう言う形での発表となったのである。
 出来れば、これを各新聞や雑誌、他の出版物、広報等に転載して、一人でも多くの人々に読んでもらいたい、と言うのが私の念願である。
御協力をお願いする。(コピー自由)
  
なを、これは政治色、宗教色他、私利私欲等、全く無き事を申し添えるものである。
これを読まれた後、適当な方々へ回覧願いたい。では。…

                                   

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平成六年十月