妖婆伝19 「なんもないけど召し上がれ」 そう言われてようやく杯を置き、ちゃぶ台へ並んだ夕餉の品々に眼をやった。わだかまる濃厚な想いに遮断され、あまりに固く妨げられて、これら総菜の支度に当然ただよったはずの匂いすら嗅ぎとれなかった自分を恥ずかしく思った。 まず視線は鮎の塩焼きに落ちる。踊り串に炙られたのであろう三匹、緩やかにうねった身に程よい焦げ目、背びれから尾まで粗塩が散らばる様は無惨でありながら、死んだ魚の眼は無味乾燥に泳いでいるので、生臭さが取り払われ香ばしさだけが残される。もちろんのこと、牛太郎にも馴染みがあったと思われるところ、老婆の顔を窺えば、あの語りは遠く過ぎ去った念とともにすでに風化して、齢を重ねた証しの深いしわが微かに震えるあたり、慈しみの情を感じさせ、転じては食欲を平たくそそってしまった。 採れたてではなかろうが、実に鮮度のよい色あいは春先の土の香りを失ってはおらず、煮汁にひたされた加減が瑞々しい竹の子。隣の小鉢の夏野菜は、きゅうり、なす、酢の物に見えるけど添えられた、みょうが、大葉、千切りされた昆布から推測するに、その僅かとろみがかった按配から出汁かけの涼味が彷彿される。 あえて同色のくすんだ小皿のうえに油分をみなぎらせ、いかにも歯ごたえの小気味よさそうなのはこんにゃくの炒めもの。板状に素っ気なく切り揃えられているところなど、振られた七味唐辛子の刺激と相まって思わぬ味付けが待望されよう。 山菜にきのこ類の天ぷら、生唾ごと衣に吸い付いてしまいそうな見事な揚がり具合、おろし大根の山に交じりあえば、さながら雪融けの風味か、その食感、想像に即していると見た。天つゆが見当たらぬところを察するに生醤油でいただくのであろう。 椀ものには蓋がされているので一層の信頼が寄せられ、湯気を封じた様がそのまま豊かな香りであることを知らしめており、反対に半透明の薄みどりの器にこじんまり収まった桃の切り口からは、まだ熟しきっていない無骨が覗きながらも、若々しい水気も備わっていて果物の位置する落ち着きが偲ばれる。 更に食指を動かしたのが、最後に運ばれたざるうどんの抜けるような白さであった。茹であげられたあとのざぶりと冷水をくぐった、その如何にも腰のありそうな中太麺の艶やかさは来たるのどごしを折り目正しく強調してやまず、つけ汁に加味されよう小口切りのわけぎとおろししょうがの風味を優雅に控えさせている。夕餉はかくも美しい見た目を有し、その本来を映しだしているのか。 迷い箸に臆することなく、気の向くまま食するとしよう。が、これらはどう見ても一人前の膳に映る。酒の杯もそうであったし、箸置きも同様、まさか自分ひとりの為に料理されたのであるまい。 ためらいをすかさず看取った老婆に「遠慮はいらん、あんたは客人じゃさかい、これが習わしぞ、早う食べなされ」と、微笑みすすめられる。 こうなればまさに風土の語らいを受け入れるべきで、老婆と舟虫に対し神妙な目配せをしてから夏野菜をつまんでみた。酢の匂いはない、きゅうりの青臭さを残したまま昆布だしが染みこんでおり、焼きなすのとろけた旨味が舌に優しく、みょうが、大葉の芳香が颯爽と暑気を払ってくれる。続いてたけのこに箸をのばしたとき「春に掘ったものを塩漬けにしておいたんじゃが」明解な老婆の言が入り、得心がゆくと同時にこちらは若干の酸味を含んだかつおだしであるのが分かり、その相性のよさにおおいに頷く。 こんにゃくに至っては自分の方から「不思議な味わいですね、油加減がちょっと肉汁を思わせます」そう投げかけると「ごま油で炒めただけよ、仕上げに醤油を少し」今度は舟虫が眼を細めながら答えてくれた。 この瞬間、自分はこんにゃくがつるり手を滑ってゆく場面を想起させてしまい、何とも滑稽で他愛のない連鎖に結ばれたことに驚いているうち、ぴりりと舌へ走った七味の辛みに促され、不用意な肉感がこの簡単きわまるこんにゃく炒めの奥底に隠し味として横たわっているような錯誤を得て、思わず顔を赤らめてしまったのだが、じんわり酒が効いたせいにしておいたあたり、そろそろ夕餉の席に慣れきたのかも知れない。しかしながら、意思をしめす眼光で舟虫を見返すことは出来なかった。間合いは恐ろしく的確に距離を埋める。 「はい、どうぞ」 徳利をゆっくり傾ける舟虫の手つきにそつはない。まごつく気持ちと川底に流れるみたいな急いた勢いの両方を慰撫するごとく、酒は注がれた。ぐいっと煽るが粋、感情に溺れきらないつもりでも、ついつい体裁をつくりだしてしまっている。罰の悪さまでは感じなかったが、舟虫の主導のもとにいる自分が疎ましくもあり、反面好ましくもあった。こんな心情ではやはり夕餉の席からはみ出しているようとらえるかも知れないが、以外やそうとも確定出来ず、箸を持つ手にはちからがみなぎっていたし、舟虫の挙動、表情に細やかな注意をはらっている自分を見失ってはいない。女の出方にこそ呑まれた調子であったけど、内心は歩幅を合わせているふうな片意地があった。 思い出したようにお椀の蓋を開けてみると、漆塗りのなかには干し椎茸と湯葉が上品に浮いており、それぞれ芳醇な湯気を放っている。冷めないうちにひとくちすすれば、座敷全体が静まったような、女の色香を包みこんだような、得もいわれぬ滋味が温かく、のびやかにひろがり吐息とひとつになる。その有り様はさながら戦士の休息に似てときを覚えず、天ぷらを頬張り、おろし大根を口に運べば、山菜の名の知らぬを告げる老婆の声さえ先んじて耳にするようで仕方なく、充たされだした胃袋は好調で、ひとり膳の萎縮は何処へやら、からり揚った衣を大口にかじる。かじるついでにそれまでどうしたわけか手つかずにしておいた鮎の塩焼きもしみじみ味わう。岩苔と川水に育まれた野性の香味が口中に一条の流れをつくり、それが想念を越えて奈辺へ消えゆく。あくまで正確な残滓であり続けりことを天命として。 老婆に向かう気遣いを逸しているのが心地よかった。そのまま滑りこむようざるうどんを食す。箸に伝わってくる絶対の歯ごたえ、重み自体にはや存在感が充溢していて期待を裏切ることはないであろう。薬味のわけぎ、しょうがの主張を懐深く快諾している風味豊かなつけ汁もあっぱれながら、そのうどんの質感、主食の地位に泰然として怯む様子あるべくもない、何というのどごし、何という噛みごたえ、煮干しを基本に仕上がっているつけ汁へとからまる美味さ、一気に平らげる間、老婆のつぶやきも聞き流してしまっていた。 「どうかい、それは近所の人が打ったものじゃが、なかなか、いけるだろう」 返事をするのも億劫であったふうな余念のなさは至って無邪気であり、満腹へと向かう疾走は歓びそのものであったが、ゆき着くさきには微笑み返しとして虚無が迫っている。しかし、まだ重ねる酒杯はその空隙にかりそめの気分を吹きこんでくれるに違いない。 「あら、雨やんだみたいねえ」 単調ながら舟虫の声には艶がある。 屋根や戸板を叩きつけていた響きは治まっていた。代わりに夜のしじまにはこおろぎの音がちらほら聞こえだした。桃をひと切れ、熱狂のあとの寂し気な甘みにこころ静まる。その余韻を打ち消すよう、いや、決して新しくはないけれど白い木綿でちゃぶ台が拭かれるよう、深まる夜にもたれかかるため酒が汲まれた。 歓びと哀しみが交差する。これからが夏の盛りなのに、ここには秋の気配が漂っていた。 |
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