792 貞子の休日12 「あれ、みつおさんが」「えっ、みつおさんって、富江さんお一人じゃないのですか」マスターのその言葉は富江の脳裏に、にわかに暗雲たれこむ稲妻を秘めた空模様の如く、忌々しい予感を想起させた。ある確信に裏打ちされた哀憐の情のようなものがさっと波紋状に広がって行く。 「マスター、ホームページありますね、掲示板も。そこに貞子さんの事とか書いてますね。それに私の事も、みつおさんや加也子さんたちの事件も」「おやおや、富江さん、今日はいきなりよく喋りますね、いつもは無口なのに」マスターはおどけてみせる。「私は誰なんですか」富江は毅然と言い放った。「何をいってるのかなあ、誰と言われても」 「板石さん、私の事知ってるでしょ」今度は掲子に詰め寄る。「みつおさんも知ってますよね」「みつおさん、誰」その時、マスターが「みつおがどうかしたの、僕が書いてる小説の中に出て来るんだけど」すると掲子も思い出したように「ああ〜、みつおの冒険のね、あれ私をモデルにした、いい色のパンストの女の子なんだよねえ〜」富江の顔色は一層陰る「どうして知ってるんですか」「だってマスターが掲子ちゃんをイメージして書いたんだよって言ってたよ、それから居酒屋で合コンするお話にも登場してるし、途中で引田天巧みたいに消えちゃう、イリュージョンだわ」うんうんと頷くマスター。 「あの掲示板小説って画期的で面白かった、何か殺し屋みたいな人とか貞子なんかも出てきてハチャメチャで、よくわからなかったけど楽しいわね、自分がモデルっていうのがわくわくしたわ」 富江は大きく世界が傾きかける感覚にとらわれた。夢のまた夢、世界は安定していない、けれどもストーリーはあらかじめ決まっている。ついさっきまでずっと一緒だったのに、たまらなくみつおに会いたくなった。そして彼からもう一度、あのセリフを言ってもらいたかった。書かれたもの、私は私でない、いや違う、そうだ秘密の鍵を開けなくては。 「みつって誰ですか、マスター」夢は覚まさなくてはいけない。「掲子さんは何故、使者だったんですか、何故、消えてしまったのにここに居るですか」 「随分、質問攻めですね、そういや富江さんは普段は自分の事はほとんど喋らない、でもえらく何かに感心がある。無口に見えるのは自分を語らないからでしょうね。私にはそう見える。貞子の休日の富江さんも実によく話しをしています。現実の富江さんのように、自分の事は一切、口にしようとはしませんけどね。夢は見ているほうが罪なく気楽です。無理して覚ます事なんかしなくていい。あっ、そうそう、みつでしたね。私はみつって呼ばれることもあるし、自分でもそう紹介することもありますよ、でも私はみつではありません。みつおがみつおでないと言い切るように。みつは大仰かも知れないけど、異次元からの降りものなんです。そして絶えず流動体のように定まらない、つかまえどころのない存在です。いえ、存在という言葉は少ししっくりときません。最近は痛点として鼓動センターの所長を務めてもらってます。でもいつか別の役割を担うことになるかも知れません、掲子さんを派遣した理由、それはみつと何か感じ合うものがあったんでしょう、随分和やかな光景でしたから、物語はいつも謎めいてます」掲子は大笑いしている。 どうしておかしいの、笑えるわけ、全然、答えになっていない。何より夢が覚めなくていいもと聞こえた富江は「私はどうなるんですか、みつなんてどうでもいいんです、私はただ私らしさを取り戻したいだけなんです、これは悪夢です」 「それはご自分で判断されるしか道はないでしょう。ゴダール風に言えば、勝手にしやがれって感じですか。人は自在です。ただし、真の自由なんてものはありえません。かと言ってみつおの言うようにすべてが過去形のような決定された世界観で縛られているわけでもないでしょう。ひとつだけご忠告させて下さい。よく考えることです。想像でもいい。そうすると人は自在な飛翔を試みたと言えるんじゃないですか。もっともっと想像してみて下さい。そしてあなた自身をよく想像してみて下さい。富江さん、そうすれば十分に取り戻せると思いますよ」 FIN
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