大いなる正午30


その金魚らは真紅に染まりながらも、決して血塊の凄惨を想像させなかった。ちょうど青や緑の原色のガラス玉が、人工的な彩色でそれ自体のイメージへと完結させてしまって、無邪気に歓ばれるかのように。
水の中に棲まう生き物は、鮮やかな透明度の保証を得ることで我々を岸辺へと誘い、その先の遠い記憶の彼方を喚起させようと促す。
西安は、瓶に張られた水面に自身の面が反映しているのを見た。赤い生物が血を忘れ去ったように、彼も又、自らの肉体を忘却したのだった。すると、忽ちにして今度は逆しまの眼で世界を覗き見ることになった。
まわりの金魚の気ままな遊泳を目の当りにしているのは、瓶に中に飛び込んで次元を超越したからに違いなく、身も心も水中にあったからである。西安はこの現象を別段、不可思議とも白日夢とも思わなかった。そして、水面下から見遣る天空がきらめくのを、ゆらめきに惚けるようにして受け入れてながらそこに溶け込んでいく感覚を全身で知った。それは、長い長い年代記を身体中で読み耽る陶酔であった。いつまでもこうしていることが出来ればと云う、小さな希望が、救いのない絶望にとって変われるまでは、、、
瓶底にまどろむようにして太古の調べを聞き入っていると、上方から仲間が数匹、苦渋の眼で慌てふためいて西安の近くへと逃げ込んできた。すると、激しい酸味と共に黄蘗色に濁った液体が鉄砲水の如くに押し寄せて来る。激流は淀みを知らず、遂には水底までそれは到達し、逆巻いて更なる奔流となり、西安らの平穏の竜宮は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵に変貌してしまった。
得体の知れない酸性の溶液で身体が痺れて、泳ぐのもままならない。仲間たちの苦悶する姿態が一斉に展開する様は、まるで戦場に於ける最前線での壮絶なる壊滅を想起させた。西安にはまだ人間の心、精神と呼ばれるものが僅かだが残されていた。しかし、西安がとった最後の手段は、意識をすべて男根に集中することであった。それが、本来面目であり、そこに血も、肉体も、精神も、魂も、渾然と何もかも放り投げることで、ひとつの異相へと跳梁出来るとひたすらに信じて疑わなかった。そして、辛うじて鰓呼吸を取り戻した刹那、渾身の勃起力を祈願しながら水面へと上昇して行ったのである。大気圏を突破する飛行物体の雄大な意志をもって。
だが奇跡的な生還の祝賀パレードには、華々しい詠嘆の影に隠れた哀しみの顔がいつも見受けられた。有識者らが睥睨してみても、哀韻を含んだその表情の陰翳は決して消えてなくならない。
さて、そんな西安の魚眼に映ったのは、遥か億光年界の想像を絶する、曼荼羅図絵の神々しくも儚い赫きであった、、、

三島加也子は涙目になりながら、激しく嘔吐を繰り返した。もはや固形物は吐瀉されつくして、胃壁を洗うのは流動物でしかなかった。深夜まで数軒の店を飲んでまわり、公園近くに来たあたりでそれでも、酔眼ながら逆噴射してくる前兆を読みとったのは賢明である。余力を振絞ってそっと道端から身を潜めるようにして、物陰へ向かい猛然と吐いた。酸味が口内に溢れるとより強烈な吐き気に襲われ、空っぽの残滓とばかりに、勢い余って鼻腔から未消化の麺類が飛び出して来た時には、心の中で泣き笑い劇場を演じてみせた。
反吐にまみれながらも、どこかしら、これでさっぱりすると云う楽観を忘れはしなかった。嘔吐や下痢はある意味、浄化作用と思われたからである。

翌朝は休日だったので加也子は昨夜の深酒からの回復も兼ねて、昼過ぎまで布団の中にいた。寝返りが激しかったのか、目覚めると掛け布団が蹴り飛ばされたように随分と離れた所に追いやられている。
酔い始めるといつものことだが、時間の感覚が相当に麻痺してしまう。尤も他者との比較、それは不可能と云うものだけれど、、、
外は天気がよさそうだったので、起きて窓を開けたまま、しばらくぼんやりとしていた。気持のいい微風が部屋の中にそよいで、加也子の前髪を幽かに揺らしていった。休日は町中が静かであった。交通量は少なく、みんな、ひっそりと静かに家で安らいでいるからだろうか。
咄嗟にあの生物が近くを這う気配を感じて、辺りを見回すと小さな蜘蛛が壁と天井の境目を幾度も周回していた。あたかもそこが異界への指標であるかの如く、同じ個所をそれこそ限りなく巡るようにして、、、あるいはめまいの様相で、、、