ねずみのチューザー9 「闇姫」を簡単に説明しておこう。霞谷七人衆の紅一点、つまりくの一だよ。ドラマで演じたのは岡田千代さんって女優で確かまだ現役のはず。で、なんで懐かしいのかっていうと、首領の「幻妖斎」が振る舞う非情さを思い知り(かつ赤影らの温情にほだされ)最期に金目教の悪略をはばもうとしながら一命を落としてしまうシーンがなんとも印象的でさ、だってそれまで「おのれ赤影、わらわもくの一」とか言って、形勢が不利になっても勇ましかったのに、息をひきとる間際には「赤影さん、、、」って声色に変わってしまうんだもの。子供ながらに感じたよ、女は優しさに包まれると無防備になるんだなあって。 詳しい場面はもし暇があったら本編をDVDなりで観てもらうとして、僕がこころ惹かれたのはその「赤影さん、、、」というまさに吐息のような憂いにあるんだ。再放送で闇姫の回になるたび同じ想いがやってくるのは、ひとつの原型が巣くっているんじゃないかとぼんやり考えていたんだけど、残党とはいえまさかの「卍党」に出会って、一気に液体が凝固してしまうようある情念が示されたんだよ。そう、フィクションにありがちな悲劇性、それは現実から切り離された想念とかでなく、本来こころに沈めるもの、眠りのなかの眠り、ゆえにかたちが定まりにくい水枕みたいな、寝具と呼称していいのやらもわからない、しかし、まぎれもない眠りであり覚醒することを疑わない静かな情念であると。 簡単にいうと目覚めたってことかな。僕は男だから当然女に好奇を抱だくだろうし、それが情欲となって噴出することだって本質的には間違ってなく、むしろ自然な営みであり、やみくもに否定してしまう方がよっぽど強引な捕縛だと思う。普段から誰もが常識的に自らを縛りつけているから、こんなとんちんかんな情況に投げだされてみれば、緊縛もさらりとゆるんでしまうのは理解してもらえるだろうか。 それは単なる都合づけって反論もあるかもね。どうせ夢を見ているようなものだから自在に戯れるままにしておくだけで、不条理をよいことに眠りも本質も後から張り付けた背景画でしかない。さあ、どちらなんでしょう。戦時下とか無法地帯で引き起こされる略奪や強姦を類推するまでもなく、また時と場合などにより移ろう行動に理性は追いついてくれず、積み上げられた瓦礫と、どの方角から吹き付けてくる砂塵によって目くらませされるのが関の山、そのような環境で己を見失わずに進む方角を定められることのほうが不思議なくらいだ。だから、やけくそも諦観も心理的に合わせ持ってると見なしたぐらいがいいかもな。 とにかくひりつくような神経はもうごめんだっから、おそらく僕は初対面のもげもげ太の第一印象を都合よく塗り替えてしまった可能性があるかもしれない。彼の目に親しみを感じたのも、鼻孔をくすぐるくらいの淡い憧憬を忍ばせたのも、まるでこっちが忍者じゃないのっていう自己韜晦によるものだとしたら、、、 それはそれで、悪くはないと思うんだ。愚かしさは十分承知のうえだけど、賢く立ち回れるすべなど身につけていないし、そうありたいとも願っていないから僕は自分の愚かしさを受け入れる。韜晦はただの自己保全だよ。ささやかな。とはいいながら、ちゃっかり「闇姫」には会ってみたいと切望しているんだから、どこまで本当か、僕にも君にも実際は把握出来ないかもね。それにもげもげ太は「傀儡甚内」が子孫、忍法顔盗み術をあやつれるんだ。神妙な顔をして生真面目に考えこんでる場合じゃない、そんな軽妙さが今はなにより必要だった。そうだよ、なんだかんだ言いつつ、僕はもげもげ太もチューザーも信じていた。手放しで歓迎ってわけではなかったけど、彼らと同伴するのを決して拒んだりしなかった。 今日はとりたてて大きな展開はなかったが、バスに揺られている僕の気持ちは少しだけ山々の景色に溶け込んでいった。 無人バスがこれで乗り合いになって、いや、チューザーがねずみだからひと気がなかったって意味ではなくて、奴は一応運転手だからさ、乗客がひとり増えたってこと。それから当たり前のように時間が流れ出し、車内は相変わらず寡黙であり続けていたけど、次第に宵闇に包まれ始めた頃、夜を迎えるのはこれが最初かなって割と感傷的な気分にひたっていたら、微かな寝息が隣の席のもげもげ太からもれてきて、その時よくわけはわからないまま、僕の目はうるみだした。どこだか知らないこの深い山奥からは一切の灯火が隔離されている。にじむ視界は暗黒に冷たく拒否されるばかりなのだろうか。 筆を置くまえに、君へおやすみを言うまえに、そこに起こったちいさな奇跡を記しておこう。夜空はいつの間にやら満天の星で満たされていた。どうしてこんなにたくさんの星がいっせいに降り注いだのか、考える暇もなく、車窓を通して光差す以上の点滅がこのバスを支配している。まるでミラーボールが回転する星粒が壁や床といわず、座席に、手すりに、スクリーンに、反射を歓ぶ車窓に、ありとあらゆるものの上にまたたいている。 「銀河鉄道じゃないか」そう思い涙があふれだしたのが、その夜の最後の記憶だった。忘れてしまっていたよ、僕が記憶喪失者であることを。 |
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