ねずみのチューザー30 闇姫との婚儀は出来るだけつまびらかにするつもりだよ。ここまで来たからはもう気おくれもないし、その日はまだ明るいうちから儀式特有の張りつめた、よそよそしい雰囲気が屋敷中に漂っていたので、身が引き締まる思いだった。じいとばあは朝からあれこれ立ち振る舞っていて、別に掃除とか飾り付けではなかったけど、とにかく忙しそうに部屋のふすまを開けたり閉めたりしていた。ここの家は毎日掃除がゆきとどいていて、廊下は火影を弾いてしまうような艶をたたえていたり、調度類こそほとんど目にされなかったのが不思議というよりか、ひとつひとつの間が適度な緊張を強いており、畳の表面には必ずひとの残像を吸い取ってしまう妖力が秘められているようで、欄間から天井を見上げてみてもそこに澄んだ空気がいつも保たれている感じがするほど、簡素を極めた清潔さがうかがえたんだ。 もげもげ太は早くも紋付袴で門前に日の丸の旗を掲げ、庭先に水を撒いたりして僕と目があってもいつになく気難しい顔つきをしていた。花嫁の闇姫といえば、朝餉の席にも現われず、どうも奥座敷にこもって衣装合わせに余念がないのは聞き出すまでもなく、鋭敏に伝わってくる。 僕は着付けにあとでまいりますと、ばあから言われていたので別段あちこち通わす必要もなく、座敷のまんなかで大の字になって冷気とともに忍んでくる緊張を、無造作に払う素振りをしていたよ。 ほんのわずかだけうたた寝をしたのか、竹林のなかから幾羽とも知れない数のすずめがいっせいに飛び出し羽ばたいていく夢を見て、瑞祥なのかなどと目をまばたいていた。 晩秋の陽は一気に山稜を燻った色に変え、辺りに薄明るさをしめしながら、やがて谷間や、川底や、軒下に陰った夜の敷物をひろげていった。すっかり黄昏どきの仄かな親しみが引いていった頃、小声をひそめる来客の足取りが地を伝わってきた。耳を傾けるまでもなく、横目で庭の方を静かに眺めると、まばらな提灯の明かりが宙に浮かんだふうに確認でき、その顔かたちまではっきり見通せないものの、行列とまではいかないが、途切れつつも相当数の人々が祝言に集っている様子。もげもげ太は来客のひとりひとりに黙礼で応えているのだろうか、短い会話さえ夜風に乗って運ばれてこない。さすがに着替えも済ましていない僕は落ち着いてはいられない気分になり、上半身を起こし廊下に出て行こうとする衝動に駆られた。が、どうしたものかまるで金縛りにあったみたいにからだの自由が許されず、焦る意識だけが尚も深まる夜の空気に絡めとられてしまう。ひんやりとした微風が頬をなでるのを感じながら、ねっとりしたあぶら汗がゆっくり首のうしろを垂れてゆく。金縛り状態は途方もなく長い時間に思えた。念頭にのぼってくるのは身支度を整える術であり、この部屋には用意させていない装束への渇望だった。 夜目ににじみ出す提灯がいよいよ列に近い密度で、門前の先まで連なっているのを呆然と見つめている。皆一様に黒装束と思うが、女性の来客は抑えた声色の具合でかえって性差を識別させているようで、それはともかく、彼女らも全員がまるで喪服を身にまとっているのではないかと目をこすってみたくなるほどに、婚儀に参集した面々は夜の申し子だと軽く身震いを催させたんだ。昨日、闇姫に無邪気に問うた言葉が不気味によみがえってくる。朦朧とした夜景は異様なる相貌を漆黒に塗りこめ、決してそのすがたを明るみにさらさせようとはせず、ひたすらに消え入りそうな提灯の黄ばんだひかりを制御している。夜空に目をやった。 「あれはまやかしだったのか、月なんかどこにも出ていない」僕はそう呪文を唱える語感で胸をいっぱいにすると、かつてこの地が猖獗をきわめた異形の民で満たされていたことに傾倒しまい、想像の羽を闇夜に羽ばたかせた。これまでとは一線を越えた、この妖異に溢れた死人の匂いは僕の総身に鳥肌を立てながら、血の気が急速にそこなわれていくのを体感させた。 点綴していた灯火がほぼ門内にのまれて、庭先は当然大勢の来客で華やいだよ。気がつくとこの屋敷の部屋すべてにも明かりは灯され、次々と履物を脱ぐざわめきが聞こえてくる。廊下にはまぎれもない足音を感じる。提灯は玄関先で消され、手もとから離れたけれど、この座敷のまえを渡ってゆく人々の黒衣が濃厚なのか、いまだ各人の全体を把握することは難しい、、、 視界が狭められているようで仕方なく、ちいさな穴からこれらの様相を見やっている気がした。数人の足取りが僕の目のまえを横切っていったとき、ついに彼らの顔を目撃できた。 「なんということだ、、、みんなきつねの面を被っているじゃないか」 あまりの場に驚嘆する間も置かず、僕は次なる怪異に見舞われていたんだ。いつ、着込んだかまるで覚えない、家紋入りの羽織袴、それに夜道を密やかに通ってきた客人らと同じく、僕もきつねの面を顔に張りつけている。確かに視界が狭いわけだ。 じいとばあ、それにもげもげ太がようやく正式の支度で現われたのはその直後だったよ。もっとも三人はやはりお面を被っていたけど、その声と物腰からすぐに気がついたし、口上もまた儀式とはいえ、それほど人格にまで定規をあてられた異形で毒されてはいなかった。 「大変お待たせ致しました。里の衆も皆いらして下さいました。これより甲賀流婚儀を執り行ないたくお迎えにあがりましたぞ。ご用意も万全でございますな。ではまいりましょう」 もげもげ太はまだ甲賀とか言ってるから、幾分か引いた血の気が戻ってきた。まったく、どこまで金目教を演じきるつもりなんだろう。 |
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