ポリバケツのなかで希釈された清掃洗剤が発揮する独特の酸味をおびた得も知れない果実臭は、ちょうど学校で流行っていた臭いつきの消しゴムがあたえる香水と呼ぶには大仰しいけれど、こじんまりした、しかし一種、味覚へと連動しかけかねない駄菓子のような魅惑が、おおいに溢れかえったようで心地よささえ感じるのであった。 自分がその日どんな手伝いをしたのか、恒例と云っても実際に毎年ああした大掛かりな掃除が行なわれていたのであろうか、幼児期の微かな物覚えに裏書きはない。 「この正月に実家に帰ったとき、母に尋ねてみようかしら、、、」 一抹の抵抗が示されるのを意識しつつ、ふっと微笑みがおだやかに開いたのは、過ぎ去った時の流れに対して抱く複雑な配慮とともに、そんな些事を顧みるくすぐったくなる思いが互いに和やかな落ち着きを見せるからであり、朝井の家に嫁いでから久闊のままに隔たってしまった、母や兄夫婦への身近な遠慮がなせる小さな不安であった。 「どうかしら、母より兄のほうが何かと細かいことを覚えているかも」 だが、美代は六歳上の久道との接点、いわば兄妹としてのふれ合いなるものからはおおよそかけ離れた意味あいしか保っていない為、同じ屋根のしたに同居するひとでしかなく、そのよそよそしさはが異性の年長者である故の共通な関わりだと、似た境遇にあった同級生からいつぞや知らされた、思いのほか的確でもありそうな意見を咀嚼していることさえ忘却してしまいくらい自然に流れていった。 反面からすれば、それは何より美代自身にとってほどよい距離感であることを、あえて意識させる重要性を無化させる風のような思惑でもあった。兄は小言ひとつ、それらは両親らの役割だと十分に含んでいる素振りを示しながら、時折思い立ったように怪談話しやら宇宙人にまつわる秘密めいた謎を一方的にまくしたてることがあった。 もちろん、世間も世界も見知らぬ子供にとっては、怖れをなしながら胸がときめき、ついつい引き込まれてしまって、後悔と云うことばさえ探りあてることも出来ない。日頃から口数が少ない性格も幸いして、美代にはこうした久道の絵本よりも想像を駆り立てる饒舌な物語に嫌気を覚える理由はなかった。 遠藤兄妹、このふたりは目には見えないが適正な尺度で定められているかの親和が成り立っていた。ただお互いが意識的であるはずもなく、ふたりをほどよい他者として位置づけていたのは、気まぐれな無関心と誠実な好奇心の綾であった。 |
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