まんだら第二篇〜月と少年33 「翌日は家内が晃一に電話したのでした。意気消沈な息子のすがたに胸が痛んでいる様子は十分に理解していながらも、今回のことは家内の耳にしてみれば突拍子もない事態には間違いないはずですが、初恋の沸騰とでも片づけられてしまう程度のインパクトしかあたえてないのも実情、磯野家にとってそれは一見大事件にも思われ勝ちな予想図でもあったのです。あくまでも磯野家全体として。 ところが、私の胸中はもはや別の場所で警鐘を鳴り響かせてしまっている。そうです、貴女と云う異質な思考に対し、それから堕ちゆく光景しか想い浮かべることが出来ない晃一の苦悶に対し。 『何を都合のよいことばかり言ってるの、まだわからないのわたしのことが』厳しい語気でそう答える貴女の声が聞こえて来そうだ。 ええ、よくわかりません。本当にわからないのです。精々受け止めることが可能なのは、貴女のお手紙の字面だけです。しかし、そこから抜けでてくるような言霊とは異質の、そうです、貴女自身さえもがよく手綱をとらえていない、反語的作用ともいえそうな怨念じみた言葉のひとり歩きは簡単には理解しがたい領域にさまよいだしているのだと思います。それは、この文章によく顕われているではないですか。 『晃一さんの影に貴方を見ているわけではありません。わたしの影の裡に貴方たち親子の人影が棲んでいるのです』 普段より活力は低下しているようだが、深刻な意見を吐くほどに晃一は衰弱していないと知らされました。もとより、息子は弱みを表面に出さない性質ですから、どれほどの精神が保たれているのかは推測しかねます。 私は是が非でも、息子を東京に引き戻すつもりでいます。これが木下さん、貴女にとってみても最良の方策となりうるのだと信じております。 様々に入り混じった感情や思念、時間の彼方に沈殿していった言葉にも成り得なかった視線の切れ端、少しは晃一があたえたであろう純粋な緊縛、、、そこから感化されたでもあろう、肉欲を通過した、いや精神を濾過した、異形のかたまり、、、それらは眼になど見えるものですか、もし気がついたとしてもすでにそれは己を侵蝕してしまっている。 貴女が影法師と呼んでいる暗がり、ええ、私にも感じることは出来ました。しっかりと貴女のなかに棲みついていることを。それは善い悪いでは決して判じることは無理なのです。 またもや、この手紙を投函することが延期されてしまった。私の生涯においてもこんな遅延はそうないでしょう。 今日の朝、晃一が世話になっている三好荘から緊急連絡が入りました。貴女はご存知なのでしょうか、その顛末を、、、 一昨日の夜から晃一が帰ってきていない。携帯もつながらないし、知りうる限りを当たってみたがまったくの行方不明だと。三好には思い切って貴女の名も出して問うてみました。もう周知の仲だと言ってましたよ。当然貴女のところにも連絡してみたが、同じくその時刻以降、息子を見かけてないしここ数日は会ってないと話していたとも。 朝方とか休日には外泊もあったようだが、二日間も連絡なしでいたことはなかったそうです。警察には捜索願いを出したようです。 私はこれからすぐにそちらに向かいます。貴女のバイト先に電話をして直接、お話してみようとも考えましたが、それはやめておきます。 この手紙はこれでやっと封をされ、貴女のもとに届けられるでしょう。だが、富江さん、それよりはやく私は貴女と再会する運命になってしまった。 磯野孝博」 |
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