まんだら 第一篇〜記憶の町へ9 今年の夏が過ぎれば、この町からしばらく遠ざかることになる、、、結婚してから一年、新婚生活の妙味やらが色褪せるまではいかないにしろ、次第に安定したものへと落ち着いていくのは、成り行きにまかせれば当然そうした陰りを呼び寄せることになって、否むしろ薄日がもれる下で多少の不明瞭な関わりの方が、お互いをさらけだしてしまうなれ合いをうまく緩和てしてくれるのではないのだろうか、、、 森田梅男は専門学校卒業後、とある商社に入社したのだが、最初の二年を地方都市で勤務したあと故郷に配属されて、しばらくするうちに地元で今の家内と知り合い、割と短い交際期間だったが躊躇することなく、思い切りよく結婚に踏み切ったのだった。 まだ子宝には恵まれていなかったこともあり、今回の転勤辞令を受けた折も、ところ変われば気も何とやらで新婚生活の雰囲気とはまた違った環境がもたらす恩恵の部分にまず食指が動かされ、日々の過ぎ行きが再び大きく変化を迎えるように思えてくるのであった。 転任先は横浜だと知らされており、今までにない大都市への転勤は、様々な思惑を乗せて希望という名を文字通り梅男の胸中へ刻み込んだ。毎日の夕飯のおかずもこれまでみたいに一品のみと云った、手抜きから脱却して(もっとも妻は経済観念からそう工面しているのであろうが)中華街などにもたまには出かけ、外食してみるのもまた豊富な食材などから刺激を受けて、決して豪華を臨んだりはしないけれども、幾分か総菜に手間ひまを加えてもらえればと、まだひとりだけの想像ではあったが、早くも現在とは異なる家庭があらたに生まれてくるような期待にこころ踊ったのである。 今夜出不精な妻を誘って夫婦水入らずで、花火の打ち上げを見物しようと意気込んだのは、確かに盆休みなどには帰省の機会もあるだろうが、この町で開催される港まつりは八月の始めという日程もあり、転任後の次回は何年先になるかも知れないと見納めに似た感情を含みつつ、同時に伴侶である彼女自身にもその様な惜別の意識を感じとってもらいたいと願ったからであった。 それは旅立つものがいつになく殊勝な面持ちで、あとにする地に名残を抱きながらも別天地に想いを馳せる、湿気が急激に乾燥してゆく速度の安楽に一抹の弁明が必要とされる申し訳なさみたいなものを二人して共感することであり、夜空の上っては花咲、散ってゆく花火の宿命を間断なき現実と対比させ、強く印象づけることで帰り際にでも帰宅後にでも、ある信念の言葉をその余韻の上へと刻印したいと考えたからである。 梅男のこころは、今の家庭の営みにまだ大きく現れてはないけど、すでに軋みが生じていることを認めなくてはならなかった。それが、妻との性格上の摩擦だけに要約されないことも薄々知っていた、蜜月と呼ばれるこれまでの時間を如何に意識的に梅男の側から、想像と演出を用いて享楽出来るよう努めていたか、そうした苦心が打てば響くよう相手のうちに届くのであれば、それ以降は自ずと必要以上の腐心も、意識を硬直させ腫れ物に触れるような配慮もやがては霧散してゆくことだろう。 しかしこのままでは、展望は開けてきそうにもない、そこで平たく云えば、ひとつガツンとこれからの夫婦生活のありかた、自分の最低限の要求を理解してもらう為にも、今夜のまつりは二人して今までに対する詩情と感情が激しく交差しながら転機へと旅立つ惜別であった。 梅男は妻を愛していた、しかし愛憎が表裏一体で顕現する以上、惰性のまま時の推移に委ねる訳にはいかない。いずれはとりかえしのつかない軋轢となる前に、どうしても膝を交えてみなければならなかったのだ。 頭上を彩る夜の祭典は終盤にさしかかったが、結局梅男をじっくりとそれを鑑賞することなく、終始あたまのなかでは神経系統が火花を散らし続けていた。 妻のほうはどうかと見れば、打ち上げの間中ほとんど口数もなく、放心した顔つきで海上に向き合っている。そんな様子に梅男は感慨深いものを覚えたのだが、やがてすっと胸もとから上がってくるような言葉としてあふれだしてきたのは、妻に対する憐れみの衣を借りてきた、涙もろくなってしまいそうな響きを持つ、ありがとうと云う感謝の念であった。 |
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