青い影5


虚構の世界が確率として意外性をより多く包摂しているわけではないのは、逆説的に言えば常識でふくれ上がった風船の中にはその常識そのものの姿がひとつもないという事と同じく、虚実のコントラストの明暗は見極めが効かない。
かすかな段差、わずかの差異の手触りを通して行く中でしか、実際と呼ばれる視野は眺望へと高く飛来は出来ない。孤島の灯台へと登頂を期するとしても、段階という地道な行為が必要とされるように。
意外性はそんな殻から弾かれた奇形の妖精である。それは夢枕にも立てば、白昼堂々と大手をふって歩いている。奇異なるものと呼ぶのは、我々の遭遇率がただ低いからであって、決して本質的には価値観など有してはいない。

森田梅男の演じる料理人の相手方の役は、大坂なつみという芸名を持つこの業界では、いわゆる熟女系の中堅どころで知られている女優でそれなりのキャリアと貫禄を身につけていた。自称50歳だと公言しているが、この世界、実のところは定かではない。背丈は小柄だが、肉付きは年輪さながらに実績を想起させる確信的な豊穣を秘めている。
一昔前の奥様を思わせる長い髪を気高い風格で強調するようにセットし、厚めに塗られたファンデーションからは、揮発性の熟れた匂いがただよってきそうだった。反面、揃いの真珠の耳飾りとネックレスに、無作法を容赦しない高慢の輝き主張させるのだが、汚れなき品性は転じて禁断の娼婦への合わせ鏡となり、光は逆から照らされる。その辺りの身支度には、そつのない計算が働いているようで、一目で梅男は虚実ないまぜの蝋人形とも言えるなつみに魅了された。

撮影は夕食後から開始されると知らされる中、それまでの時間内に梅男は自分の置かれている環境、影山監督のもとに集結した人物たちの持ち役を掌握しようと努めた。
何よりも一杯食わされたとしかいいようのない不快な驚きが、花野西安の存在だった。歳は2つほど上になり、よく欧米人のハーフかと見間違われるくらい濃厚な顔立ちで、特に西洋の魔法使いを彷彿させる端然とした鼻梁のそびえ立ちは、好き者の代名詞と嘲笑されながらも憧憬の念を密かに集めていた。
よく酒場などで顔を合わせるうちに親しく会話するようになったが、根本的なものの考えは大きな開きがあるように思われ、心底腹を割ってまでという間柄には至ってはいないし、エロ事師などと陰口を叩かれようが何喰わぬ顔で、手あたり次第に女を口説いてまわる厚顔ぶりには、少なからぬ嫌悪を感じていた。
しかし梅男は、花野の人格の向こうに己自身が踏み込めぬ領域が開けている様が透けて見え、芝生だろうが花畑だろうが禁断の園ではあるまいし、多少の侵入はどこかで希求しているに違いないと微かに思いながら、これを嫉妬と呼ぶべきものなのか、浮上することなく抑圧される放埒な感情を探り当てるには、理性や論理とは別問題のあの暗い洞窟へと深く沈潜していかなければいけない、性分としてこれ以上の洞察めいた心の動きには不得手とばかり、悪感情はそのままにして代わりに開き直りに似た薄皮だけの付き合いで取り繕うとした。そして花野本人の一見温厚で人当たりの柔らかな物腰は、より相互の関係をある意味強固なものにした、皮肉ながら。
「まいったなあ、花さん何でここにいるのよ。恐れ入りました」
梅男はこれも演技の予習といった口ぶりで、花野の姿を見つけ出すと歩みよった。
「蛇の道は蛇っていうじゃない、ははっは、推薦入学だよ、選ばれし者さ。楽しければいいじゃない。」
不遜な言い草だが、その穏やかに控えめな声質はオブラートで包み込むように、随分と意味合いはぼかしがかかる。
聞けば、性也とは別のところから話しが舞い込んできたらしいが、以外と秘密主義の花野は詳しい経緯を語ろうとせず、話題を貞子に移しながら、この作品には梅男と同じく脇役で出演するらしく彼女は濡れ場は演じないという、本題は自分と大坂なつみ扮する人妻との悲恋であり、最期は衝撃的な結末が用意されていて、これは大傑作になると花野本人がまるですべてを手中に収めたと言わんばかりの剣幕で有頂天になっている。
それから梅男も先程、監督から紹介されたカメラや照明のスタッフ面々の話題へと流れていき、夕食時間が近くなってくると、二人とも次第に緊張してきた様子で、何度も腕時計を確認する仕草を見せるにつれ口数も途絶えがちになり、花野はエールを送るとでもいった風情の目配せをして、その場から離れていった。
梅男は、独り取り残されたような気分になったが、気合いを入れなおす様に今からやらなくてはならない事ごとに意識を集中したのであった。