断章8


暁光の恩恵に包まれる二人だったが、性也の慢心と不安が入り交じる胸中には時間が反対に進んでいったのか、曖昧でいて忘れがたいあの時刻にとらわれていた。
夕暮れがいつになく間近に迫りくる興奮を、いかにもありふれたうつろいといった面持ちで過ぎやった性也の若さに衒いはなかろう。季節が意味する自然の摂理と同様、ごくありふれた暮れゆきだと念頭に浮上する権限さえ与えられてはいない。
それが黄昏の本質というもの。仮に時の移ろいが寿命への脈打ちそのものだとすれば、まさしく宵闇迫るひとときにその都度うち震える心性こそが科学的根拠を含有する。しかしながら私たちの、厳密にいうならば生命力の花弁のうちにあるあの躍動と先行き知らずの彷徨は、何かのひとつの意志に貫かれたように時間そのものを閑却してしまうだろう。
性也は暁の空のもっと先に、何やら自分でも判明できないうちに、連関なきままそれでも今ある玩具の前に張り付きそうにしてやきもきしている幼子の物乞いに似た現像を浮かび上がらせるのだった。
書割りの環境と形容するのがもっとも相応しい夕焼け空を背景に赤とんぼの群れが、見境もなく方向定まらない不安定な飛翔を試みている。否、きっと自分から見つめるとたよりのない根拠のない、綿飴のような軽やかさと甘味を夕空の真下に浮遊させる様に映るのだろうが、とんぼにはそれなりの意味合いや理由も存在するのかもしれない、しかし、まだ幼少期のそう田舎育ちを何ら卑屈にもましてや不遜な思い返しなどといったふうに鑑みる屈託などまるでまるで持ち合せなかったあの頃の季節感さえおぼろげの黄昏の情景は、やはり天然色に彩色された遠い遠い望郷の世界を眺望させる。まるで双眼鏡を逆さに覗き見るどこか不自然でいながらやるせない宿業の所作に移行しつつも、、、
後年、性也は濃縮され発酵した青年期のある局所的に定まることを了解する過ぎ去った位置から、反対に現在を振り返るといつもあの夕暮れなのか昼下がりなのかよく判明しない、心の黄昏がカメラにフィルムに収められる水彩画のように淡い質感でありながら所々は極彩色に染め上げられた鮮明さをもって、眼の奥深い箇所に蘇らせるのだった。
時には日常に追われ何かしらの疲労に圧迫を覚え、無軌道で放埒な遊技とわかっていながらその持続に辟易する刹那に、思わずあの幻影がわき上がるようにしては脳裏を横断し、いつの間にやらついつい言葉の綾となって限りなく独り言のように呟かれるのである、半ば冗談まじりに茶化しつつも真摯な童心を自他ともに共鳴させるべくして。
「いやあ、野原みたいなとことかでとんぼを追ってた自分がいきなり都会の空気を吸うとね、わかるでしょ、このギャップ、Y子さんには理解できないか、とんぼなんて見たことくらいあっても追いかけたりしないよな」
「そうね、野原って性也くんがいうのは、あくまで故郷のイメージよね、私だって別荘地の高原とか学校の遠足とかでそういった自然に触れ合ったことはあるけど、とんぼを追っかけたりはしたことないわね」
おそらく酩酊ともいかずともほろ酔い加減にまかせる気分でこれまでY子にも、何度かはこの話題を口頭にした折があったような気がする。というのも性也自身がこのエピソードを慈しんでいたからに違いない、そう、決して悪くはない、共振させる対象は実は他でもない、己の内部そのものへとという確信的な情緒にいつも優しく包まれていたからである。
そしてそんな明敏な意識を吐露してみせた後続として、更なる真剣であり沸騰する心情である、極めて自己放擲な口吻をものともしない、切実といしていながらも何処か居心地の悪い懸命なる想いは何故かその先にいい現されることはなかった。直裁な物言いはもちろん、戯画化された俗にいう隠される本音の響きとしても。

「あっ、そうだ。スピードを落としてもらえないかなあ。忘れてた、わざわざ遠回りして高層ビルの下を走ってもらうのはね、これこれ、前にある人から教えてもらったんだ。夜明けの新宿のあそこをゆるやかに減速して出来れば運転手つきで、優雅な面持ちでBGMにこれを聴くと最高な気分になれるって」
少しだけ怪訝な表情を示したY個に対し、性也はいかにもといった笑みを浮かべ足下に置かれたバックの中より取り出してみせたのは一個のカセットテープだった。