断章7 性也のしなだれたようにも見えるだらしなさの手前の居住まいは、つまるところ自然発生的な姿態として今ここにあるのだろうか。だとすれば、若さと情熱は素晴らしい均整をもって自分自身を誘導している。 同年の女性にしては手に余るには違いないが、性也なりにもY子同様に思わぬ空洞をその身にひそめていた。人の噂ほど伝聞の素早い手段はいつの時代だって同じこと。社内ではもはや上層部、厳密には社長本人も性也とY子の関係について何かしら耳にしているのでないか、そういった気配を必要以上に警戒してしまうのは性也に限らずとも、そんな情況におかれた者なら誰しも似たような神経を使用するのではないか。 ところが幸いにしてこれといった呼び出しなどもなく、まわりの風聞もY子があまりにあっけらかんと「新入社員では大橋君がタイプかも」などと同僚に明るく打ち明けたりしているので、以外にも勘ぐりを入れてくる以前に噂はたち消えになってしまったのである。あたかも焚き火が不審火と思われる最中、焼き芋や枯れ葉を威勢よく加えることで多少の火焔を上げようが誰も疑りを抱かないように。 火は燃え上がる。時と場は異なり、思わぬ間隙から火柱が立ち上がる。この物語はそんな火焔のかけらをスケッチする為に生まれた。あの偉業を来る日も来る日も成し遂げる夜明けの女神は決して放火などしない、ましてや夜空に引導を渡すだけの大仕事をやり遂げ、すべてを白日のもとにさらせても、人の心に直接、火を灯したりはしない、否しないのではない、してはいけないのだ。発火は雷神に委ねればよい、女神の関与する領域ではないということなのだ。こんなふうに見事な神話的世界観が存在する以上、後は私たちが錐で何かをもみ開けるとしよう。その前に駆け上がらなくては、そう螺旋階段を。 性也の隙間はある意味、極めて尋常なしかも優等生的な模範を示すであろう、というのもY子のプロフィールが万全にはいかないまでも、これまで読者に提供したY子が魅せるグラマラスな雰囲気と、無垢なる故にけれんみのない装飾が奇妙な融合を示している様を想像してその輪郭をなぞってもらえれば、ある無粋な疑問符が如何にもあらかじめ決定された事実の如く、両人の間に実情として浮上してくるのを確かに禁じ得ないことになる。ところが事実はさかしまなり!驚くなかれ、大橋性也は入社一年にも満たないしがない薄給取りの身分でありながら、かつて交際を始めてからこれまでただの一度でさえ、そう食事や飲酒、コーヒー一杯分の代金もY子に支払わせたことがなかったのだった。 恋しいと思えば高校生の分際で大金の小切手を差し出す、Y子に対してである。彼女も最初は礼義と軽く受け取っていたが、度重なる及んで次第に心苦しくなり、やがては言葉にして性也に伝えた。それでも頑として初心を貫く意志をY子は意地であると解釈しようと努めた。そうすることが性也の矜持であり、自分という身分不相応の恋人を手中に収める手段となろう、しかしそれならば、皆が影口で囁くように今度も又、お金を貢いでもらう情況にどこか似通ってくる。高価な物品を授けられたことはないにしろ、すべてのデート代を一切引き受けてもらうというその関係にY子はやはり違和感を覚えた。 「どうして、こう言ったら不快でしょうけど、私の方が使える小遣いは多いと思うの。そんなに無理しなくてもっと普通にね、自然体に」 「これが俺の自然体なんだ。そうさせて欲しいんだよ。決して無理なんかしてないさ。車だっていつも君に乗っけてもらっている、ガソリン代だっていつも君は満タンにしているから、そういう意味ではおあいこさ」 結果、本当に資金不足な時には明快にY子にそれを伝えるという条件でその問題は解決したのであったが、この経済的な観念の内奥には性也の真の間隙が透けて見えて来る。もう少し目を凝らせば明確にゆるぎないものとして私たちをある種の感動へと誘ってくれる。すなわち彼が欲したもの、そう結局のところ彼は彼女を占領したかったのである。当然といえば当然の帰結へと収束する情が成す業ではあるが、決してY子を独り占め出来なかった。 社長との関係はあれからも途絶えることなく引き続いていた、そしてそれが割合に淡白な内情であったが為に、性也はY子から二重の緊縛を得ることになった。自由と不自由を両方とも手に入れることによって。 |
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