断章


夜明けがすぐそこまでためらいなく静かな気品を宿しながら近づいてくる。
昨夜からの雑多な出来事や意味のなさそうな喧噪や、少しはときめいた誰かさんの心中を察しながら、黎明は広大な慈悲をもってすべてを濾過してしまいそうなくらい神々しく思われた。
薄暗い酒場にたむろしている闇夜とともに心中を恋願うとでもいうのか、あるいは明日の到来を実は真摯な喜びとして、そうそれが生きていることの何よりの確信と頭の中に、もたげはじめるのを健全な印だとちゃっかり確認している人々の頭上にも薄明は均一に広がりつつあった。
しかし酔眼でもって見渡されたその闇の浸食を信奉している輩にとって、程よい圧迫感におかれた店内は、換気の追いつかないままに紫煙やどう考えても清浄さからほど遠い吐息やらで薄汚れた空間でしかなかったが。
飲酒による時間感覚の麻痺はとてつもなく爽快であるはずなのだが、さすがに夜の向こう側まで突き抜けてしまった脱力感は、来るべき陽光の下に佇む気概を自ずと剥奪してしまい、蓑虫が小心の態で少しだけ頭を外界へと覗かせてみせる怠惰とも臆病とも似たような感覚に全身を覆われていた。

新宿高層ビル街を横目に、高級外車の助手席でだらしなく腰を下ろす格好を見せる大橋性也の胸中はまんざらでもなかった。何がまんざらでもなかったかと云えば、片手の指先を折りながらその意味合いを並べてみせるくらいの充足度であった。それは腹一杯の満足感を味わった事後の満面にあふれ出す笑みだけが消去された表情を想像していただければいい。あえて描写するのも野暮だが、十全なる満足など知らぬ読者もいることだろう。端的にこう言い表してみる。性也の目は夜を徹した披露そのものであった。何のことはない更なる充実、快眠を欲しているあの眠たげなまなこを隣でハンドルを握るY子に幾分かの配慮で、とはいえ彼女に対する気配りというよりも実際は己が徹夜したくらいで体力を消耗するほど歳はとってないという自負であり、かといって背筋をただしまるで素面顔で臨席するには演出過剰であろう。そこで折衷案としてほどよい気怠さを全身で現してみることにした。座席のだらしない居住まいもそういった感性から導きだされている。しかし、綿密な計算が頭の中ではじかれたわけではない、あくまでこんな風情が今の性也には快適そのものだっただけであった。
当時はいわゆる花の金曜とかの号令で性也の世代に限らず、中高年のビジネスマンやらカタカナ業界の連中やら中にはまだ高校生と見えそうな一群もこぞって、都心部の歓楽街へとそれこそ怒濤の如く押し寄せんばかりに群がり集っていた。当然、繁華街は不夜城と化し絢爛なる徒花の電飾で人々を誘蛾灯よろしく導きよせ、瞬く間に界隈の人口密度が飽和に到達した。まだ宵の口から泥酔した様子で今にも倒れ込んでしまいそうな危うい足取りは珍しくもない、完全に意識を失って路肩に大の字になり、道行く者も知らぬ顔、それでも恐る恐るその寝顔らしき面に横目をやると思いのほか幸せそうな顔つきにも見えて、なるほど飽和状態からはじき出された、もしくは進んで過密な喧噪から一瞬にして退避した結果が、こういう事象となって体現されてくるものかと、上京したてだった頃の性也は考えてみて感心したことがある。
終電を逸した乗車客たち、深夜のタクシーの争奪戦、車道にまで覚束ない千鳥足で歩み寄る一目で水商売とわかるまだそれほどの歳でもないだろうに妙に大人びて映る雰囲気をもつ女。真夜中にも関わらずけたたましい走行音があちらこちらから、全方位からちょうど弓矢のように飛び込んでくる。店先での飲み会の解散なのか、就業時刻をまわり退社する時の数倍はお互い同士、心の底からお疲れ様と言い合っているようにも見える。その儀礼の前をぼろくずの固まりみたいな浮浪者が無表情でゆっくり足を引きずるようにして、ひどい悪臭をあたりに振りまきながら通り過ぎて行く。すれ違いさまの通行人らはあえて引いて遠ざかることもなく、又、異様な臭気にいちいち顔をしかめるわけでもなく、足早に同じく何処かへと過ぎ去る。足音は至上の消費であると誰もが自覚を胸に秘めながら、、、