断章10 無感動なままに衝動がわき起こっているのだとしたら、私たちはが本能と呼ぶ不可解でいてとりとめもなく奔放な激流のまっただ中に巻き込まれていることになる。しかし、本能が跳躍する際に対して無感動の目配せしか送らないというのは、どこか不自然であり偽装に覆われているような気がするのだが。 性也の両の掌は如何にも事務的な処理を施すといった具合に、Y子の乳房をまさぐり始めようとしていた。手のひらから確実にあふれ出すその豊満で張りをもつ胸の隆起へと向かい、性也が懸命にちょうど身の危険と背中合わせに頂きをひたすらに願う岩登りにも似た下方よりの愛撫は、ちから尽きる以前の勇壮な好奇に導かれる様を図形にように明確に現していた。 はだけた上半身に対峙する情欲は、まだあらわにされていない下半身の秘密を固持してはいるものの、しかし下着一枚のY子の股間にしっかり顔面を押し当てるようにして、来るべき登頂の喜びに駆け上がろうと努めている。大きく万歳をする格好にも映る肉林のうつ伏せになった性也の姿を、彼自身が瞬時に想像で脳裏に思い描いてみせたのは、何とも現実離れしていて、欲動に突き上げられた最中にもかかわらず随分と余裕をもたらすものではないか。とすれば、性的興奮の奔流の何処かに迸る水しぶきを受けない静かな淀みが存在するだろうか、そしてその激流の、あるいは劫火の噴出の、中心に空気穴が開いているとでも云った奇妙な様相は一体何を意味するのか。 Y子の乳首を指先でつまみながら手のひら全体がお椀にふたをするように重ねてみた。性也の両手に限らず体全身は、十全たる野生の感覚からは少し後ずさりした、どことなく遠慮気味で、何かしら褪めた色情が、また規制された鼻息に窺える衰退がかすかに見て取れた。例え今から大胆な交わりに結びつこうとも、決して惑溺するのは地熱を持つこの身体が本然なのであり、心模様の色合いは浸水を免れようとしている。 いつからこんなふうな意識の冷却装置を見いだしたのか、実際性也自身よくわからなかった、肉欲にだけ集約して鑑みても初体験の折の予断なき疾風にさらされ快楽を呼び寄せる猶予などなかった思春期は別として、それ以降の女性経験においても思い返すと、実は今と似たような差し水を、つまりは頭の中を心の中を二分割してしまう、ある意味沈着な思念がかけらの状態が、紛れもなく突然とわき上がってくるのだった。 いつかの明け方、酒場を出て表で駐車場からY子の車が搬送されてくる時にも、よぎっていった断片のような感覚、満足気な横溢する笑みがいつの間にやら薄ら笑いへと滑り落ちてゆく、更に的確に言えば興趣が失せてしまう熱情の陥穽。あの高層ビルがこの世のものではないくらいに幻想的なビジョンに映し出され、そこに埋没し耽溺していたのは、今ここにあってY子の肉体を暴いてみせる願望とは別のもの、身体的ではない、かといって夢想と神秘の扉を開けてみるような陶酔を望んだわけでもない。端的に性欲とそれ以外の何かが二分され、その日のいわば気分みたいなものでそれぞれに優位が与えられると、割り切ってしまえばそれまでだろうが、そんな線引きされるほど容易い心象で区分されないことは直感的に知っている、そしてそういった断章となって明滅する観念を性也は実は何よりも恐れていたのだった。何故なら、そこにはひりつく太陽の照りとそして交代にくぐもる月光のあかりだけが、地平線さえ茫洋たる砂漠を支配しているだけで、わずか一本の樹木も存在しなかったからである。 性也が懸命に半ば無意識的に模索したのは、空漠な土地を豊穣に充たしてゆくという方向も定まらない、がむしゃらで無謀な賭けを試みることにあった。それは底なしの柄杓とわかっていながら水まきする、慄然とした佇まいと手にした道具を顧みることなくひたすらに撒水の反復を了解し、黄昏ときには内奥にわだかまる空虚を慰撫しながらわしづかみする、無益な抱擁となり果てた、、、 山頂への道標はここにある。声なき声が悲嘆にくれる涙の向うで感傷にひたりゆく己を己が叱咤激励している。圧迫的な哀しみの嵐のなか、今度は己が攻めゆく番だと、身体の向きを翻すようにして、この世から魔法みたいにして一瞬消え去ることを祈り、それが無感動な衝動であることに終には悦びを見いだす。何という矛盾した、転倒した思惑だろうか。 性也も、人類が発明したこの恐るべき観念劇の舞台へと登板していったのは賢明な判断であった、さあ、それではこれから劇場で繰り広げられる、もっとも健全であり、もっとも神聖であり、もっとも感動を呼ぶ、哀しみの歌劇をたっぷりと堪能していただこう。 性也もY子も、きっと観客の視線をどこかで意識しているに違いないから、、、そして彼らは自分自身をよく見ている、互いの裸体が発散する臭気とぬくもりと冷たさを通じて。 |
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