残身9 女はすでに死んでいた。この破壊力では即死するしかない。遂に自分も命を脅かされる立場になったのか、しかも刺客が女であると云うのが変に意味深いようでしばらく西安は考えこんでしまった。 惨たらしい死骸を前に漸く恐怖がリアルにやって来たのか、エヌコは震える身体で西安に寄り添い、その表情を見れば泣き顔に限りなく近いのであるが、涙することさえ躊躇っているのはもう少し複雑な心情が働いているからであろう。その証は西安の腕にしっかりとつかまりながら甘えるように身を寄せて来る、稀釈された媚態にあった。西安は鋭い感覚でそんなエヌコの意識を察知し、相手の目を見つめながら大きな笑みを作って見せた。するとエヌコの双の目からは、何かしらの許可を得た標しの如くに涙が溢れ出して来たのである。自分が楯にされ危うく銃撃される身であったことを嘆くのか、戦慄の余韻が強烈に涙腺を刺激しているのか、実際よく判別されない。ただ西安の身代わりで撃たれたとしても本望であると自身によく言い聞かせることで、矛盾を回避しようと努めたと云えよう。そうすればこれからも何ごともなかったように西安の股間のものを含み続けるられる。 騒ぎを聞きつけた他の連中が口々に無事を確認する言葉を投げかける中、西安はドアを閉めるよう命令し、先程の刺客から銃を取り上げた男からそれを寄越すよう伝えると心の内で、この女刺客が三島加也子だったら素晴らしく劇的だったのになと思い、手渡された銃をおもむろに死体へと向け弾がなくなるまで撃ち続けた。主に顔面に発射するとあっという間に原型をとどめない程に顔かたちは粉砕され骨がはみ出し、肉片と共に血飛沫が辺りに散らばり最後の弾丸によって血まみれの脳漿が西安の鼻先にへばりついた。返り血を浴びると云う獰猛な野生を一身に背負いこむことで、反逆者を凌駕した心持ちを獲得しようとしたのであろうか。そうとも言えたしそうでないとも言えた。取り巻きが呆然としているのが、どこかしら愉快に思えた。 それから後始末を秘密裏に行なうよう指示を与えると、風呂に入りたいと言いながら隣室の仮眠部屋にエヌコを伴って消えて行った。 時代は急速な勢いで過ぎ去って行く。花野西安の俳優としての肩書きはちょうど名刺に印刷された一項目に過ぎない、彼に師事するくだんの殺戮の輩にしても明らかに一般人とはかけ離れた存在に見える。 森の奥深く巡って行く内に次第に森全体に呑み込まれてしまう大きな不安を抱えてしまうと同時に、今度は己がすべてを呑み込んでしまう偉大な妄想を育んでゆく。西安の置かれた位置もそのように考えてみるとある意味、人間のさがの結実とも言えよう。それにしても森田梅男は如何なる帳の裡からあの文面を書き送ったのだろうか、もはや巨大権力に君臨している西安に対する当てつけは、単なる悪戯にしては念が入り芸が細かい、まさしく手紙による戯曲にも思えて更に演技力を逆手にとった恐るべき挑戦状とも考えられる。否、明らかに宣戦布告である、あの状況で命を狙われるなど綿密な計画のもと実行されたに違いない、まるで透視されているかのように監視カメラが密やかに配置されていたのか、又は内部に外敵が侵入している可能性が高い。となれば梅男も何らかの組織に属していると見なせなければならないだろう、とても一個人で画策出来る範囲ではないからだ。 次回作「大いなる正午」が孕む危険分子的な内容に過剰な反応を示している態度から、梅男はやはり向こう側の人間であると推測される。山下昇と三島加也子を執拗に強調する語気もそれを裏付ける、何故ならば梅男とあの二人こそ今だ迷宮のまま伝説となって現在までその血生臭い芳香を残しているから、、、西安が危機に瀕した刹那、そして危ういところで回避された直後、二人の面影がよぎったのも偶然などではあるまい、確実に植え付けられた最大にして最強のトラウマなのだから。梅男の組織も同様に彼らの行方を追い求めている、映画を通して世界中の人々にあの事件を喧伝するのでなく、情報公開の手法をもって捜査に臨む意図を果たして梅男はどこまで見抜いているのだろう。 時は流れ行く、希望という名の仄暗い川とともに、、、 |
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