残身7


「配役が今だ決定なきは正に僥倖、私の役どころは森田梅男の父親役にて大推薦を願います。そして更には町伝説として有名なあの夜回り隊長と云う二役、この二点セットを持って情報公開との提携を実現させて頂きたいのでございます。僭越ながら脚本にはこう書かれているのであります。―森田家を訪ね彼の両親に深く謝罪する花野―どうです凄いドラマが生まれるではありませんか。
前文でもお話しましたけれども、夢枕に佇む梅男は年月を経ることで徐々に倅の形をとどめた私自身の姿へと変貌して行ったのです。唐突に消え去ってしまった梅男の幻影の裡に、ひたすら帰還を夢見る繰り返しはもう真摯な悲願でも希望でもなくなり、後は眼に見えない時間が無意味に反復されるような、堰が詰って流れが途絶えた河川のような、何とも生き甲斐を感じない乾燥した空間に閉じ込められているみたいで、まるで生存祈願が題目として形骸だけ唱えてられているようでその反響に増々無常を覚える毎日でして、こうして人間は年老いてゆくのかなどとつらつら考えておりますと、朝が来てお日様が昇り日がな一日こうして無為に過ごしていることが、どうにも罰当たりな所業に思えてまいりました。
不思議なもので、当初は三十半ばの歳にして消息を絶った倅のその先やら可能性やらを想像していましたものが、もう思い巡らす余力も枯渇してしまったのでありましょうか、いつの間にやら今度は私自身があの年齢であった頃へと郷愁と云いますか、色あせた写真みたいな光景が脳裡を行ったり来たりするのです。いえいえ、それが一見彩度の落ちたふうでありながら実はとても鮮やかに再現されていると云う、正に夢のような甘美な心持ちなのでございます。
そうしますと、これは何かの法則でもあるかの如く私はこう考えはじめたのです。倅は出奔したに違いない、花野様と共演された映画出演の後も高野山に籠ったではないか、きっと又何らかの事情で行方をくらませている、、、そして、、、そうです、いつもここで言葉が滞ってしまうのであります。
こんな堂々巡りの薮の中から抜け道が開けましたのは他でもありません、くだんの梅男が残した覚え書きだったのでした。晴天の霹靂とはこんなことを意味するのでしょう、鋭い閃光は私の双眸に視力回復をもたらし、轟きは大いな刺激となって言わば全身に電流が行き渡り活力を取り戻したのでございます。こうなれば、他人からどう思われようがこれは奇跡と呼んで差し支えないのでありまして転身の法則、即ち私と倅は肉体こそ違え精神的には同化したと云うべきなのです。同化があまりに奇抜なら投影したと申せばよろしいかと。
その日から私は梅男になったのであります。これで貴方様に映画出演を要求する理由がおわかりかと存じます、そうでございます、、、これでやっとあの因縁の作品「青い影」から脱却出来るのでございます。
花野様、勘違いされてはいけませぬ、、、梅男が再生したのではありません、私が青年の力を呼び戻したのです。回春作用はやはり自分の為にしか効力がない、、、そう深く認識した次第なのです、、、貴方様の映画のどこを見ていたのやら所詮、人は上っ面しか見ようとしませんから、、、致し方ないことなのですが、、、
そう云うわけでありまして、梅男が最後に連れ立ったあの二人にもどうしても会わなければなりません。お隠しになっても無理なのです花野様、さあ、その同封の包みを開いてみて下さい、、、どうです、驚かれましたか、そうです「大いなる正午」の二十三話で展開される世にも奇妙な午餐の情況の写真であります、、、少しぶれておりますが紛れもない、三島加也子を訪問した山下昇が二人でラーメンを食する場面なのです、、、この写真を梅男がいつ入手して後生大事に文庫本に挟んで神棚の裏に隠していたかは知りませんが、私は一目で梅男と同行した両人だと直感的に分かりまして、さぞかし花野様にとっても意味深いものだろうと大事に保管しながらも、先に申しあげた事情により今日に至った次第なのでございます。私の驚きが倍増したのも理解頂けるかと思います、、、二人の写真が公園事件前に撮られたものであれば別段どうこうありません、、、よく写真をごらん下さい、山下昇は眼鏡をかけています、それだけでなくその顔つきは以前とは別人に見えませんか、、、まるで冷血な殺し屋のような、、、つまりこの写真は事件後に写された、そして「大いなる正午」は後から書かれた、、、梅男は事件前にこの写真を手に入れていた可能性が高い、しかしこれは背理となっていまいます、筋道を通せば梅男が事件後にそっと家の神棚に置いていったとも考えられますけれども、これも矛盾が多過ぎる、、、要はどっちに転んでも最大の謎には違いないのであります。」