れいめい塾 発 『25時』



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れいめい塾戦記:

2004年4月

三重県高校剣道県大会団体戦速報。津西、決勝で三重高に敗れる。

4期生・辻本光生に女の子が産まれた。父親の弁では母親似とか。本当に良かった・・・。

4月30日、斉藤太郎、M−BANKに内定! 急遽、古西(名古屋大)帰参。先週、タバスコで彩られた高梁君も桑名から襲来! 午後10時、古い塾へ武器を持って集合!

4月22日、午後5時。黒田君から電話。黒田君、小田君ともに名古屋まで発表を見に行ったとのこと。ともに合格。これにてウチの今年度の受験は全て終わった。この時刻、高橋君は斉藤・征希と湯船に浸かっているはず。

4月22日、医師国家試験発表。高橋講師、見事に合格。さっそく古い塾は修羅場となる。野菜ジュースとコーラ、タバスコでグレート・ムタと化した高橋、携帯から電話。「今年からお世話になる高橋ですけど、国家試験に合格しました。はい・・・はい・・・、よろしくお願いします」 なんと健気なりや。

ドクター高橋、無事アフリカより帰還。持参した地図を3枚も新しい塾の壁に貼ってはご満悦。あとは4月22日の医師国家試験の結果を悠々と待つ? さらには地図以外のお土産が・・・。再びしでかした「ドクター高橋のアフリカ日記」、近日公開。ほんまに医者になるんかい!

津高全員合格なれど塾生全員合格ならず・・・。

公立高校合格発表目撃者(年齢順)

上野征希(社会人)・森下直樹(立命館)・斉藤太郎(北大)・古市舞(三重大)・古西伸崇(名大)・村瀬裕士(横浜市立)・山本明徳(早稲田)・後藤佑輔(早稲田)・藤山大輔(近畿)・橋本敬久(近畿)・古市卓(立命館)・小西晶子(立命館アジア太平洋)・長沼花衣(県立看護)・石田佳子(星城)・宮口あすか(星城)に中2の密航者数名・・・。

お待たせ! 山本明徳こと、アキちゃん。

早稲田大学第二文学部合格!

久居高校から早稲田!

高校の格なんてクソ食らえ!

努力する姿勢にこそ受験生の格がある。

佑輔より連絡あり。晴れて早稲田合格。連絡遅いわい!

橋本、唯一の私立大学・近畿大学最難関の生物工学に合格。あとはビハインド82(センターどんだけ取ったんや?)の三重大学生物資源に臨む。

中井浩貴の「九州から愛をこめて」、DIARYにUP!

すんません、もっともっと前に大輔、京都産業大学合格してたんやけど忘れてた。その大輔、文部科学省のCOEプログラムに選ばれ意気盛んな近畿大学生物理工に合格! これにて完全落着。

紀平!卓がなんとか立命館理工に合格したぞ。

小西、アジア太平洋立命館に合格。

遅れてゴメン。佑輔、前菜の東京理科大に合格しました。

遂に高2の文系の面々が動き出した。読み手の視点から書き手の視点へとコペルニクス的転回! 題して「大西幸祐の不肖の弟子たち」 いざ開演!

神戸炎上!! DENちゃんが神戸の夜を熱く燃え上がらせる? 12月15日、急遽ライブ決定。迷える難関数学と日本史の使徒どもよ、神戸は「上屋劇場」へ来たれ!

http://www.iij4u.or.jp/~muddy/index.shtml

平成版・二十歳の原点を模索するか? アキラの”週間アキラ”スタート。

森下直樹、偏日記でDIARYに参入。BBSによれば征希の原稿もスタンバイとか。

DIARYが増殖中だ。社会人越知が中3の愛・早稲田院生の前田の日記に触発されてHPを作成、日記を書き始めた。負けず嫌いもここまでくると微笑ましい。あげく数学センター10本勝負を担当している高橋君までが、日々の授業を綴る日記を書き始めた。乱打戦である。オッサン連中が孤軍奮闘してるのに、大森(弟)と香奈子からは締め切り過ぎてるのに出稿がない。アキラ(関西大学2年)からも音沙汰ない。メールではよ送れ!

小西晶子、関西外語大学に合格! 残るは本命、アジア太平洋立命館。

田中真理子(高田T類)、アジア太平洋立命館に合格! 中井!伊勢弁で話せる相手ができて良かったな。

5月20日に「明るくて楽しくて怖い」古野先生(脳外科)をお招きして、医学部生及び医学部進学希望者と語らいの場を持つことになりました。

5月4日、9期生の紀平香介のお母さんが御逝去されました。底抜けに明るいお母さんでした。享年48歳、あまりにも若すぎる死でした・・・合掌。

5期生の山田智子に赤ちゃんが生まれた。弟の公則に遅れること1年、やっと姉貴の復権である。公則の子供は”宙”で「そら」、智ちゃんの子供は・・・明日にでも見にいこうか。

村田君が25日、医師国家試験に合格した。入局先は第一外科、入局は5月7日から。

村田君、本当におめでとう。心の笑顔を絶やさない、いいドクターになってくれることを祈ります!

2002年4月21日号 2002年5月3日号

3月29日午前10時から手術。

塾頭、舟状骨骨折で手術!

去る3月19日のカラオケ大会で佑輔と高橋講師の師弟合体ダブルインパクトの前に沈んだ塾頭。以来、なかなか痛みが癒えず。「やっぱ40歳も半ばになると治るのにも時間がかかるな」と平然と言い放ってはいたものの、激痛に耐えかね遂に病院の門をくぐることに。いろんな角度からレントゲンを撮り、やっと下された診断が舟状骨骨折。個人病院から照会を受けにレントゲン写真を持って三重中央病院を訪れる。その結果、二つに折れた左手首の船状骨をボルトでつなぐことになった。「やっとこれで三沢や小橋に1歩近づいたな」とタバコを吸いながら言ってるが、小指が小刻みに震えている。

3月19日・合格発表会場への密航者たち

森下直樹(8期生) 信藤久幸(9期生) 紀平香介(9期生) 杉野宏樹(10期生) 古西伸崇(12期生) 村瀬裕士(13期生) 飯田隆哉(13期生) 中井浩貴(13期生) 前川功樹(13期生)

これらの先輩達が見守るなかで午前10時、一斉に合格発表がスタート。津高にいる俺の携帯がひっきりなしに鳴る! あすかチャンだ。「先生!恵ちゃん受かった!」 中井が叫ぶ。「先生、津東は2人とも合格してます」 早々と推薦で決まっている明希の声がつんざく。「小林君受かった!」 そして俺の眼前では津高の発表が続く。ウチから津高を”約束の地”と定めた9人の発表が続いていく。内申を心配していたKとTの番号がない・・・クソッ!

古西、名古屋大学経済学部に合格。

古西曰く、

「あああ、これで東大の後期受けられへんやん!」

村瀬、横浜市立大学に合格。

前田(早稲田大学院)曰く、

「この前、東京へ来た時と顔つき全然違うやん!」

2002年2月26日 号外

2002年2月27日 号外

2002年2月28日 号外

2002年3月 1日 号外

2002年3月2日 前半 号外

2002年3月2日 後半 号外

世古仁志、立命館大学の

文理総合インスティチュートてな

長いとこにやっとこさ合格!

2月20日、4期生・奥田那博

大学生を対象に就職ガイダンス開催!

 17日、立教大学社会学部が本命なれど、津東の中井、あえて津東のという修飾句をつけたい! 

津東の中井、

明治大学(経営)に合格!

2002年1月10日 2002年1月18日

2002年1月27日 2002年2月 3日

2002年2月 6日 2002年2月11日

2002年2月15日 2002年2月17日

2002年2月22日 2002年2月26日



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