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DEAD END 

2002年11月第一週


11月4日

鈴鹿サーキットホテルの駐車場ゲートをくぐったところでルパン3世のメロディが・・・携帯電話が点滅している。相手は想像がついた、ドンピシャ!不安そうな紀平先生の声。「先生・・・」「紀平先生、心配しないでください。ちゃんと覚えてますよ、もう鈴鹿サーキットの駐車場に入りましたから」「そうですか、安心しました。中山先生のことだから・・・フフッ」 紀平先生、多分俺が飲んだくれて寝ているとでも思ったんだろう。どうも俺は同業者に信用がないようだ。

鈴鹿サーキットホテルの会場で安堵の表情で紀平先生、俺を迎える。「えらく時間がかかりましたね」 車を止めてからが大変だった。「ここに来るまでに道に迷っちまって」 紀平先生の呆れ顔から視線をそらそうとすると背中を叩かれる。振り向くと松田先生(白子のフロイデ学院代表)が笑っている。そこへ野崎先生がやって来て「中山先生、席を取っといたから」「僕は後ろでいいですよ」と松田先生に助けを仰ぐと松田先生、「僕も野崎先生に連れられて一番前に・・・」「一番前!」 会場一面がスーツ姿、その中を下駄履きのジーパン姿の俺がかき分けるように進む。頼りなげに野崎先生から指定された最前列のイスに座る。

目の前に並んだ机、今日のテーマ『元気塾に学ぼう』のパネリスト6名が座る机だ。紀平先生から事前に渡されていたパネリスト6名のプロフィルから、HPの検索はしておいた。予習みたいなもんか? 楠山先生(敬徳島県池田市の楠山ゼミナール)と川畑先生(館林のアイ・アカデミー)んとこはヤフーから検索できた。川畑先生とこのHPは温かみがあった。楠山先生とこは塾長日記がなければ大手の塾か?の見まがうスマートな出来のHPだった。塾頭日記、まさしく日記で毎日更新されていた。俺はこれだけで負けている。このお二人の話を聞くことにも興味はあったが、それにも増して俺の注目は地元、伊勢市の安藤大作氏(安藤塾代表)だった。

4年前に紀平先生に誘われて鳥羽の一泊の会合に参加した。紀平先生が幹事だった。その頃、吉田先生の教育支援協会の会合に参加していた俺を「たまにはこっちにも顔を出してくださいよ」と誘われた。その席でサッカーの試合があったからと遅れてやって来たのが安藤先生だった。若かった・・・席が隣りだったこともあって俺にしては珍しく話がはずんだ(安藤先生は知らないが)。「今までで一番うれしかったことは何ですか?」と俺は尋ねた。ジャージ姿で茶髪、日焼けした顔に白い歯がぼそりと動いた。自閉症ぎみの女の子と一日中伊勢の縁日を歩いたという。なんとか口を開かそうとして延々と歩いた。安藤先生はその女の子に話しかけながら歩いた。何もしゃべろうとしない、ずっとずっと一方的に話しながら歩いた。何時間も歩いて、ついにその女の子はある店の売り物を指差して言った、「あれ欲しい」 「俺、泣けてきましたわ」と安藤先生が言った。

後日談として開明学院の永橋先生と紀平先生と、その会合の話になった。永橋先生が言った、「中山先生が一番気に入った人はだれだっけ?」 俺は即座に言った、「安藤先生でしょ」 しばしの沈黙の後、紀平先生が言った。「やっぱり我々が気になる人物というのは同じですね」 永橋先生が続けた。「僕達もいっしょなんさ、やっぱり安藤先生が気になる。そして中山先生も・・・」「でも、僕が思うに安藤先生と中山先生はタイプは違うが、同じような資質を持っていますよ」と紀平先生。「いえ、僕と安藤先生は違います。彼は若い、僕はいつしか40才になっちまった。彼の若さが羨ましい。そして厳然として違うことは僕と違って安藤先生はハンサムだってことですよ」 「先生もハンサムですよ」と危なっかしいフォローは紀平先生。永橋先生が聞く、「中山先生は安藤先生のどんなとこが良かったの?」 俺は言った、「彼は身体まるごとで教育って奴をやってますよ」

4年ぶりに見る安藤先生はすっかりスーツ姿が板についていた。風格が俺を圧倒していた。

夜の懇親会の席で俺は安藤先生に近づいた。「安藤先生、今日は本当に良かった。スーツ姿で見違えたしね」「パネリストなんかになるもんで、やっぱりジャージではまずいかなって。でも中山先生がいてくれてありがたかった」「なんで?」「僕の目の前に座っててくれたでしょ、あれで落ち着いた。中山先生、下駄履きでいつものカッコで来てくれて僕の近くに座ってくれて、緊張せんかった」

安藤先生と別れ、もとのテーブルに戻ると実行委員長の紀平先生がビールを差し出した。「今日は本当に盛況で何よりです。おめでとうございました」「何を何を、先生来てくれてありがとうございました」「今日はいろいろとネタがありまして、松田先生にも会いたかったし、藪内先生にも松阪商業国際と松阪高校理数の話を聞きたかったし、和具の大山先生にも会いたかったし、それに安藤先生に会いたかったし・・・」「安藤先生とは?」「今さっき話しました。やっぱ風格ちゅうか貫禄ついてきやがったな、この野郎!ってね」「ハハハ、でも私のなかでは安藤先生と中山先生は同じような資質を持っていると思っているんですがね」 4年前に聞いたセリフだった。酔っているのかなと俺は試しに聞いてみた、「でも紀平先生、安藤先生と俺が致命的に異なっている点がありますよ」「何ですか?」「安藤先生はハンサムですよ」 紀平先生が続けた、「何を言ってるの! 中山先生もハンサムですよ」 4年前の繰り返しだった。紀平先生、完全にデキあがっている。

今日はいろんなネタがあった、安藤先生もそうだし、松田先生も薮内先生も大山先生もだ。”月刊りぼん”顔負けの付録の多さ!しかし一番のネタは紀平先生。俺は紀平先生に会うためにやって来た。今年の5月に奥さんを亡くされた紀平先生、その悲しみは到底俺なんかに分かるはずもなかった。ただ俺に出来ること、お葬式の夜、紀平先生から電話を頂いた時に言ったっけ。「酒を飲むときには誘ってくださいよ」 今日は紀平先生と酒を飲むためにやって来た。その紀平先生、連日連夜今日の準備にかかりきりだったという。そしてやっと開催にこぎつけた。赤ら顔のブレーキの壊れたトラック運転手・・・久しぶりにこんな顔の紀平先生に会った。

追伸 香介へ

親父は嫌になるくらい元気なオッサンだったよ。

11月5日

ホテルのバイキングはミソ汁とごはんにクロワッサンを積み上げ、「もどしたるわい!」の覚悟で食った。考えてみれば昨夜の懇親会のバイキングで何ひとつ食べてなかった。ただひたすらビールを飲みながら長坂先生や大山先生と話し込んでいた自分を呪った。

昼は松田先生(フロイデ学院代表)にステキなお店に連れていってもらった。JR稲生駅前の”百夜月”は丘陵の傾斜をうまく使ったオシャレなお店。また奥さんとでも来ようか。

この日、高橋君は勉強場所を古い塾に移動。高3ともども国家試験の勉強に明け暮れた。「でもね先生、高3を眺めているとまず午前0時すぐに花衣ちゃんが帰っていって、午前1時頃に大輔と健太、そして午前2時に僕が晶子と祐輔と佳子を送っていったんですよ。橋本はまだ勉強してました。思いましたね、なんで勉強できへん奴から帰っていくねんって」

深夜2時、英語の授業を終えた黒田君がやって来る。「先生、病院が決まりました」「どこや」「静岡済生会病院です」「そっか、黒田君・・・静岡へ帰っちゃうんや」「でも2年の研修期間を終えたら三重に戻るつもりなんですが」

11月6日

各中学の予定がもろもろ重なり、やっと全県模試を実施。締め切りは過ぎてるけど拝み倒しやな。

古市のツテでウチの密航してきた佐藤(三重大教育学部2年)の数学の授業。今日は全県模試で中3が高1の教室を使っているため、授業は中学の部屋で。高1にすれば久しぶりに去年の過酷な1年間を過ごした空間への凱旋となる。授業内容は数列。生徒は津高5人・津西1人・久居2人・三重B1人・津東2人・松阪1人で高校の現在履修範囲と各自のレベルもてんでバラバラ・・・やりにくいだろうなと佐藤に同情する。しかし時折笑い声があがったりして、のどかな授業風景。

高橋君が嬉しそうにあすかちゃん(津西国際3年)に言ったとか。「勉強してても落ち着かなくって1時間に2回もコーヒー買いに行ったりしてたけどね、やっと今日10時間勉強できたんだ。なんとか普通の受験生になったかなって・・・」

冷蔵庫には1本のビールもなかったはず。深夜2時に俺が高1の教室に入ってくると高橋君、冷蔵庫からビールを取り出しご丁寧に酒のツマミを添えて俺の前に。「どないしたん、ご機嫌やん」「ええ・・・今日はね、やっと普通の受験生になれたお祝いなんですよ」

午前3時を過ぎても高橋君の勢いは止まらない。あすかチャンが早く送ってほしそうな顔で俺達の話を聞いている。愛は、と中学の教室に行くと「作文書けへん・・・」とスランプの真っ只中。やっと3時30分に愛とあすかチャンを車に乗せてスタート。高橋君、あの勢いだとまだ塾にいるかなと、帰りにファミマ(ファミリーマート)でオデンを買い込む。しかし塾の電気は消えている。広い教室の中、二人分のオデンをほおばりながら北方謙三「三国志」3巻を読む。

11月7日

昨日全県模試を実施したものの欠席者が一人、香織だ。今日は塾に来たものの彼女は午後10時のシンデレラ。つまり10時には寝ちまうという・・・いやはや、ウチの塾には珍しい、いや中3でも珍しい不届き者。当然1日で終わるはずもなく、英数国の3教科でご帰還。残る2教科は明日へともつれ込む。全県模試の締め切りは過ぎている。明日香織が理科と社会を追えて翌日の土曜日に送るとなると採点処理は来週にもつれ込む。困ったな・・・。

愛とあすかチャンを送って塾にもどると午前3時30分。まあいっか、と全県模試の答案を持って暖房の効いた車に乗り込む。ひとっ走り名古屋の学悠出版まで行ってこよう。今からなら午前5時までやってる川越の横綱ラーメンの閉店までには入れるだろう。そして学悠出版の近くのガスト(ヤフーの地図で検索済)で始業時間を待ちながら三国志を読もう。それと、叔母が入院している名古屋大学病院の位置も確認できる・・・。

塩浜の手前で渋滞に巻き込まれ遅々として動かず。やっと渋滞を抜け出したのは午前5時、これで横綱ラーメンは消えた。結局、名古屋市内の吉野家の牛丼(ヨシギュー)で空腹の腹立ちをなだめようとする。名古屋の道は苦手だ、斜めに交差する道が多すぎる。ナビとしての奇妙な自信がいとも簡単に揺らぐ。

今池から千草界隈を不審車両よろしくウロウロしながら午前7時、153号線沿いのガスト千草店に到着。学悠出版のビルはこの裏にあるはず。ドリンクバーのアイスコーヒーを飲みながら三国志第五巻(全十三巻)のページをめくる。午後9時、第五巻の最後の最後でやっと諸葛亮の名前(人物ではない)が出て来た・・・。

学悠出版に無事答案を届け、吹上から名古屋工業大学のわき道を抜けた。ここには12期生の阿部が在籍している。しかし携帯番号を知らない。古西にでも聞くか?とも思ったが健全な大学生がこんな時間に起きているはずもなく・・・。

名古屋大学病院は名工大の隣にあった。一流ホテルと見まがう建物、思わず見上げては叔母がどこにいるのだろうかと目をさ迷わせる。先週、叔母は手術を受けた。長い手術になるだろうとの予測ははずれた。切開して、そして閉じた。病院の窓がぼやけて見えた・・・。

11月8日

横田(三重大学医学部2年・化学担当)の授業を受けている塾の先生、水曜日はお休み、縁者にご不幸があったという。しかし宿題を取りに行きます!とテンションが高い。さっそく横田に宿題を持ってきてもらうと、これがなんと名古屋大学の入試問題。「ハナっからこんな入試問題解けるの?」「来年4月までには終わらせたいとのことでしたから・・・でも、先週は東北大学でしたが全問正解でしたよ。ほんとに熱心な先生です」 それに引き換え俺は・・・と思う。何もしていない。大西君の小論文読解の授業を生徒ともども受講しようかと考えていたのは去年の話。しかしいつしか費えた。自分の授業があるからという言い訳もあるにはあった。しかし今月で大西君の授業はひとまず終了。来月から来年春まで冬眠に入る。ここに来て後悔の念がつのる。

深夜1時、大西君に起こされる。「先生、戻ってきたよ」 名古屋から戻ると響平が来ていた。そして小学生の英語が始まり、中1の授業へと繋いだ。疲れていた、いつしか眠っちまったんだろう。「ああ、おかえり」とは言ったものの、京都では近々結婚するセッチャンと暮らしている。戻ったよ、はないだろう。いくばくか疲れは和らいでいた、俺は大西君に言った。「とりあえずは飲もや」

大西君の授業を終えた大森(津西2年)が挨拶に。「いよいよ明日やな」「はあ・・・」と緊張感のかけらもない返事。明日皇學館大学で剣道の高校生県大会が開催される。大森は1年からレギュラーに抜擢され、今では副キャプテンも務める。新チームになっての初陣である。初戦は亀山、2戦目は桔梗が丘、これは順当に勝ち抜けるとして、3戦目がやっかいだ。前年度優勝校の鳥羽校とぶつかる。ここが勝負となる。兄貴の戦前予想では鳥羽高にはまだ3年が残っていて勝つにはかなり厳しいとのこと。インターハイから国体までを経験した卓に続き、こ奴もまた剣道にどっぷり漬かる1年が始まる。

11月9日

夏休みに来ていた千尋が顔を出した。あやふやだった志望校も決まり、今月から土日だけやって来ることになっていた。志望は松阪高校理数。これもあって先週、藪内先生には話を聞いておいた。去年から始まった特色化選抜、数学1教科と面接。試験は証明問題や難度の高い関数が出題されるという。千尋はそこそこ力はある。しかし数学に特化しているレベルとまではいかない。藪内先生の話では内申が悪くとも数学さえできれば合格するとのことだった。さぞや数学オタクが集まるんだろう。試験は2月上旬、それまでに千尋の数学をどこまで磨けるか・・・。まずは三角形の合同証明からスタート。

森下が甚ちゃんを乗せて戻った。甚ちゃんは1週間の休みを利用して晩秋の京都を楽しんでいた。宿泊は森下の下宿、うらやましい話だ。

高橋君が馳星周「マンゴー・レイン」を貸してくれる。高橋君、医学部の講師のなかではダントツの読書量を誇る。村上龍や馳星周がお気に入り、そして俺が読んでいる北方謙三の「三国志」に食指を動かしている。そんな高橋君、いつものようにあすかチャンの横で国試の勉強をしていると菊山とナオツグが顔を出す。「お願いがあるんですが・・・」「なんや?」「先輩、できれば数Vの授業してくれませんか?」「えっ! 俺、受験生やで」 触らぬ神に祟りなし、俺はさりげなく撤退。

深夜3時からマージャンが始まる。面子は大西・森下・高橋と俺、定番のメンバーである。「で高橋君、高2からのリクエストどないなった」「まいっちゃいましたよ、今から授業なんてね」「断ったんか、まあ塚崎にでも頼むから」「いえ、12月から始めることになりました」 3人とも驚愕の表情。「だって勉強あるやん」「ええ、でも橋本さん(広島大学病院皮膚科勤務)もセンター試験まで授業やってましたからね」「そりゃそうやけど橋本君の場合はどっちかって言えば過去問をさせての質問中心だろ」「まあ・・・、でもあいつら最近やる気ありますからね。ここが勝負所だと思ってるんですよ。一挙加勢に敵の本陣をつく・・・、鉄は熱いうちに叩く」 医学部生とは思えない比喩を駆使する。「俺としては本当にありがたいけどな・・・」「国試はなんとかしのぎますよ。あっ・・・リーチ!」 再び驚愕が3人に走る。

この日、綾奈が顔を出した。「先生、月謝袋をください」「まだまだ・・・」 綾奈が土日に顔を出すといっても、軽く英語をする程度だった。英語に関しては最近よく勉強するようになったとお母さんの弁。しかし物理や化学といった理系教科は医学部講師に土日に来てくれるようにとは強制できなかった。そこはそれ青春、彼女もいることだし無理が言えない。なんとか物理化学の授業が成立するようなら月謝をもらうつもりだった。今日も桐原3章の文法問題を付き合う。さすが高田6年制、なかなかに鍛えられている。明日の日曜から高2の物理の授業が始まる。講師は中塚、生徒は綾奈に菊山とナオツグが加わる。究極のミスマッチという声が塾内からあがっている。どちらかといえば菊山とナオツグ、俺が独立愚連隊と揶揄するように体育会系の講師にはまる。高橋君なんぞ今のウチの塾の生徒のなか一番こヤツらをかわいがっている。そんな面子に限りなく謙虚な中塚をぶつける。どのように中塚がこのやっかいな患者を育てるのか? さらにあすかチャンや卓、橋本でさえ「怖い」と形容、純粋培養された最も6年制らしい綾奈がどのように付き合うのか? 中塚と綾奈にとってもウチの塾で暮らしていく試金石となる。この興味が尽きない高2物理クラス、木曜から開局となる。

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