れいめい塾|25時2001年

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「25時」 

2001年11月29日号

 うちの塾のHPのBBS(掲示板)をご覧になっているご父兄からは続きを催促する電話が頻繁にかかってくる。皆さんが知りたいのは、ニーチェこと田上(塾内のニックネーム、皇学館高校進学3年)の立命館大学と仁志(津西3年)の信州大学の結果が気になっていると推察する次第。

 ニーチェこと田上は受かりました。皇学館高校は沸き立っているとか。進学(皇学館高校は進学・特進・6年制から成る)からはスポーツ推薦を除けば立命館現役合格は13年ぶりの快挙との噂あり。田上と同じように、特進と6年制の生徒も今回のAO入試を受けたが、アカンかったとのこと。これで田上の「合格体験記」は決まったも同然? また来年の皇学館の入試説明会では進学担当者が意気揚々と言うことだろう、「我が校は6年制と特進だけが大学受験に実績を上げているわけではありません。進学科も着実に実力を付けてきています。去年度も現役で立命館大学に合格させました・・・」なんてね。

 ご父兄からは「すごいじゃないの!」とお褒めの言葉を頂くものの、俺は憂鬱な気分で過ごしています。田上を合格させたことが良かったのかどうか・・・今でも悩んでいます。

 田上は夏休みにウチの塾に密航してきた。実は小学生の頃に短期間ながらウチの塾に通っていたことがある。しかし何がしかのきっかけ、多分ウチの塾では日常茶飯事、一発ぶん殴ってそれっきりだった。同じように塾をやめるにしても10月の通信で書いた香里(高田高校から日本福祉大学に合格)とは所詮俺にとって重さが違う。香里には中3の頃に最大限の努力を強いて、強いて・・・あげく、津西に落としちまった。今でもなお深夜にうなされて起きちまう痛恨の想い出・・・つまりは俺のやり残した仕事。ところが田上に対しては皇学館高校に進学した噂を人づてに聞くものの感慨もなく、少なくともこの夏に再会するまでは、セピア色の想い出の写真のどこににも姿はなかった。

 今回の田上の合格は塾内の関係者なら誰もが認めるように田上の力ではない。ひとえに大西君の力によるところが大きい。田上の大学への提出用小論文は彼の文章の雰囲気を若干残し、後は大西君と俺との二人旅。論理の一貫した文章を作成した。他の受験生もまた多かれ少なかれ高校の先生方の添削を受けていると思われるが、大西君と高校の国語の先生レベルとでは雲泥の差。大西君は大学で後進の大学生の卒業論文の指導にあたり、自らも学会で論文を発表しているような日々を送っている。到底高校の先生あたりでは太刀打ちできない。

 ただ、田上の名誉のために言っておくが、今回の僥倖は俺や大西君による完全プロデュースではない。友人に付き添って訪れた立命館大学のオープン・キャンパス。ここで田上はAO入試の存在を知る。そして説明を聞くうちに「俺でも受けられるかも・・・」と考え始める。幸運なのだ。そしてもう一つの幸運・・・俺と大西君と知り合えたってこと、これも大きい。しかし、この二つの幸運を引き当てたのは紛れもなくニーチェこと田上なのだ。

 大西君が大幅に改筆した原稿を武器に田上は一次選考に合格。受験者は224名から115名に絞られ、最終選考に臨むことになる。ここでも幸運が光る。立命館大学は去年よりも合格者数を増やしたってことだ。「今日からは毎晩小論文の授業だ!」と騒ぐ俺達を尻目に田上が言う。「高校の先生は『AO入試で合格するなんてラッキー以外の何者でもないから期待するな。オマエは一般受験目指して勉強しろ』と言うんですが・・・」 高校側はハナッからAO入試で合格させるなんてこと、頭の片隅でも考えていないのだ。しかし俺達は全く逆の思考・・・田上の英語では一般受験は到底しのげない。となると今回の試験が勝負! 田上の大学提出用の小論文に対する高校の先生方の添削も見せてもらったが、愛情が感じられない。致命的な非論理には言及せず、漢字のミスをチェックする程度に留め「これでいいんじゃないか・」とのお墨付き。現場がこれではAO入試合格なんぞ夢のまた夢。「高校の先生方の戯れ言はウチの塾では金輪際口にするな。俺達は戦略的にオマエを合格させるつもりだ。今の実力では一般入試で立命館は高嶺の花。つまりはここからOA入試までがオマエの勝負どころ! 入試までの10日間、みっちりと小論文の腕を磨けや」

 11月17日の試験の内容は2つ・・・面接と提出用小論文を同一人物が書いたかどうかを測る小論文。その小論文試験に向けてけなげな努力をするものの、いかんせん突け刃的な実力。まだまだ論理性めいた文章にはほど遠い出来。やっかいなことに田上が愛した哲学者は「哲学者のなかの小説家」と揶揄されるニーチェ。その影響をモロに受けている田上に論理性を求めるのは無理か。俺も大西君もむしろ田上に向いているのは哲学ではなく国文学ではないのか?との迷い、何度も浮かび始める。それに加えてウチの塾で過酷な中3の1年間を生きていないのが痛い。高校への皆勤賞とかで、深夜になると気もそぞろ・・・時計を気にしだすから始末に悪い。そんな苦境の淵に沈む田上のため、大西君が田上オリジナルの小論文フォーマットに手を染めることになる・・・。

 「先生、このフォーマットを田上が覚えてくれれさえすれば、絶対に合格しますよ」と大西君は断言。しかし今イチ気分が晴れない顔つき。それは俺とても同じ。つまりは二人して同じ不安で思い悩む羽目に・・・果たして田上を合格させていいものか・・・。

 我々の不安はまずは田上の学力。田上には論理的文章を書く力が絶対的に不足している。さらには英語も、単語の意味だけをつなぎ合わせるだけのやっつけ仕事、英文の論理構造への認識が根本的に欠落している。文章力と読解力・・・この二つが哲学科には必須であるにもかかわらずだ。田上は一生を哲学に捧げたいと恥ずかしげもなく言い切る。その心意気や良し。しかし大学院進学の場合、専門教科と語学は優が要求される。哲学に恋する田上なら専門教科の全優は可能だろう。しかし今の英語力では原書講読にまるっきり対応できない。また卒業論文などの論理性を要求する文章も書けない。果たしてこんな生徒を立命館に合格させていいものかどうか? 

 ただ、田上が哲学を心の底から愛していることは見てとれた。特にニーチェに対する耽溺ぶりは高校生の域を超えていた。しかし問題はその愛し方だった。俺や大西君にはどうしてもモー娘に熱狂する高校生と同じノリのように思えたのだ。しゃべらせてみると哲学者に関する雑学は驚くほどよく知っている。フーコーをこよなく愛する大西君ですらが舌を巻く知識量を披露してくれる。しかし、その知識のどれもこれもが枝葉末節、ゴシップの類。いわば田上の哲学の知識はワイドショー的なものばかりなのだ。

 フォーマットは完成したようだった。大西君は逡巡の後、田上に一つの提案を持ちかけた。それは、たとえ立命館に合格しようともウチの塾を続けること。そして国語の授業と英語の授業を受けることだった。期限はウチの高3の最後の生徒が試験を終えるまで。最後の受験生とは国立大学の二次試験を受ける村瀬や隆哉などの面々。つまりは彼らが2月25日の受験を終了するまで、受験生と同じテンションで塾で勉強を続ける。そして偏差値60以上の一般受験をクリアして入学してくる同級生達の実力に一歩でも近づけようというのが、大西君の狙いだった。今でこそ研究員ながら、このまま立命館に残って講師から助教授へと進んでいくビジョンを持つ大西君にとり、立命館に対する母校愛とウチの塾の講師という立場に挟まれての苦渋の決断とも言えた。そしてさらにもう一つの提案、どこか大学を一般入試で受けること。大西君は國學院か東海大あたりが希望だったようだが、俺は龍谷大でいこうやと・・・。龍谷大学にも文学部哲学科がある。ランクでは立命館と比べると当然落ちる。しかし今から勉強を続けるにしても何か目標があったほうがいい。そして万が一落ちた場合、自分が立命館に合格できたのは小論文であり、英語や国語の実力ではなかったことを痛感できる。龍谷大学に合格しても立命館に落ちる受験生はたくさんいる。偏差値60をクリアして入学してくる生徒と共に学ぶんだということを肝に銘じてほしかった。また田上が龍谷大学に合格し場合は、彼が高校入試で味わえなかったという達成感が初めて生まれることになる。

 この大西君の二つの提案に関して田上はさも当然とばかりに頷いて答えた。「分かりました。そのようなことなら自分のためにもなることだし・・・」 大西君が俺に視線を向ける・・・不安げな眼差し。多分、大西君は俺の不安な眼差しも見てとったことだろう。こんな田上の言葉の軽さが怖いのだ・・・。

 そして俺のほうも大西君とは違う意味で、やはり田上を立命館に合格させようと考えてはいた。それは彼の小論文の至る所に出てくる小学校と中学校時代の教師に対する怨念めいた感情、さらに心を許した数少ない友人以外の同級生達への辛辣な眼差し。言いかえれば田上もまた辛い日常を生きてきたのではないか。付き合いは短かったものの、小学校時代の彼は、まだまだ軽い一面を残していた記憶がある。それが今年の夏の6年ぶりの邂逅、いつしか彼は寡黙で厭世主義的、分かりやすい言葉で言うなら根暗な人格になっていた。その日、初めて田上を見た大西君は言った、「先生、あれでは小論以前の段階や。性格で100%、面接に落ちるわ」

 俺もまた大西君と同様、田上を立命館に合格させるか否か逡巡していた。ある時、田上と二人でいて、ふと頭に浮かんだ疑念を田上にたずねたことがある。「オマエさ、自分の性格好きか?」 彼は一瞬躊躇して答えた。「・・・嫌いです」 

 俺にも、親が教師であったことから息苦しい学校生活を送った過去がある。息苦しさから逃れたいと思いつつも、結局は流されるように優等生を演じ続け、津高に進学。高校時代の俺は大学くらいは自分の好きに選択したい・・・そう願っては、いつか始まる新しい生活、誰からも期待されない自分だけの生活に夢焦がれていた。そして早稲田関大に合格。俺は躊躇せずに関西大学に進学を決めた。早稲田に合格したことは親には内緒だった。着の身着のままで辿り着いた夕刻の吹田駅、プラットホームに降りた俺の身体にまとい付くビール工場の特有な匂い。今では辟易する匂いだが、あの時、あの一瞬の匂い・・・俺に取っては大袈裟ではなく”自由”そのものだった。今日から俺は誰に気兼ねすることなく自由に生きていける・・・ベンチに腰をかけ、肩を上下させ飽くことなく全身でその匂いを嗅いでいた。そんな俺を怪訝そうに見やりながら家路に急ぐ人々の群れ。

 あの時の自分、そして今俺の前にいる田上・・・俺が何を言いたいのか、当惑気味に視線をさまよわしている田上。そんな田上に昔の自分をだぶらせていた。今回の試験に合格するとしたら、田上にとっては自分が進学を切望した立命館・京都で、来春から新しい生活を始めることができる。俺は田上に言った。「俺は昔、すごく嫌な奴だった。成績は良かったけどな。でも、ただそれだけ、つまらん奴だったさ。多分さ、オマエのオヤジもさ、俺のこと、そう思っていただろうさ。でもな、津高に入学しても状況は変わらねえ。結局は俺は大学進学でこの街を離れることを待つしかなかった。大阪で自分を変えようと思ったよ。いや、大阪でもどこでも良かった。とにかく自分を変えたかった。まあ、今の俺は自分が理想とした俺じゃねえけど、それでもかなり近い線行ってるな」「父親から聞いたことあります。あいつは塾をやってから変わったって・・・先生のことを・・・」「そうだろうな・・・。でも、俺はなりたい自分になろうとしたよ。大阪で大学生活を始めることをきっかけにな」 田上は無言だった。「オマエもさ、もし合格したら、自分がなりたい自分になれよ。来年4月から京都で、自分が一番好きな自分になってみろよ」 

 しかしそれでも今、これで良かったのだろうかと思いあぐむ日々を過ごしている。大西君が京都にいる間、田上の指導にあたった紀平(南山大学文学部哲学科4年)が言った。「あいつは俺達が全面バックアップのおかげで合格したとしても、いざ合格すれば『自分の力で合格したんだ』って絶対に思うような奴やな」 森下(立命館大学国際関係学部編入)もまた頷いている。「たとえばさ、よくドラマなんかであるやん。お互いにらみ合って一方は身代金なんか持ってさ。あとの一方が人質を持ってるんや。どっちが早く渡すかで揉めるやろ。今で言うなら大西さんがフォーマットを渡すから来年まで勉強続けろって感じやろ。そして大西さんはフォーマットを田上に渡したんさ。でもさ、あいつが身代金ならぬ勉強を約束通りやって大西さんに返すっての、俺は信じられへんねん」 確かに田上には人にそう思わせる何かがある。

 大西君が京都に戻るのを一日延ばして田上を教えた試験直前の月曜日。フォーマットを完璧に覚えさせようと深夜に突入。しかしあくびが出る田上。大西君、まさかと思いつつも「眠たいんやったら帰るか?」 それに対ししてニーチェ曰く「はい、じゃあ失礼します」 その夜、大西君は「信じられへんわ。俺ってなめられてるの? 試験まであと5日やぞ! あいつは本当に立命館に合格したいと思ってんのか!」と叫びつつ鳥羽へと車で一人、帰っていった。急転直下、翌日大西君は40度からの高熱で倒れることになる。

 翌日、その知らせを聞いてあたふたする田上。「バチが当たった!」と叫びつつ「大西さんは明日は来れるでしょうか?」 横では大西君のワンポイントリリーフの紀平が教えているのに・・・。「40度の熱だから仕方ねえだろ、落ち着いてろ!」「だって大西さんが来れないんだったらフォーマットのラストはどうなるんです。僕はまだ教えてもらってない!」「あのさ、オマエが眠たいからって昨日の夜、さっさと帰ったんだろ!」「でも早く帰らないと親にも申し訳ないし・・・」「そんな時は俺が送って行くって言ってるだろ!」「でも、高校の皆勤賞が・・・」「あのな、オマエは皆勤賞で表彰されるんと立命館大学に合格するんと一体どっちが大事なんや」「・・・それは立命館に・・・」「とにかくな、これがオマエじゃなくてアキちゃんや仁志やったら大西君は熱なんか出やへんわ! たとえ40度やってもな、這ってでも塾に来とるわ!」 その横で憮然とした表情の紀平、大西君が想定していた最後のフォーマットを推理する作業の手を止めて叫ぶ。「オッサンもニーチェも静かにしてろや・・・集中できへんやろ!」

 田上の学力も不安だが、紀平が言うところの田上の性格・・・人の気持ちを一切斟酌しない・・・そんな性格にも不安がつきまとう。

 合格した翌日、塾にやって来た田上に大西君が懇々と説教をしていた。合格が決まった途端「今度の土日はゆっくりと身体を休まそうかと・・・」と言う田上に俺はひと言、「オマエさ、大西君と約束したろ? 大西君の授業に出るって・・・。喉元過ぎると熱さ忘れるってか?」 そんなやり取りが大西君の耳に入ったらしい。「だからな、オマエ、俺と約束したやんか。ちゃんと勉強するって、国語の授業にも出るって・・・なんで忘れるねん」「いや、忘れてたわけじゃ・・・」「大学受けるって約束もしたよな」「それはもう・・・受けます」「あのな・・・塾の先生、オマエにいろんなことやってくれたやろ? 月謝渡してるから当たり前ってか? じゃあ、高校の先生がオマエに一体何をしたんや? オマエさ、なんで哲学やりたいんや? ニーチェはな、自分を愛してくれる人々のこと、よく分かっとったんやで。感謝もしとったんや。でもな、自分の思考がある。人間の根源に迫る以上は周りの人々を傷つけることも必要悪なんや。でもな、人々を傷つけながらも人々に感謝してたんや。オマエの今まで書いてきた文章見てみ、小学校の先生も中学校の先生も、そして今度は高校の先生もオマエにとっては唾棄すべき存在として書かれとる。自分の周りの人々をな、バサッと切って平気な顔しとるんやで。自分勝手な解釈を駆使して自分にとって都合の悪いものを自分の視界から切って捨てとるだけなんやぞ。ただ他者を排他するだけ・・・そんなんがオマエの哲学の目的なんか?」

 本来ならば田上のビールかけが始まっていたはず。しかし誰もビールかけをしようとは言い出さなかった。田上には悪いが、ウチの生粋の受験生の顔には「あんなんで立命館受かるんやったら俺は立命館なんて受けたらへんわ!」と書いてあった。俺にしてもこんな気分でウチの伝統をおっぱじめる元気、到底なかった。期末試験直前の喧噪の中、俺は気ぜわしげに1階と3階を往復していた。しかし何もやることが思い浮かばなかった。

 大西君が降りてきた。「えらい長い説教やったな」「もう勘弁してほしいわ」「で、どやった?」「あいつさ、うまいこと言うねん。俺が哲学をすることは社会と関わることやから、ウチの塾でもどこでも人に会ったらちゃんと挨拶をする。俺や先生だけやなく誰にでも挨拶する。下宿を始めたらいろんなバイトでもして、人間関係に積極的に関わる。そして人との約束は必ず守る・・・。ちょっと線香臭いけど、そんな感じの話をしてたんですよ、じゃあね、あいつ言うんですわ。『今日の大西さんのお話で僕は目から鱗が落ちました』って・・・。あいつ、いっつも言うことえらいんや」「へ〜っ、目から鱗か・・・あいつ、鱗何枚あるんやろ?」 病み上がりの大西君、久しぶりに腹をかかえて笑った。

 そして今日、28日。2日に一度は英語の勉強に来いよ!と言ったものの、またもや英語の授業に姿なし。

 今、この一瞬を立命館を目指して深夜まで勉強している受験生が全国に数万はいると思われる。今回、以上のような展開で田上を合格させてしまったことは、今年の俺にとって喉に刺さったトゲのような気がしてる。

 信州大学を目指していた仁志は落ちた。こ奴はこの夏まで津西ソフトボール部に所属、キャプテンとして全国大会出場を果たした。評定平均は3、5ながら、担任の先生は当初、気楽な口調で「大学側もクラブの実績を買ってくれるんじゃないかな」と言ったそうな。大西君がそれに口を挟む。「信州大学はどうか知りませんが、ウチの大学やったら甲子園出場クラスが続々と自己推薦でやって来ますからね。全国出場くらいでいいんかな」 「俺はやっぱり評定平均3.5が気になるな。これが野球部やったら見事な内申に変身するんやろけどな」

 大西君は仁志の大学提出用の小論文でも実力を遺憾なく発揮した。ちなみに俺と大西君の実力もまた雲泥の差。俺はよく揶揄して「大西君は俺にとって島左近やな」と言ってる。俺には大西君、勿体ない存在やな。「絶対に仁志を信州に合格させたい!」と常日頃口にしている大西君、添削した仁志の小論文は見事な作品へと変身していく。仁志の言葉を借りるなら「大西さんが書き直していくと文章に見る見る生命が吹き込まれていくみたいだ」となる。仮想面接もまたボソボソと意味不明瞭な田上と違い、体育会系特有の礼儀正しさと明るさで安心できる出来映え。当日もまた面接官からは提出論文のあら探しではなく、ハナッから論文内容の核心を突いた質問が次々に飛び出す。内心、たんに面接の出来だけなら合格したんじゃないかとも思う。しかしやはり気になる3.5の評定内申。

 信州大学もまた当世流行のインターネットで発表・・・しかし仁志の番号はなかった。塾内の全員がもし合格したならビールかけ!と逸っていた。伊勢市民病院で研修を受けている高橋君(三重大医学部5年)も、医師国家試験の勉強真っ最中の村田君(同6年)も参戦予定だった。当然その他の医学部をはじめとする講師の面々もまた着替え持参で塾にやって来た。しかし仁志は落ちた。クラブと勉強の狭間で苦しみ、それでも文武両道を目指してここまでやって来た仁志が落ちた。

 かつて津西の野球部のレギュラーだった塾生は評定内申が3.5だったにもかかわらず、大学への推薦が決まると何故か4.2に様変わりしていた。確かに津西にあって、野球部は最も厳しいクラブ。学校側の温情? しかし野球だけに捧げたと言っても過言ではない高校生活、そんな生徒に対する愛情として俺は、高校側プロデュースになる内申マジックを微笑ましく眺めていた。しかし今回の仁志に対する仕打ち。野球部ではなくソフトボール部なれど全国大会出場という実績、果たして学校側は評価したのだろうか・・・。

 評定平均を除けば今回の仁志に落ちる要素は微塵もなかったと断言できる。ただ、仁志のいた高校に問題があった。

 津西には邪悪な精神が潜んでいる。公立高校であるにもかかわらず国際学科の修学旅行は中国、来年はシンガーポールとか。そして普通科は北海道。これが私立ならこちとらが文句を言う筋合いはない、しかし公立。どういう精神しとるんやろ?と思てたら、最近普通科の1年生に「あなたも修学旅行は海外へ行きたいですか?」なんぞと、今頃になってふざけたアンケートを実施する始末。父兄から苦情でもあった? 高校時代、英語が大嫌いだった俺だが、教師として尊敬してた佃先生、津西は一体どないなってるねん?

 野球部にだけ特権的に認められる優遇的な姿勢、それに対して野球部ではまだ未踏の全国大会出場を決めたソフトボール部のキャプテンに対する恐ろしく醒めた評価。今回の仁志の一件が俺に残したことは、拭いようのない津西高への不信感だ。

 仁志は発表当日の21日、BBSに信州大学に落ちたことを自ら書き込んだ。その画面をあのオチャラケの紀平が、あのシニカルな森下が・・・黙りこくって眺めていた。

  ・ やられた・・・投稿者:塾頭 投稿日:11月21日15時11分

 やっぱ俺が風呂に入らへんだのがアカンかったんかな。

  • なにを 投稿者:shine 投稿日:11月21日15時50分

  やられたんや!
  ついに嫁ハンににげられたんか?
  詳細はこのページで報告せよ。

  • すみません。 投稿者:世古仁志 投稿日:11月21日17時11分
  • さっき、信大のホームページ見ました。落ちてました。不合格!たぶん、塾頭はこのことを言っているのでしょう。部活を精一杯やって、推薦で受かろうなんて考えが甘かったみたいです。先生、大西先生、森下先輩、甚野先輩、紀平先輩、その他の僕を支えてくださったみなさん、本当にありがとうございました。センターまで2ヵ月をきり、私立受験まで3ヵ月をきりました。残された時間は後わずか。春には笑えるようになっていたいと思います。今日から、また出直します!

 そして、ニーチェこと田上からのBBSへの報告は今だ、ない。

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