近鉄 ビスタカーU
(全廃前に10100系が三重連で運行されました。)
 
昭和53年3月撮影 by hashimoto
 
近鉄ビスタカーU
 
 管理人のお宝写真です。ビスタカーUの引退が決まり、昭和53年3月に「さよなら運転」をしたときのものです。このような9両編成の長大編成を撮るにはここしかないと、当時の久居市新家町地内の畑の中で待ち構えたものの、カメラの不調でシャッターが下りず、なんとかたった1枚撮れました。
 通常ビスタカーUは、3両で1編成を構成しており、今では珍しい連接台車で、中間の2階建車を挟み込み、3両固定編成とされていました。
 編成のパターンは先頭車の形状で3種類ありました。片端が流線型のブルドッグ顔ともう一方が貫通型のウインク顔の編成(連結方向により2種類)と、両端とも貫通型のウインク顔のものがありました。
 なぜ、こんな変なことになっていたのでしょうか。その謎はこの写真で解くことができます。実は、3編成9両(3重連)で一組の長大編成で設計していたのではと思います。でも近鉄名古屋線の特急停車駅のホームは8両編成用で建設されていたので、1両あたりの全長が若干短かったとしても、9両編成を運用することは難しかったのかなぁ(あくまで私見ですが・・・)そんなこんなで、晩年は「名阪ノンストップ特急」で3両1編成単位で運用されていた記憶があります。
 車両のデザインの発想は良かったのですが、運用が難しかったのか短命に終わり、やっと「さよなら運転」で3編成9両(3重連)での運転が実現したわけです。決して三重県内をねて走るから三重連というわけではありません。(^_^;)
 ネットで調べても、このような長大編成全景が写っている写真がありませんでしたので、「お宝写真」ということにします。
 もう30年も前の銀塩写真ですので、退色が進んでいます。(^_^;)