昔々、神代の時代の昔話です。
ヤマトタケルは第12代景行天皇の子として誕生しました。
幼名を小碓命(おうすのみこと)といい、16才のとき父・景行天皇は九州の熊襲(くまそ)を平定(へいてい=敵や賊を討ち平らげる)するように命じました。
熊襲征伐した小碓命は倭建命(ヤマトタケル)と名乗るようになりました。
ヤマトタケルは休む間もなく父の命を受け、次は東国の平定へ向かうことになりました。
父は、東国の12か国(伊勢、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、総、常陸、陸奥)が従わないので平定するようヤマトタケルに命じたのです。
出発前、ヤマトタケルは伊勢にいる叔母の倭比売(ヤマトヒメ:景行天皇の同母妹)から,須佐之男命(スサノオノミコト)が出雲で倒したヤマタノオロチの尾から出てきたとされる天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上した天叢雲(あめのむらくも)の剣を受け取りました。
仕事を終え、大和を目指して歩き続けるヤマトタケルでしたが、体力は衰え,「わが足三重の匂(まか)りなして、いと疲れたり」と語りました。このことからこの地を三重と呼んだのですね。
ヤマトタケルの東征は三重県である伊勢国を出発して三重に戻ったのです。
やまとは 国のまほろば
たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし
ヤマトタケルは終焉の地となる能褒野(のぼの)に着きます。
能褒野は現在の亀山市です。そして,ここで力尽きました。
ここから大和へ向かって一羽の白い鳥が飛び立ちました。
最近あの辺りは本当に白い鳥がたくさん飛んでいるんです。
コサギ、チュウサギ、ダイサギ・・・おれおれサギに振り込めサギ。
ご注意くださいね。
話がそれそうですので元に戻します。
さて、これからが榊原に伝わるヤマトタケルノミコトと笠取山のお話です。
東征の出発に当たり、ヤマトタケルは伊勢にいる叔母の倭比売(ヤマトヒメ)に会いに行くのですが、ヤマトヒメは斎宮(いつきのみや)のトップである斎王です。
そしてヤマトタケルはアマテラスをお祀(まつ)りする神宮へ行くのですから、伊勢国に入った「ななくりの湯」で禊(みそぎ)をして神宮に向かいます。
ヤマトタケルは景行天皇の宮(日代宮:ひしろのみや−奈良県桜井市)から東に進み、伊賀を越え布引の山(青山高原)を越えると伊勢国。
この古道は榊原の一番西の集落「カリキド」に「やまみち・いがごえ」の道標が建つように、倭の都から伊勢への主要道路でした。
ヤマトタケルは神宮に向かうときの慣わし通り、布引の山を越え「カリキド」で伊勢に入り「ななくりの湯」で湯ごりをするのですが、ここで不覚を取ったのです。
熊襲(くまそ)を征伐したヤマトタケルとて敵がいるはずもない布引山で、伊勢の海を望みながら笠の紐を緩め、ほっと汗をぬぐっていた一瞬の隙を突かれたのです。
西から吹き上げる風に、かぶっていた笠を吹き飛ばされたのです。
あっという間に笠は山中に消えていきました。
笠を取られたヤマトタケルは布引山を下り、集落に出ました。
地蔵堂の広場でたき火をしていた地元の衆に出会い
「やあ皆の衆、ここは伊勢でごじゃるか」と声をかけると
『何が ごじゃるか やて?ここはカリキドやぞえ』
「そうじゃったのう、仮の木戸、伊勢の入り口じゃ」
ちょっと休ませてもらうぞ、とヤマトタケルは輪の中に割り込みました。
『みかけん人やけど、どっからおいなしたんや』と聞かれると
「ヤマトじゃ」
『やまと村かいな』
「そうでない、ずーっと西の大和国じゃ」
『へー、そんに遠いとっから笠もかぶらんとござったんかい』
「かぶっとったさ、でも山の上で取られたんじゃ」
『奥山には天狗さんがござるからのう』
「そうでないんじゃ、風じゃ、風」
『立っとらんとまあここへ座らんせ。で、風と斬り合いでもさんしたんかいな』
「いや、恥ずかしい話じゃが、笠の紐を緩めたとたん、風がぴゅーと吹いて笠を取られてしもうたんじゃ。あの山は笠取じゃ」
『ははは、あんた強そうやけど風には勝てんわ、のう、みんな』
「人なら何人かかってきても負けたことはない、つい先日、熊襲(くまそ)をやっつけて九州から帰ってきたとこじゃ」
『へー強いんや。よっしゃ、奥山のてっぺんを笠取と呼ぼまいか』
「ああ長居させてもろうた、帰るぞ」
『あんた、なっちゅう人や?名前おせーて』
「ヤマト・タケルじゃ、世話になったのう」
『タケルちゃんか、また来てえ』と別れました。
それから布引山の北側の山を「笠取山」(写真)と呼ぶようになったそうです。
ヤマトタケルはカリキドの地蔵堂から1里半ほど下ったところに湧く、「ななくりの湯」で湯ごりをしました。
湯ごりとは温泉で禊(みそぎ)をすることで、都の人たちにとっては大切な温泉でした。
都人(みやこびと)は、神宮にお参りする禊に欠かせない温泉だからと、温泉の神オオナムチとスクナヒコナの2柱の神様を祀り、「湯山神社」として源泉の近くに祠(ほこら)を作り村人に管理を依頼されました。
ヤマトタケルは村人に「この神社は、湯山神社じゃよ」と教えると
村人は「イヤマジンジャか、温泉のイゲで見え隠れしとる」と、ユヤマをイヤマとしか言えなかったのです、土地の訛(なま)りです。
だから地元では射山神社と呼んでいます。
ヤマトタケルはここから3里、雲出川の手前の物部神社(もののべじんじゃ=別名:仮の宮)で足を休め、川を渡り斎宮へ向かわれたと伝わります。
後は、ヤマトヒメさまとお会いされ、渡された天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を持って東征に向かわれたというお話です。
「あの山は笠取じゃ」はこれでお終い。