沢田聖子フリーク「すーさん」の歩み
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1.「しお〜♪」と連呼する曲
すーさんが「1000年女王」に凝っていた中学2年生だった頃の話。
このテレビ漫画の主題歌が「星空のメッセージ」というタイトルだったが、「テレパル」でそのタイトルを見つけ、エアチェックを試みた。
情報通りFMのアナウンサーがこのタイトルをコールすると、すぐさま、私はラジカセのRECボタンを押した。
「あ、あれ?」
その後に流れたのは、テレビで流れる曲とは、似ても似つかぬ曲ではないか。
すー
は、数分間呆然とし、STOPボタンを押した。
落胆しきっていたすーさんを後目に、FMのプログラムは次の曲へと進行していた。
誰に照れたのだろうか。
意地を張って、そのままFMの流す曲を聴いてやろうという気になった。
ずいぶん、のどかな曲だったが、サビの後、この曲の歌い手が、「しお〜」と連呼し出した。
「お、面白いやないかぁ。」と、珍しいものを拾った気で再びRECボタンを押し、カセットテープにその曲を録音したのだった。・・・・そうなんだ。あれが初見だったんだよなぁ。。。。
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2.初心者にはありがち・・・・
後日、謎の「しお〜」の曲について、「テレパル」で確認した。
タイトルは「シオン」。
歌っていたのは「沢田聖子」(無知なことに、「さわだせいこ」と発音していた)だった。
どうも、あの「しお〜」の連呼と、不思議な歌声が気になっていたのだろう。
録音したテープを何度か聴いていたが、何しろ、ぶつ切りでテープに入っていたものだから、歌詞の内容が今一わからない。
いつの間にか、「テレパル」を開いて「シオン」というタイトルを探していた。
再度、この曲をエアチェックしたわけだが、この時、初めてアナウンサーの紹介で、「沢田聖子」は「せいこ」と発音するのではなくて、「しょうこ」と発音することを知った。
今、思い返すと顔が火照ってしまう。
まあ、よくある話で、、、、
とにかく、「シオン」を通して聴いて、せつなくなってしまった。
中坊にとって、切実な問題がそこに歌い込まれていたのだから。。。。
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3.「ダシ」
秋は文化祭の準備に青春していた頃。
壁新聞の係になって、クラスメイトの連中と、夜遅くまで青春していた。
まあ、文化祭の準備って、ほとんど遊びながら作業するわけで、プロレスの技を掛け合ったり、ギターを弾きながら、歌を歌ったりと、、、、すーさんは鞄の中から、テープを何本か出して、ラジカセを鳴らし始めた。
そして、数曲目に「しお〜」が流れ出した。
「ああっ、この歌知ってるぅ〜」と叫んだのは、丸いクリクリ目の女の子。
「えっ?知ってんの。」とすーさん。
「お姉ちゃんがこの人のレコードを聴いてるもん。
沢田聖子やろ。」と女の子。
「へえ〜。
有名なんや。」とアホなすーさん。
「あんまり、テレビに出ぇへんけどなぁ。
あんた、沢田聖子のファンなんかぁ。
レコード持ってんの?」と女の子が言ったとき、とっさにすーさんはこう答えた。
「うん。 ラヂオで、よお聴いてんねん。
ええ、声したはるやろ。
いっぺんでファンになってしもうたんや。
でも、レコード持ってへんなぁ。
聴いてみたいなぁ。」この言葉にはいくらかの偽りはあった。
「ほな、お姉ちゃんに頼んであげよか?」
「うん、うん!頼んだって。」という具合に、壁新聞の作業をそっちのけで、この女の子と二人で盛り上がっていった。
だって、その女の子はすーさんの「シオン」だったんだから。。。。
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4.武者小路実篤の「友情」
すーさんのシオンが持ってきてくれたのは、分厚い箱に入ったLP盤だった。
「少女期」と中坊にとって、ちょっと恥ずかしいタイトルのベストアルバム。
写真集っぽい歌詞カードが入っていた。
歌声しか知らなかったすーさんは、聖子さんをもっと若い人だと思っていたが、それよりずっとお姉さんなんだと、写真を見て驚いていた。
せっかく借りたんだからと、カセットテープに落としておいた。
「シオン」に登場する男の子は彼のシオンに声をかけられないでいたが、すーさんは「シオン」のおかげで、シオンと友達になれた。
でも、浮かれていたのはちょっとの間だけ。すーさんの親友もシオンのことをが好きだなんて言い出した。
二人が猛烈にシオンにアタックした。
中学卒業とともに、二人とも恋に敗れた。
後で本人から聞いた話だが、その親友は武者小路実篤の「友情」を読んでいたらしい。
その親友は東京に行ってしまったが、今も親友でいる。
でも、武者小路実篤の「友情」は今だに読んでいない。。。。
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5.あなたは あなたのみちを 走ってください
男の子は好きだった女の子のことを忘れないもの。
シオンに借りて作った聖子さんのテープを繰り返し聴く。
いつのまにか、聖子さんのレコードを全部集めていた。
最初のアルバムは、確か、、、、北大路の冬期講習、かの親友と二人で、京商までちゃりんこを漕いで浮かした電車賃、、、、あれで買った「卒業」だった。
親の貯金箱から少しばかり、レコード代を失敬したこともあったな。
覚え立てのギターを爪弾きながら、「しお〜」と叫んだりもしていた。
聖子さんの歌はすーさんを励ましてくれた。
「少女期」はアルバムだけじゃなくて、書籍もあった。
「あなたは あなたのみちを 走ってください。」
・・・・すーさん、走ってますっ。。。。
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6.純情すーさん
すーさんは高校生になって、フォークソング部というところに入って、聖子さんの曲をいっぱい歌った。
部の女の子にヴォーカルを頼んで、聖子さんバンドを編成したことも何度かあった。
とにかく、最も聖子さん一途な時期だったかもしれない。
生の聖子さんの歌声を聴くために、コンサートへ出かけるようになったのもこの頃だった。
京都会館や大阪厚生年金会館、、、、
そうそう、十字屋ホールでの握手&サイン会は忘れない。
純な少年すーさんは憧れの聖子さんと、あんなに至近距離まで近づけたのに、握手までしてもらったのに、、、、聖子さんと目が合って、ニコッとされた瞬間、すーさんの脳みそは暴発してしまった。
パッと聖子さんの手を離し、ホールの後ろへ向かって、駆け出してしまった。
一番後ろで振り返ったら、まだ聖子さんはすーさんを見て微笑んでくれている。
むっちゃ、恥ずかしかったんだ。。。。
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7.涙 握手をするとき、聖子さんと一言、二言を会話をしていたり、聖子さんと写真を撮ったりしているファンが多かった。
それを羨ましそうに、すーさんは指をくわえながらぼーっと後悔していた。
舞い上がっていたのか最後の曲がなんだったのかよく覚えていない。
ただ、アンコールのSEだったかな。
聖子さんが胸のペンダントについて語ってくれた。
あのダイヤの入った「S」字のペンダント。
なんでも、亡きおばあさんからもらった大切な宝物だそうだ。
それを話してくれた後、聖子さんはいつもよりも思いっきり笑顔を見せて、アンコールの曲を歌ってくれた。
ライトに胸のペンダントがキラッと光った。
そのとき、すーさんは聖子さんの目にもキラッと光るものをみつけて、瞳を潤ませてしまった。
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8.シンセドラム
「Potential」3点セットに戸惑いながら、大学生になったすーさんは相変わらず、聖子さん一途だった。
白井貴子や中村あゆみ渡辺美里の誘惑にもうち勝って、1986年の春、チケットを握りしめて聖子さんのコンサートへ出かけた。
この頃の聖子さんはチャレンジャーだったように覚えている。
さっきの「Potential」3点セットもそうだけれど、ライヴでもチャレンジャーだった。
ドレスでステージを歩き回ってたし、シンセサイザーによるヴォーカルのエフェクトも凝ってきていたし、ギターを抱えたり、ツインドラムを従えたり、、、、とにかく、楽しませてくれた。
そして、なにより驚かせてくれたのは、アンコールの最後。
ステージ上の聖子さんの傍らに、妙なスタンドが立っていた。
先には数枚、黒い六角形の板がついている。
「も、もしやっ!」
聖子さんはおもむろにスティクをその板にぶつけた。
それを合図に新曲が披露される。
聖子さんは小さな体を目一杯踊らせながら、叩き続ける。
「格好ええやんっ!」
すーさんは思わず叫んだ。
「素直に生きてみよお〜Woo!」
いつまでも。。。。
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9.著作権はよかったのかな?
聖子さんの最初で最後の12インチシングルを抱えて、すーさんが寮に帰ってきたら、同室の先輩が頭を抱えていた。
間近に迫った寮祭のテーマ曲が決まらないそうなのだ。
寮の文化委員(寮祭をはじめとする、寮の行事屋さん)だった先輩は、寮祭の司会役と音楽ディレクターを担当していたのだ。
大学の寮生が楽しみにしている寮祭のテーマ曲は、そのまま寮祭自体のテーマと結びつけなければいけなかったが、そのテーマにあう曲が見つからないというのだ。
どんなテーマか訪ねて驚いた。
「今、素直に」!!
おいおい、偶然か?それとも、誰かが仕組んでいたのか?
もちろん、すーさんは買ったばかりのレコードを先輩に聴かせた。
「沢田聖子じゃないか。
去年、この大学の学祭に呼んだから2年生以上の者はみんな知っているぞ。」
聞き終わった先輩は、そのレコードを持って、部屋を飛び出していった。
次の日から毎朝、起床時に「Natural」が流れ始めた。
寮祭まで一ヶ月ぐらい続いたから、寮祭の日の朝はテープが延び延びで違う曲に聞こえた。
寮祭本番でも、至る所でこの曲が聴けた。
女の子のバンドがアカペラ、コーラスで披露していた。
クライマックスのフィナーレ、空に花火が打ち上げられ、キャンプファイヤーの燃えるグラウンドに大音響の「Natural」が流される。
幸福感と感動のあまり、目頭が熱くなる。
次の年、寮祭のミキサーテーブルにはすーさんが座っていた。。。。
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10.乗り越えて行くさっ
ドライアイスが滝となって吹き出すと、聖子さんの歌声が聞こえてきた。
その白いカーテンを抜け、すーさんはけちゃと手を携えながら、なじみの顔が並ぶテーブルにキャンドルを灯していく。
「乗り越えていけるね。」
ああ、乗り越えて行くさ。。。。
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11.京都駅の改札口 「History」というベストアルバムが発売された年の文化の日、京都駅の大階段ステージで聖子さんの無料ライブがあった。
初めて聖子さんのステージを真っ正面の最前列で観た。
青い空の下、秋のさわやかな風が聖子さんの髪をなびかせた時、すーさんの胸がキュンとなってしまった。
大好きな「Natural」は大きな声でうたった。
聖子さんがそんなすーさんへ微笑みながら、一緒に歌ってくれた。
またまた、すーさんの胸がキュンとなってしまった。
隣のけちゃを忘れて独り舞い上がってしまっていた。
興奮さめやらぬ心を抱きながら近鉄ホームへむかっていた時、新幹線の改札で、聖子さんを見つけてしまった。
そして、しばらく固まってしまった。
1m先に聖子さんが・・・・(小さい・・・・かわいい・・・・)
聖子さんが改札へと向かって離れていって振り向いた時、すーさんを見つけてくれた。
そして、笑顔で手を振ってくれた。
すーさんも思いっきり手を振った。聖子さんが人混みに消えるまで手を振った。
何度も何度も。。。。
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12.聖地巡礼 同じ年、東京の「日本青年館」で行われた聖子さんのコンサートへ行った。聖子さんの初LIVE盤が収録された「日本青年館」は沢田聖子フリークにとって、「聖地」と呼ばれる場所であった。
真正面後方にあるミキサーの前方の席だったから、良い音で聴けた。
いつもの様に、喉がかれるまで一緒に歌い、手が腫れるまで拍手をした。
聖地「日本青年館」で体験したコンサートはひと味違った感動をすーさんは噛みしめた。
そしてその後、聖地「日本青年館」のホテルへ戻って、ときめく心を大切に抱えながら、眠りに就いた。
とてもとても、幸せな夜になった。。。。
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