★ミセスアミーのゴミのお話し★

             私が4〜5才の頃、各家には蓋付の、ミカン箱を利用したごみ箱がありました。「生ごみ」は、大きい空き缶に
             溜めて置くと「リヤカー」を押した養豚屋さんが持って行ってくれました。ごみ箱には、燃えるごみが入れられて
               いて、それも町の方が「リヤカー」で取りに来てくれました。でも、頻繁には来ませんでした。ごみが少なかった
             のです。衣食住全ての物を、その頃の人は後生大事に使いました。私達子供だって、お菓子の包み紙でさえ、
             綺麗にしわを伸ばし宝物にして、捨てたりなんてしませんでした。それに、修理屋さんが一軒一軒回って鋏やら、
             ナベやら、傘の骨だって、元の通りに直してくれて、それを何年も使っていました。生活は、今と比べたら極端に
             不便でした。           

             大人達は、「たらい」で洗濯し、「ほうきとはたき」で掃除しました。だから、具合が悪くなるような電気器具は無く、
             従って粗大ごみもなかったのです。こんなにごみが多くなったのは、いつの頃からでしょう。プラスチック、ビニー
             ルといったそれまで珍しかった物が、安く手に入るようになったからじゃないでしょうか。

             家が、ラムネ屋を営んでいたので、空ラムネ瓶の回収に、母が汗をかいているのを見て、三角ジュースの「あの
             ビニールの方が良い」と子供心に思っていました。それが処分に困る代物であるとは夢にも思わなかったのです。
             おかげで、便利で快適な暮らしを手に入れましたが、それが「地球を汚す」と言う事に、随分長い間目をつぶって
             しまった要因になりました。そして不便な時代の「つつましさ」を失ってしまったのです。

             快適な暮らしから後戻りするのは難しいことです。だからこそ、せめて使えなくなった物をポイと捨ててしまわない
             よう、上手に処分したいと思いますし、みんなが、そうでありたいと願っています。          

                                                                                                                         石倉 美代子