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これらの写真は一身田町の方に見せて頂きコピーしたものです。
本山で平成十三年四月二日より執行された尭猷上人五十回忌記念に遺品展が開催され数多くの写真と
遺墨が展示されました。
尭猷上人は近衛家のお生まれで大正二年専修寺第二十二世御法主となられた方です。
境内一杯の群集に驚きました。
余談 祝砲に使われた花火の筒が今でも如来堂の縁の下に残っています。
本山参詣の時に探して見て下さい。
本山は百年前と少しも変わっていないのが不思議ですネ。でも良く見ると灯篭が一対無くなっています。
唐門の前の写真ですが当時はお寺で後に慈光院(老人施設)の前身があったそうです。
如来堂前八日の写真に小僧さんが写っています。一体誰なんでしょうかネ。
前門様は後にお生まれになっているし、明治二十年過ぎにお生まれになった方だと思われますが・・・
勘六松は松くい虫の為無くなりましたが、根っこを十万人講が綺麗に衝立のようにして如来堂の縁側に
保存して見えます。
お茶所は進納所になっています。
愛知駅のことご存知の方お知らせ下さい。名古屋駅と蟹江駅の中間にあったと思われます。
トンガリ帽子の時計台がある駅ってそう沢山無いはずですから。ご存知の方はこちらへ。
[旧笹島貨物駅舎と解りました。」
詳細についてもっと知りたい方は、鉄道マニア片岡さんの「時の鉄路」をご覧下さい。
極楽橋は現在の橋より少し川下にあったそうです。