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銭湯黒鱒
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Tuscaloosaで助かるーさ?その6

ツッキーのナショナルチャンピョンシップ参戦記第1弾

お待ちかね〜

不動明王の化身はキリストさんを打ち負かすことが出来るのか?って、とにかくHere we go !

Tsukky presents

TRUE STORY 

CITGO/B.A.S.S. Federation Championship

Way to the

2003年5月10日。

いよいよ、出発の日が来た。

昨年のクラッシックでアングラーオブザイヤーになった時から分かってた「ナショナルチャンピオンシップ」への扉を開ける日。

 不安で不安で、嫌で嫌で仕方の無い出発前の数ヶ月。(マジッ?)

言葉の不安、一人で行くことの負担、オールスタークラッシック以来の大舞台はバスフィッシングの本場、生まれ故郷とも言うべきUSA。アラバマ州タスカルーサのレイクタスカルーサがその舞台であった。

今だから言えるが、行く直前まで、いつドロップアウトしてやろうかとさえ考えていた。(なあんだ、そんなに嫌だのならいつでも代わってあげたのに〜)

 ただ、今まで選ばれて参戦してきた寺島伸幸・岡田透・堀田祐二・井上弘道・高橋義真・三橋勝紀・甲佐直幸・鈴木克昌・小川貴紀・そして、昨年日本人の底力を思い知らせてきた鉄人高谷昌弘(敬称略)これら先人が付けて来た道筋を閉ざす事は出来ず、こんな私に期待してくれる仲間達の思いを後ろ盾に、10数年前に諦めてた筈の大舞台への一歩を進んだ出発直前だった。(前夜までお荷物やらコスチュームのことやら諸々と悩んでいたのを私は知っている・・・「プラグはどうやって持ってったの?パンツの替えは何枚持ってったの?袈裟の色はハデかなー?」とか、他の件でも「シャツの裾をズボンの外に出すのはマナー違反なの?金髪のオネーチャンにはどうやって声をかけるの?ウエイインの時に観衆を沸かすにはどんなギャグを言えばいいの?」・・・悩むものなんです些細な事にまで)

 ノースウエストNW012の翼は5月10日午後3時50分成田を飛び立ち、私のチャンピオンシップのプロローグの幕は切って落とされた。(ビールを飲みすぎた勢いで、黒人のフライトアテンダント=スッチーにナメナメしてもらったのは、ここでの出来事?それとも帰り?)

デトロイトでの入国審査を済まし、トランスファー(乗り換え)手続きもクリアし、バーミンハムへの国内便が出るまで4時間以上の余裕が・・・話し相手も無くだだッ広い空港をトラムと言う空港内を走る電動モノレールに乗ってみたり、マックに入って英会話の練習をしたり、居眠りをしてやり過ごしていたらアッと言う間に搭乗時間となり小さな飛行機へ乗り込む。数日来トルネードの襲来や気圧配置の不安定さから雲行きは怪しかった。(あっちは、気候が不安定な春から夏への変わり目の時期には、サンダーストーム当たり前で、マジトルネードがよく発生してまっせ。編集長が行った98年のテネシーでも、トーナメント開催期間中に、湖の最上流部で発生してたし、州都ナッシュビルでは死者まで出てたヨ。コワーッ)

1時間弱のフライトで着いたバーミンハムはデトロイトの肌寒さから一転、夜なのにムッ・・・とする暑さ。

居るはずの迎えとの行き違いで小一時間不安な時間を過すも、アストロバンのオッチャンがいきなり私によって来て紙を見せる。そこには「Sigeru  Tsukiyama」の文字が・・・そのリムジンバスにたった一人で乗り込み一路滞在先のホテルへ。

1時間のドライブで着いた町はシティではなくタウンのイメージ、「ユニバーシティアラバマ」エリアの一角にある「フォーポイントシェラトン」は、どこぞのシェラトンホテルをイメージしていた私には、かけ離れた面持ちの建物は僅か3階建てのコンパクトなホテルであった。

チェックインを済ませ与えられたルームキー、私の部屋は2階の211号室ツインルームにたった一人・・・その日は荷物を開けて無事かどうか、忘れ物の確認をし、不足の物は明日買い足そう・・・とバタバタするなか空腹感に時間をフッと見るといつの間にか深夜1時!結局ディナーは食い損ねてしまった。

いつの間に寝たのだろう、出発前に寝るヒマも割いて仕事の段取りや用意にかまけていてロクに寝ていなかったので幾らでも寝れる・・・正午過ぎにようやく部屋を出、タスカルーサの町に出てみようと思った。

フロントでタックルショップは何処?と聞き歩いて何分?・・・と言うと「歩いて・・・?」と聞き直される。

後で考えればアメリカは日本以上の車社会、街や道路の規模も違うのに歩いて行こうとした私が馬鹿だった・・・約2時間地図を片手に彷徨い、言われた店は日曜の為クローズ。

朝も昼も食べずに居たことに気付き、ガソリンスタンド兼コンビニで買い物を試みる、ダイエットコークにドクターペッパー、スニッカーズやビール・・・そうだ、B.A.S.S.の公式スポンサーに確か「Bush Beer」が・・・と思い試しに買おうとレジの黒人のオバちゃんに差し出すと、他の商品はレジを打ってくれるのに何故かビールはレジの端に追いやられ結局最後まで打たず終い、「これも・・・」と言ったら「駄目だ!」・・と「Why?」と聞けば「今日は日曜だからウンタラカンタラ・・・」と、後で懲りずにホテルのレストランでもビールを注文したら「ノードリンクデー」と、窘められてしまった。そう、日曜はアルコールの販売は規則でされないのでした・・・チャンチャン。(ここでも黒人にナメナメしてもらったんですネ。州によって法律が違うから注意やね!テネシーが大丈夫だったのはバーボンの故郷やからかな?ちなみに、テネシーは、信号が赤でも右折はOKだった・・・日本で言えば左折やね。)

翌月曜は受付(レジストレーション)とスポンサーミーティング・トーナメントのブリーフィングがあり、いよいよホテルにも各州のコンテンダーやプレジデント、関係者が集まりだした。今日の午後まで通訳の居ない私はハンディGPS片手にホテルの入り口でウロウロ・・・(イジワルな言い方ですが、Tsukkyさんが不安げに、ウロウロしてるのって見てみたい風景ですナ。だっていつも毅然としてるんだもん。)

〜ジェリーシャウバーUとの出会い〜

今回のチャンピオンシップではいくつかの出会いがあった。その一つがホテルの入り口でうろうろしている外人(異邦人)の私に声を掛けてくれたコンテンダーが居たのだ!「どうしたんだ?お前は昨日タックルショプを捜していたろう・・・?何か必要な物があるんじゃないのか?私はフロリダから来たジェリーシャウバー。もし良ければ俺の車で連れてってやる」そんなニュアンスの事を言ったと思う。「いいのか?受付時間は平気か?私は行けるならタックルショップには行きたいのだが・・・」

「じゃあ、俺のカミサンと子供が今プールに居るから少し待ってくれ、断ってくるから一緒に行こう・・・」そう言ってくれた。

彼は32歳でフロリダはジャクソンビル在住の高校の数学教師、そして大学の講師をしている2児のパパ、困っている私に声を掛けてくれた優しいアングラーだ。(あんたは、幼稚園の先生兼幼稚園バスの運転手で、5人もとい4人のパパやがな・・・負けてへんデ!)

彼は敬虔なクリスチャンで食事の前には神への祈りを欠かさない、そんな真面目さからか?仏が見かねて神を呼び寄せたのか?緊張していた私をリラックスさせてくれる出会いであり、彼と彼の家族(ワイフと娘のケイラ)の存在は、単なる小心者の日本人?築山滋がジャパンコンテンダー「Tsukky」として自らの存在を表すのに多大なる影響を与えてくれた。(そうか、高谷さんが言ってた、情報をシェア出来る仲間を作ること、一人で黙り込まずにコミュニケーションする事の意味が分かった!)

この日以後、朝3時の朝食・プラ後の情報交換・夜のパーティー等、私と通訳は彼と彼の家族と行動を共にする事になる。(うーん、ここでは、キリスト教の勝ちやナ。)

〜ルームメイト!?〜(本心は、「クウーッ、金髪美女にあらず!」のはず?)

ナショナルチャンピオンシップは奥さんやフィアンセの同伴は認められており、その場合は1部屋を身内でシェア出来る・・・しかし単独でのエントリーだとよそのコンテンダーと一緒の部屋になるとチームメイトの井上から聞いていた、ご多分に漏れず私も一人で2日過した部屋に、レジストレーションの日からルームメイトがやって来た、その名も「ロバート・トンプソン」イリノイ州代表で51歳フィッシングショップのオーナーで、巨漢とヒゲの風貌はまるでクマオジサン。しかし、「ヘイメーン」が口癖の愛すべきルームメイトだった。彼は昨年12月に地元のガイドとプリプラをし、詳細の書き込まれたGPSマップを持ち自信満々、下手に言葉が分からないのを良い事に私は不安になりそうな彼からの深い情報を聞かないことにした。

ロバートのおじさんの所属はノーザンディビジョン・ジェリーはサウザン・そして私はウエスタン、お互いにクラッシックの権利を侵害しないからか三味線弾くことも、カマかける事も無く、普通に会話が出来るのが不思議だった。それがナショナルチャンピオンシップの持つ特異なフレンドリー感覚なのだろうか?

ただ、初日の結果以降ウエスタンのコンテンダーは私を強く意識し始めたのは分かったが・・・

 (フレンドリーさは、国民性ですナ。それにも増してヤツらは日本人をなめてますから「日本にもバスがいたのか?」とか、4ポンドラインとか使う話をすると「日本にはそんな小さいバスしかいないのか?」など、こっちのことに対する予備知識まるでNothing!事情を良く知る連中は、前回あたりから見る目は変わってるでしょうけど・・・ネッ!おちゃぶ様。)

〜1994年の再来〜

私は1994年にモンタナ州トラウトクリーク・ノクソンリザーボァで行われた「チームトーナメント」にかつて参戦をした。

E/Dからは佐藤充氏を団長に今井健之・赤羽修彌・寺島伸幸・マッチ松本・そして私、W/Dからは甲佐直幸・中山ジュニアの8名で・・・その時にトーナメントのペアリングで私はコロラド州の「ラリー・トリプレット」と言うコンテンダーと同船をした。

当時私の愛艇は「バスキャット・パンテーラU」そして彼の船も同じであった、今回ホテルでめくったバスタイムスにコロラド州代表に彼の名前が・・・今でこそ船はバスキャットのクーガーに乗り換えているが、「ヘイ!ラリー。Do you remember me? This is Sigeru Tsukiyama・・・」と言った私を見て、「ノクソンで乗ったよな・・・」と返してくれた。こんな嬉しい出会いもあった。

 

〜 テラジマノブユキを知ってるか? 〜

いよいよ、2日間のプラクティスデーが5月13日から始まった。船には前日ボランティアスタッフの運転するシェビートラックのおニューのタホでタックルは全て積み込んである。気持ちが逸っているのか?緊張してハイテンションからなのか?眠れない・・・チャンと眠れたのは1時間くらいか?午前1時には目が覚め、静かに起き背筋をし、シャワーを静かに浴び2人分のコーヒーを入れる・・・(これが最終日までの私の日課だった)

早朝3時には朝食を摂り4時には選手移動用の2台の大型バスに乗り込み点呼を受ける皆、名前を呼ばれているのに私だけ何故か「ジャパ〜ン!?」と言われる。馬鹿にすんなよ〜って思いで「アイムヒアー」と大きな声で答えてやった(笑)(お見事!基本的にシャイな日本人は声が小さいのだ、英語に自信が無いからかナ?編集長も控えめでした・・・反省。ところで、名前って「シュゲッルー」とか「サイゲルー」とか「シゲウー」って呼ばれませんでした?ウマタロンは「コシャ」、編集長は「キャツマッサー」 だったモナ)

前日に分かっていた事だが私のボートナンバーは41番私のラッキーナンバーである4と1、そして41はメールアドレスのtsukky41にも縁がある。そんな嬉しいボートナンバーが与えられた、船はスキーターの200SXにヤマハのV-MAX200psにモーターガイド24volt/81lbクラス。ZXよりも下のモデルだがいきなり新艇が与えられる嬉しさに喜びもひとしお。毎朝夜露の降りる4時台にボートの用意を・・・フライトの遅い順にボートヤードからランチングスロープまで移動する。(確か、無職頭迷コンナモンヤの携帯メルアドにも41の数字が・・・二人はもしかして・・・似たもの同士?Oh my Buddha !)

そんな私の41号艇の隣には40にNY代表ビル(彼は何からナニまでスピニングタックル!?)、42号艇はオハイオ代表の「マイ・ホーム・ダッド(主夫)」のカール・グーゴールド、彼らはフレンドリーに「シゲルゥ〜・シゲルゥ?」と話しかけて来て和ませてもらった。(向こう三軒両隣あたりまでは、リージョンがかぶってない限り、仲良くなれるエリアですナ!)

カールのはじめの一言は「Do you know  Nobuyuki Terajima?」であった・・・・のだが、何故知ってるの?・・・と聞くと以前出た時に彼と友達になって・・・と言ってたのです!!世間は狭いモンです。

この彼は初日・2日目とコンスタントにグッドウエイトを持ち込み2日目、3日目とESPNの前で独自のバズベイトパターンを駆使してかなりの魚をゲットしてましたネェ〜。お茶目な彼のスタイルは非常に共感を受けるものもございました。

以上、まずはナショナルチャンピオンシップ実釣直前までのダイジェスト原稿でした。

今夜はここまで!

第2章こうご期待。

築山 滋

注)本文中赤字は編集長のツッコミなので、気に入らない方は、その部分を飛ばしてお読みください。