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時事放談・・『格差社会』
昨夜(25日)はコンサートだった。
「フォルテ・ピアノ」というピアノの前身の古楽器によるモーツアルトやベートーヴェンの作品を聞いた。
演奏は井谷佳代さん。
高校の同級生(女性)の娘さんである。

鍵は66しかなく(現在のピアノは88鍵)、ピアノと同様「弦をたたいて」音を出し、大部分木製で音は柔らかく繊細である。
なお、この楽器では黒鍵と白鍵が逆になっている。(写真参照)
ハープシコード(チェンバロ)は「弦をはじいて」音を出すので音の強弱がつけにくいが、この楽器はピアノと同様である。

会場が三重県立美術館で、専門のコンサート会場でないところがまた面白かった。
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それはともかく「格差」が拡大し、それは小泉内閣の責任だとして批判批判する人がいる。
それは本当だろうか。

完全な自由主義経済の元では「格差」は必ず発生する。
格差をゼロにすることは出来ないし、すべきでないが、格差をある程度小さくすることは必要である。
どの程度の格差が望ましいか、などという問題は私のテコにのらない。

格差を縮めるには「金のある・豊かな」人々から「金のない・貧しい」人々への富の移転がなければならない。
このためには国の関与が必要である。
国が税金という形で持てる人々から高い税率で徴収し、それを社会保障などの形で全ての国民に平等に分配する。
税収が不足すれば国債などの借金でこれを賄う。

「格差が拡大した」といわれるが実態についてはまだはっきりと証明されたわけではないらしいが、なんとなく格差が拡大したという感じは受ける。
以下、格差は拡大したとしてハナシを進める。
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「格差」が拡大し、顕在化したと思われるのは、主に3つの原因がある。

【1】 企業の体力減少。
バブル経済の崩壊後、かなり長期に亘って企業の体力が減少し、従来の「分配」方式が通用しなくなったことである。

バブルが始まる前、銀行などの金融機関にはカネが有り余っていた。
製造業などの景気がよいので銀行からの融資を必要としなかったからだ。

そこで銀行は有り余ったカネを土地と株券につぎ込んだが、途中で金の供給を大幅に制限され(政府による「総量規制」)カネが回らなくなり、頓挫した経済状況であった。

バブルがはじけたおかげで、銀行から多額の借金をしていた企業はその返済に苦労した。いくつかの企業や(貸していた)銀行が倒産、企業・労働者・地域に深刻な不況をもたらした。

ちなみに銀行は公的資金を返済し、そのうえ大規模合併を通じて巨大化した。
かなり健全な姿に戻り、今は大幅な黒字になっている。

しかしバブルのときカネを借りたため返済に苦労した企業は、こんどは「羹(あつもの)に懲りて・・」なのか借金に慎重になり、銀行などに金が有り余っている。(やむを得ず国債に手を出すのである。3年ほど前だがある地方銀行の預金に対する貸出比率が60%程度だと聞いたことがある。)
それでもまだ、過去の「赤字」との相殺で利益がないことになっており、税金を払っていない銀行さえある。

ともかく、借金を棒引き(踏み倒す)したり、公的資金(税金)をつぎ込んだりして、2006年ごろから生き残った企業(大部分生き残っている。しかし弱体化していた)は力をつけてきた。
しかしまだ「余力」があるとは思えない。
つまり企業は「貧しい」人にカネを分配するだけの力を取り戻してはいないようだ。

【2】デフレの進行
バブルと平行してデフレが、これまた、企業の力を奪っている。
下がったとはいえ給料はまだ高いし、国内では売り上げは伸びない・・・そういう状況ではデフレは避けられないだろう。

パートや派遣社員が増え、平均給料はたぶんバブル以前よりも下がっているのではないだろうか。

【3】財政の悪化
バブルの尻拭いと、社会保障費の増大で国や地方公共団体の赤字は天文学的になり、「公」による「(富の)配分力」が弱ってきている。
かくして、医療費や年金において大幅な負担増になっている。
これをけしからんという人がいるが、「ない袖は振れぬ」のである。
負担増・給付減をしなければ医療制度や年金制度が存続し得ないのである。
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今格差が拡大しているとすれば、それは「歴史的必然」で人為的にそうなったのではない。
小泉内閣の責任ではないのだ。
もし格差縮小(拡大させない)政策が可能で、それを採っていたら、企業の立ち直りが遅れたり、財政悪化が更に進んでいただろう。

なんだかバブル時代の生活水準が「当たり前」と勘違いしていないだろうか。
「あの頃は」こういう生活をしていた、だからそれを落としたくない・・「格差拡大批判」はこういう感覚でモノを云っているように思える。