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「しまなみ海道」と松山そぞろ歩き 広島県の三原で大学の同窓会があった。
ホテルで宴会の後翌日「瀬戸内しまなみ海道」を車に分乗してドライブした。
この海道は広島県の尾道と四国の今治を結ぶ自動車道路で、いくつかの島を何本かの橋で繋いでいる。淡路島を通るルート、宇野―高松のルートと合わせて四国連絡橋が3本あるが、そのうちの一番西にある架橋である。
私に言わせれば無駄な公共事業の典型で、膨大で償却の見込みのない借金は国が肩代わりしたらしい。
それはともかく、ここで見学した平山郁夫美術館と大山祇神社について書く。
『平山郁夫美術館』(生口島)いうまでもなく、東京芸大学長の平山氏の作品を納めた美術館で、小学生のころの作品まである。
シルクロードを調査したときの作品も多くあって見ごたえがある。
中でも仏教に関する絵画は私はあまり見たことがなく、感激した。
通俗的絵画はたくさんある。たとえば「地獄絵」など。しかし彼の作品は芸術的だ。
ここでは載せられないが『大仏開眼供養記図』は大作で、たくさんの人物などがこと細かく描かれている。
しかも下絵まであって、緻密に計算されて描かれている。
『絲綢の路 パミール高原を行く』も印象深い。
あまり詳しくないが、HPがあるので参考にされたい。(一例)
『大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)』(大三島) ここには大山祇神(おおやまづみのかみ:大山積神、大山津見の神とも書く)が祀られている。
大山祇は『古事記』に出てくる神で、伊耶那岐(いざなき)・伊耶那美(いざなみ)の間に生まれた神である。
(以下、ウィキペディアより引用)山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の甲冑の多くがこの神社に集まっている。(引用終)
なお、この宝物は「国宝館」で見ることが出来る。
HPもたくさんあるが、たとえば 。
私はこのドライブの終点「来島海峡SA」から更にJR今治駅まで送ってもらい一人で松山に向かった。列車は「しおかぜ13号」今治 15:36 発で松山 16:14 着。
日曜のせいか、がらがらではなかった。
松山駅からは市電で「道後温泉」へ。
日曜だったので羽織袴のガイドが出迎えてくれた。
宿の「にぎたつ会館」に着き、歩いて10分の「道後館」へ。
ここの湯は単純泉。軽いぬめりがある。
さすが道後温泉、日曜日の関係もあるのかよく込んでいた。
湯船に灯篭のような施設があり、ここに漢字が彫られている。
脱衣場にある説明では万葉集にある歌の一部だという。
商店街でタオル地のマフラーを買う。
以下翌日の見学地紹介。『石手(いして)寺』 「にぎたつ会館」から歩いて10分の所にある真言宗豊山派の古刹で、四国霊場51番札所。西暦700年代の創建と伝えられている。「お大師さん」と呼ばれているそうだ。
相当の大寺と見えて付近は「石手町」という。
本堂はそれほど大きくはない。
信徒の座る席は殆どなかったように記憶している。
堂の中では僧侶が希望者一人ひとりに個別に呪文(真言:マントラ。密教で真理を表す秘密の言葉。呪)を唱え、言葉(普通の日本語)を授けていた。(私は受けなかったが)
チラリと耳にしただけだが、生き方について説法しているようだった。
こういうことは大変よいことで、仏教は「よりよい生き方」を説くべきだと思う。(私には真似できないが・・・)
堂の裏に「大仙窟(だいせんくつ)」と呼ばれる全長200mほどの小さなトンネルがある。1965年ごろから掘られたらしい。
中に入ると地蔵さんがずらりと並んでいる。いささか薄気味悪い。
「宝物館(?)」にはこの寺の古い時代の瓦や、古文書、最近描かれた仏画がある。釈迦の生涯や空海の修行の様子が描かれている。
仏教は煩悩にとらわれない人の生き方を説くものだ、との説明には好感が持てた。
この寺は戦争と平和にも関心が深いようで、その一つにビルマで戦死した兵士の慰霊館がある。
ビルまでの戦闘の代表的な「インパール作戦」は1944年3月に始まり7月に終わった。日本軍参加将兵約8万6千人のうち戦死者3万2千人余り、戦病者は4万人以上(一説には餓死者が多数)、生還はわずか1万2000人という惨憺たる結果を出し、7月1日に中止された。
この戦死者の霊を慰めることは大切なことだ。
かなり古い(確か重文だったように思う)三重塔の前には「イラク侵攻及あらゆる戦争暴力犠牲者各霊」という立看板があり、いわゆる「平和主義者」らしい一面を見せている。
イラク侵攻とか戦争暴力とかの言葉は「絶対平和主義者」がよく使う。
過剰反応かもしれないが、批判・攻撃の矛先はアメリカや日本政府に限られ、チベット人を虐殺している中国や暴虐国家北朝鮮には向けられない。また、クルド人に対する虐殺のフセインにも向けられないだろう。「あらゆる戦争暴力」に含まれているのかもしれないが・・・。
なおその横に「スマトラ沖地震等人災天災救援平和祈願」という立看板もあり、がちがちの平和主義者ではなさそうだ・・そう祈りたい。『伊佐爾波(いさには)神社』 市電「道後温泉駅」から東にまっすぐ行き、ゆるい坂に続いて鳥居をくぐると長い石段が始まり、それを上り詰めると門と本殿が見える。
かなり有名な神社だという。平日でも参詣者が多かった。
本殿の周りに回廊がある。
そこで「算額」という面白いものを見つけた。
もちろん本物ではなく、小さな写真(パネル)である。
殆どの人はチラリと見ただけで通り過ぎるだろうが、数学でメシを食ってきた私には興味津々で、『道後八幡 伊佐爾波の算額』という本まで買ってきた。
「算額」というのは、和算(数学)の図形問題を約70cm×100cmの大きな額(板)に問題文と図形を描いたもので、古くは1800年ごろ、新しいものは1937年のものがある。
古いため、本物は公開していない。この神社には22枚残っている。
ネットで調べたら全国にはたくさんある。
飯田市の元善光寺にも掲げられていたと思う。
問題の作成者、「関流 何の何某」という署名や日付けがあり、「俺はこんな問題を作って解いた。どんなモンだ」と誇っているようで微笑ましい。『宝厳寺(ほうごんじ)』 伊佐爾波神社の裏の横手を下ると、時宗の開祖一遍上人(1239-89)の生誕地といわれる宝厳寺がある。派手さはなくひっそりとたたずんでいる。
幸い住職と話すことが出来た。
話の節々から、この地方は豊かであったことが伺える。
檀家には金持ちが多いそうだが、信者としては熱心ではなさそう(?)。
山門を出て気づいたが、回りには「バー」がたくさんある。
後で聞いたところではこのあたりは「赤線」だったらしい。------------------------- 13日は月曜日で、休みの施設が多い。東京では美術館など殆ど休館日である。松山もその例に漏れず休みの所が多かった。(子規記念博物館など)
開いていたわずかな施設、松山城と庚申庵を見物した。
城に登る前に大街道(おおかいどう)というアーケード街を歩いた。
市電の停留所の前に「三越」がありそこから南へ数百メートル、たくさんの店が軒を並べている。
市電通りと城の間には県庁や市役所があり、中心街なのだろう。
ちなみに松山には「JR松山駅」と「松山市駅」とがある。
「松山市駅」は伊予電鉄の中心になる駅で、前に高島屋がある。
人手はこちらのほうが多いようだ。『松山城』
小高い丘の上にあり、ロープウエーとゴンドラが平行して動いている。
この日はゴンドラで登った。本来は歩いていくべきだろう。
ゴンドラを降りても城の入口まではずいぶん遠い。
この城についてはたくさんの解説が出ているから省略。
天守閣からは松山市内が見渡せる。『庚申庵(こうしんあん)』 寛政12年というから西暦1800年、小林一茶(1763-1827)とも親交の深かった栗田樗堂(ちょどう:1749-1814)が作った草庵(草ぶきのいおり。粗末な家・・広辞苑による)で、最近大改修して一般公開している(無料)。
栗田樗堂については、勝岡 昭さんという方のHP
などを参照されたい。
周りにはアパートや民家、さらに電車(伊予電)が走るという「現代」がある。それらに挟まれて200年前の静寂に包まれた別世界がある。
市の委託でNPOが運営しており、訪れる客も少ないようだったが、係の男性には親切に解説していただき、お茶まで出してくれた。-----------------------------------
・・・ここからJR松山駅まで歩き、リムジンバスで空港まで。
松山空港の発着便は39×2便ある。
夕方出て1815大阪伊丹空港へ。空から見る大阪の夜景はすばらしかった。