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反米保守(右翼)の危険性
反米保守(右翼)とは、主として、歴史認識のおける「反米」である。
出発点は
極東軍事裁判で「A級戦犯」とされたこと、もっと一般的に「大東亜戦争」を否定されたこと、に対する反発である。
さらにこれが「靖国神社」と結びついて、非常に先鋭になっている。

日露戦争後、日本は満州の一部に利権を獲得した。
長春−旅順間のいゆる南満州鉄道とその周辺であるが、これが中国の北伐(統一運動)とぶつかり、支配範囲を広げ盧溝橋事件以降、中国全土に戦火を拡大した。その戦火を処理できなくて、真珠湾攻撃、惨めな敗戦と続くわけだが、この一連の過程を定説では「侵略」としているが、これを否定し「侵略ではない」と主張する。

具体的な根拠については別の機会に論じるが、こういう「大東亜戦争肯定」論、「何が悪い!」論、「やむをえなかった」論・・これらを総称して「大東亜戦争肯定論」ということにするが、こういう論を展開する。
先の戦争は悪くなかったにもかかわらず、「戦争に負けた」から「悪い」とされたので、これは不当だという。
わかりやすく言えば癪に障る、ということだ。

論理の当然の帰結として、極東軍事裁判は不当であるという。
確かに「平和に対する罪」などという国際法はないから、少なくとも「A級戦犯」は不当である、ということになる。

もうひとつ問題にするのはGHQによる「検閲」である。
非常に巧妙な検閲と、ラジオ番組「真相はこうだ」に代表される宣伝によって、今の日本人は完全に「東京裁判史観」に洗脳されている、という。

「だから」と彼らは声を張り上げる「東京裁判史観の洗脳から抜け出し、日本の史観を持つべきだ」という。

こういう史観は歴史の一部を歪曲し、いうなれば都合の良い部分だけを取り上げて組み立てられたもので、こっけいなものも少なくない。
代表例は「真珠湾攻撃はルーズベルトの罠だ」というもの。
ルーズベルトは日本軍の攻撃を知っていながら、敢えて最初の一発を打たせた、という荒唐無稽の説明だが、本気で信じている人も少なくない。

こういう歪曲歴史観が危険なのは、二つの理由からである。

ひとつは、ではこれに代わる歴史観はあるのか、ということだ。
寡聞にして反米史観を唱える人々からこれに代わる歴史観を聞いたことがない。
たとえば、彼らの議論では「2.26事件」を説明できない。
また、ポツダム宣言に盛られた「軍国主義」という言葉さえ理解できない(使用としない)だろう。

大東亜戦争を悪くない、という歴史観は現在に続かなければならない。つまり、現在を「説明」できるものでなければならないが、少なくともそういう歴史観を示してはいない。

示していないということは、当時の歴史観を踏襲しようとすることなのかもしれない。
踏襲しても「実害」はない。
なぜなら現在において当時のような軍国主義的なものの見方はまったく通用しないからである。

もうひとつは、現在および未来像である。
惨めな敗戦によってアメリカからあの戦争は(日本が)間違っていた、と判定され、それを受け入れる形で講和条約(サンフランシスコ講和条約)を結び、独立し国際社会に復帰したのである。
さらにアジア諸国には賠償(金)を支払っている。
そしてその延長上に現在の日米安保体制があり、日本の平和が保たれている。

反米史観ではこの現状および近未来の像まで結びつかないのだ。
敗戦直後の全てが否定されると、現在との間に「切れ目」ができる。
たとえば日米安保条約は意味がなくなる。
なぜならこれは、戦争(軍備)放棄(第九条)との引換えなのだから、第九条を改正し(これは賛成だが)、アメリカ軍に出て行ってもらわなければ一貫性を失う。
要するに日本単独で防衛することにならないと理屈に合わないのである。

反米史観の持ち主は、おそらく日本だけの防衛、つまり戦前の体制に戻ろうというのだろう。
これは危険な考えだ。
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小泉さんと違って安部新総理は「反米史観」を100%否定しているのではない。
ある程度共鳴している節がある。
それでいながら祖父である岸元総理の対米協調の路線を尊重しているのだから、すっきりしないものがある。

しかし、今のところは問題になるような事態は起こっていないからそれほど心配することもないだろう。