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真ん中の谷がオジュウ谷、左が女神荘
右が私の生まれた家です。 |
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女神荘は廃業しました |
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オジュウ谷伝説 (昔、皇子が討たれたという伝説)
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皇子討ち谷
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今から1680余年も逆のぼった昔。
時の仁徳天皇は石之比売命という美しい皇后がありながら、美しい姫さまがおいでだと聞かされると、すぐ
に妃に迎えたいと恋文を送り、あるいは侍女たちに愛を囁く男心の多いお方であったが、その思いはままならなかった。
それと云うのは、皇后は嫉妬深く、天皇が美しい姫さまに恋歌を送られたと知ると、ダンダン足を踏み鳴らして
悔しがられた。ときには、宮殿の一室に閉じ篭ってしまわれ、いくら天皇が会いたいと気嫌を取られても、かたくなに
拒まれるという気性の激しさを恐れてのことだった。
そんなある日のこと。
宮殿の宮仕えの者たちが、
「女鳥王というお王さまは美しいうえに賢くて、気品がおありだ。こんな素晴らしい女の人は他にはいないだろう」
「男として、そのような女人を妻に迎えることができたら、どんなにか幸せだろう」
などと噂しあっていた。
これをお聞きになった天皇は、
「女鳥王といえば、我が妹。そんなに美しく育ったのか」
と、まだ会ったこともない異母妹の女鳥王にひと目会いたいと思われた。
折りあって、その女鳥王をひと目ご覧になった天皇は、その美しさにたちまち虜になってしまわれた。
「なんとしても、妃に迎えたい」
そう願われ、弟の速総別皇子を使者に、結婚を申し込まれた。
ところが女鳥王は、
「天皇さまは他にも八田若郎女という美しい方に求婚なさったのに、皇后さまの嫉妬を恐れて、きちっとした扱いを
なさっていません。私は、そんな扱いを受けるのは嫌でございます。天皇さまより、あなたの妻になりたいと思います」
と、速総別皇子に愛を打ち明け、その腕に身を投げた。女鳥王の言葉に皇子も、
「私もずっと、あなたを愛していた」
と云って、二人は愛を交わしあった。
速総別皇子が何日立ってもよい返事を持って来ないので、天皇は待ち切れず、ご自分から女鳥王の御殿に出向いて行かれた。
女鳥王は機屋出五色に輝く美しい布を織っていた。天皇は、王が自分のために美しい布を織っていると思い、胸を弾ませて、
「愛しい王よ。その織物は誰のために織っているのですか?」
と、わざわざおたずねになった。すると王は、
「はい。これは、速総別皇子さまに着ていただくために織っております」
と、悪びれる様子もなく、はっきりと答えた。
そうか、天皇は恋焦がれた王の思いがけない言葉に、二人が結婚したことをお察しになった。 これまで愛を告白した女たちに
断れたことの無かった天皇は、がっかりなさった。そして嫉妬のあまり、激しい怒りがこみあげた。
天皇の失恋は、たちまち人の噂となって広がり、王のやり方を非難する者が多かった。
しかし、女鳥王は嘘やごまかしの結婚はしたくなかった。私は自分の好きな皇子を選んだまでで、地位を利用して、たくさんの
女たちを思い通りになさる天皇を好きになれなかった。
お断りしたことが天皇の怒りにふれ、きっと殺されてしまうと思った女鳥王は、
「いっそのこと、あなたさまが天皇さまを討っておしまいなさいな」
と、速総別皇子にすすめた。
天皇は二人の謀反を知り、
「またしても憎い女鳥王だ、二人を討て!」
と激怒して、山部大楯連なる者にお命じになった。
天皇に先手を打たれては勝ち目は無かった。みすみす殺されるのを待つことはない、伊勢神宮に逃れようと、速総別皇子と女鳥王は
手に手を取り合って都を離れた。
二人は倉梯山を登って宇陀の方に逃げた。
梯立の倉梯山を嶮しみと岩懸きかねて
我が手取らすも
梯立の倉梯山は嶮しけど妹と登れば
嶮しくもあらず
と皇子は歌い、宇陀から曽爾峠を超えて八知に入り、菰坂から竹原の山中まで来た。二人は、谷川のほとりで疲れた身を癒した。
冷たい水は二人に勇気を与えた。
ここからは伊勢に近い。伊勢に行けば安息の日々があると希望と夢を語り合い、さあと、手を握りあった時、すぐ後ろに荒々しい足音が迫った。
山部大楯連が引き連れた追手であった。
「一緒に葬って欲しい」
そう遺言して、若い二人は討たれた。
二人が討たれた所を皇子討ち谷と呼んでいる。今の女神温泉から50メートルほど奥に入った所だという。
竹原
滝川正太郎氏の話を参考 |
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坂本 幸 著 民話と歴史「美杉村のはなし」より
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本の紹介は→こちら
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