閉塞宇宙 "月に祈る"番外編 自分が惚れた相手は、こんなにも逞しい男だっただろうか……? 蔵馬はバスの手すりに捕まりながら、自分の横に立つ相手を横目に見ていた。 「……何だ?」 視線に気付いたのか、相手は蔵馬に問いかけた。 「飛影、座ったらいいのにと思って」 「お前が座らんのなら、オレも座らん」 「……」 市内を走る循環バスに、蔵馬は飛影と一緒に乗っていた。これから二人で映画を見に行くのだ。もし自分か飛影かどちらかが女性だったら、これは『デート』と呼べるかもしれないなあ、と蔵馬は思った。でも自分達はやっぱり男同士で、隣にいる飛影は自分の気持ちには決して気付かないでいるのだ。 飛影は具合が悪そうなのに、それでも座ろうとしない。座席はいくらでも空いているのに。もし自分から座ったら、続いて飛影も座ってくれるだろうか。でも、二人がけの座席に飛影と一緒に座るなんて、考えるだけでも気恥ずかしくて、蔵馬には出来そうにもなかった。 そういえば、いくら酔っていて気持ち悪かったとはいえ、飛影にすがりつきながら電車に乗った数日前のことが、今頃になってとても恥ずかしく思えてしまう。あの時は必死だったのだ。とにかく飛影のそばにいたくて。 それが今では、こんなにずっと飛影と一緒にいられる。初めて飛影に会った時には考えられなかったことだ。 初めて飛影に会った時――会ったというよりも、見かけた、という方が正確かもしれないけれど――まだ少し子供っぽいところがあって、なのに不思議と落ち着いた雰囲気があって……そうだと思ってみれば、その飛影は今こうして並んで立ってみると、身長もあとちょっとで追いつかれてしまいそうなくらいだ。 あの時はちょっと可愛らしいところに惚れたのかな、と思っていたけれど、今では全然違う。随分男らしく成長していた飛影の姿に心底惚れこんでしまっている。姿だけじゃない。微妙に違って見える彼の表情や、時折見せてくれる優しさ。飛影の一つ一つが好きすぎて、自分はどうにかなってしまうんじゃないかと思うくらいだ。 そんな飛影がどうしてこんなに自分のそばにいてくれるのか、蔵馬には不思議で仕方がなかった。不思議だけど、でも聞くのが怖くて、せめて今だけは精一杯この時を楽しむことだけを考えることにしたのだ。 今日のこの『映画』も蔵馬の提案だった。別に飛影と出かけられるなら、何でもよかった。でも、そこで予想外のことが起きたのだ。 映画の真っ最中、蔵馬の隣で飛影が大爆睡……。 つい自分にとって興味のある映画を選んでしまったので、飛影にはつまらなかったのかもしれない。でも、ここまで爆睡されるとは思わなかった。そういえば飛影は昨夜も遅くまで起きていたから、寝不足だったのかもしれない。一体夜中にどんな考え事をしていたのか、自分には分からなかったけれど……。 そう思っているうちにも、飛影は身体ごとどんどん蔵馬に寄りかかってきて、もう映画に集中できない状態だった。こんなに無防備な飛影の寝顔なんて初めて見る。飛影の体温が直に伝わってきて、ドキドキが止まらない。 オレの気も知らないで……。 こんなにも、貴方のことを好きなのに……。 蔵馬は飛影の身体を元に戻すのと同時に、そっと気付かれないように口付けをした。 飛影は知らない。知らなくてもいい。 『オレのことは蔵馬って呼んで下さい』 巡り逢いに気付いていないのなら、もう気付かなくていい。 だから、心苦しいけれど、もう少しだけ自分のことは秘密にさせて。自分がもうすぐ何になるなんて、本当は何をしていたなんて、飛影はまだ知らなくていい。 飛影には「蔵馬」と呼んで欲しいから。 自分と対等でいたいから。 ようやく眠りから覚めた飛影は、ひどく機嫌が悪くて、それが尚更かわいかった。こんな顔を見せるのは、自分の前だからだということをよく知っている。 「まあ、お前が楽しめたのならそれでいい」 「ええ、そうですね」 蔵馬は楽しそうに返事をした。本当は自分だって映画どころじゃなかったけれど。 飛影と一緒に歩けることが、とても楽しくて嬉しくて。こんな日がずっと続けばいいのにと、蔵馬は心から思った。でもそんなことは無理だから、せめてこの気持ちを、飛影が大好きだという気持ちを、ずっとずっと忘れずに大切にしていこうと心に決めた。 「ねえ飛影。これってまるで、デートみたい」 大好きです、という言葉の代わりに。 おわり 2006年秋
この度1年ぶりに発行する新刊"月に祈る"に先駆けて、物語の一部を蔵馬視点で書いてみました。完全に自己満足です(笑)。本編については こちら をどうぞ。 |