嵐の夜に "a starlit night"続編


――非常に強い台風3号はゆっくり北西へ進み、中心気圧……
――地域住民の皆さんにお知らせします。現在、大雨・洪水警報、強風注意報が発令されており……

 七月七日。
 人間界、それも蔵馬の住む町は、やがて襲い掛かってくるであろう敵に備えて応戦準備に追われていた。気の早い台風が梅雨前線を刺激しつつ日本列島に向かって着実に近づきつつあるのだ。
 まだ夕方だというのに、空はどんより暗く、雨は地面を叩きつけるように降り続ける。
 この調子だと、今晩か明日未明辺りが一番酷くなりそうだな……。
 運よく残業ナシで帰宅できた蔵馬は、停電や断水に備えて帰り際に寄ったスーパーでしこたま食料品を調達し、また自宅庭のまだ若い木々の支えを作り、可憐な花が並ぶプランターが風で動かないように頑丈に紐でくくり付けたりした。更には、家の雨戸という雨戸は全部閉め、トドメに玄関を板で打ちつけた。どこの家でも似たような対策をやってはいるが、さながら戦国時代の篭城ごっこの気分か。雨合羽姿の蔵馬は不謹慎ながらちょっとした充実感を感じた。南野家、兵力はたった人間一人分。
 残りの家族は心配ない。みな新居の畑中家だ。

 数時間後。
 いよいよ風雨の勢いは激しくなり、家の外はまさしく嵐の状態だろう。
 蔵馬は一人きりでぼんやりテレビを眺めていた。どのテレビ局の番組も、台風情報を流すか、通常番組の横で台風情報をテロップにして流していた。
 電気はまだ通っているが、いつ停電してもおかしくはない。
 こういう台風の日は、興味本位で外の様子を見に出かけ、その所為で怪我を負ったりするケースをよく聞くが、実を言うとその気持ちも分からなくはない。もしここが魔界だったり自分が妖狐だったりして、人目を気にする必要もない状況だったなら、自分も同じ事をやっているかもしれないな……まあ、自分がたかが嵐如きで怪我するなんてあるわけな……
 そのときだった。激しい風雨の音にまぎれて、ガシーンガシーンと、自宅を大きく打ち付けるような奇妙な音と振動が起きたのだ。
 台風を迎え撃つなど、人間生活の中で何度か体験したが、こんな現象は蔵馬にとって初めてのことだった。
 一体何が起きたのだろろうか?
 そういえばこんな話を聞いたことがある。
 あまりにも風速が強いと、屋根の瓦ですら飛んでしまうと。そのような重みのある物体が家の外壁や窓にぶち当たってうっかり穴が開くと、その穴から暴風が入り込んでしまい、家中を暴風が出口を求めて荒れ狂ったようにかき回すのだと。そして出口、つまり家に更にもう一つの穴が開きさえすると、荒れ狂っていた風はその家の中を一直線に吹き流れていくと……。
 ……冗談じゃない。もしこの衝撃が破壊力を持った物体のものだとしたら、そんなものが万が一にでもこの家をぶち抜いてしまったとしたら。この家はいい加減古いしそんなに丈夫じゃない。加えて、この家は自分一人だけで暮らしている家だ。今までずっとこの家で過ごしてきた。母親の再婚をきっかけに新居に移る予定だったのを、もうすぐ高校も卒業するしプチ自立みたいで丁度いいから、と適当に理由をこじつけてそのままずっと一人で住み続けているのだ。
 もしこの家が壊れてしまったら、母親や義父から『修理するのも大変だから、折角なんだし私達と一緒に住みなさい』って絶対に言われる!そんな、オレの夢の一人暮らし生活が、たかが台風一つで吹っ飛ぶなんて!
 なんとしてでも、最悪のパターンを回避せねばならない。そう決意した蔵馬は、おそるおそる一番衝撃を感じるような気がする場所に移動した。一階ではなさそうだ。多分二階だ。そこは自分が普段からいる寝室で……はた、と蔵馬は嫌な予感を感じた。
 ガシーン……くら……
 ガシーン……きさ……
 ゴシーン……たな……
「……まさか」
 ガシーンゴシーンと同時に、怨念に似たうめき声が聞えたのは、多分気のせいではない。
 蔵馬はおそるおそる、自室の雨戸を開けてみることにした。
 ガラガラ……
 やっぱりそうか……
「………………飛影、あなた一体そこで何してるんですか」
 そこにあったのは、『元飛影』と表現してもおかしくはないほどやつれた姿の飛影。どうやら、必死で家の外壁にへばり付き、部屋の中へ入れてくれと雨戸を叩いて合図を送り続けていたようだ。なんともマヌケな姿だ。
 飛影は全身ずぶ濡れなのはもちろんのこと、普段なら見事重力に反した立派な頭髪もへたり込み、それが激しい風のせいであちこちにひん曲がっていた。オマケにその頭が首の辺りで約90度程コキッっと折れ曲がっている。コレが人間だったら即死んでるぞ……。
「くらま……キサマ……なぜあの場所に来なかった……」
 おそらくはそんな台詞を訴えているのであろう飛影の声も、半分くらいは喉元からヒューヒュー言っててよく聞き取れない。
「は?」
「今日……たなば……」
「……あ」
 もしかしてあの約束のことか?しまった……いや、でも。
 思わず頭を抱える蔵馬の横をすり抜け、飛影は得意の匍匐前進で何とか窓枠を乗り越え部屋の中に入り込むと、そのまま床へ落下してしまいそこで力尽きた。
 これはまさか、自分の責任というものであろうか……。
 蔵馬は一通りあきれ返るとやっと我に返った。慌てて雨戸を閉めると、パタパタと下の階へ行き、バスタオルを3枚ほど持って戻った。
「ええと……そのう、貴方この嵐の中あそこに行っていたんですか?」
 蔵馬は語尾に『もしかして貴方ってバカ?』と付け加えそうになり、慌ててその言葉を飲み込んだ。
 何年前だったか、毎年七夕の日はこの場所で会いましょう、そんなたわいもない約束を交わしたことがある。この街からかなり離れた、あまり雨の降ることはない景色のよい高台だ。
 その次の年も、また次の年も、その通り二人は七夕の逢引を楽しんだりしたものの、いつのまにやら蔵馬が約束通りその場所に行っても、飛影はそんなことをすっかり忘れてしまったりして、とにかくこの2〜3年はとんだ行き違いを繰り返していたんだっけ。
 そしてとうとう蔵馬本人ですら約束を忘れてしまっていた。
 加えてこの台風だ。当然今年もそんな約束は忘れていたと思っていたのに、また今日に限って。
「今年はオレの方が忘れててごめんなさい、飛影。でも、それなのにちょっと嬉しいですよ」
 わざわざこの嵐の中を待ち続けて、それでも来ないからここまで会いに来てくれて。
 飛影はガシカシと乱暴に濡れた身体や髪を拭いていた。首はようやく元に戻った。
 首が90度曲がっていたのは、こちらに向かう途中に空飛ぶ鉄板にうっかり顔からぶつかってしまった為だという。空飛ぶ鉄板ってなんだよ、自分だって空飛ぶトマトじゃないか、と蔵馬は思ったが、恐らくは強風で飛んできた看板か何かだろう。飛影をも怪我を負わせる台風、恐るべし。やはりよい子のみなさんは、台風のとき外へ出てはいけません。
「あの伝説の男とやらが根性ナシなだけだ。会いたければ何としてでも会いに行けばいい」
 飛影はどうやら、七夕伝説の彦星のことを言っているらしい。目の前の障害に怖気づくなど、飛影にとってはきっとありえないのだろう。たとえ相手が空飛ぶ鉄板だとしても。
「そんなことができるのは、貴方くらいだと思いますよ。ふふ、流石ですよね。そんなことよりも飛影、もういっそのことお風呂に入ったらどうですか?入るなら停電が起きる前に入っちゃった方がいいですよ」
 飛影の言う『会いたければ何としてでも会いに行けばいい』発言は、つまりきっと、早い話がやりたいと思って来たわけだ。でも蔵馬にしたって、こんなに冷え切った身体を相手にしたくはない。だからお風呂直行コースを勧めた。
「どうせ後でまた洗うんだ。今入ったところで変わらん」
 変わらんのだから今すぐ始めるぞって言うつもりか?飛影の相変わらずな我侭っぷりは、哀しいかな蔵馬にとっても予想済みだ。
「いやです。お風呂に入らないような人は即刻そこの窓から蹴落とします。さーて、飛影がお風呂に入っているうちに、何か食べるものでも用意しておきましょうか。コロッケコロッケ♪」
 前半の台詞には殺意が篭り、後半の台詞には鼻歌が混じっていた。こいつならやりかねん。嵐のど真ん中に放り出される恐怖は散々味わったばかりだった飛影は、しぶしぶ浴室へ直行するしかなかった。

 飛影はさっさとお風呂から出て来たが、『まあ素直に入ったのだからよしとしましょう』といらぬ蔵馬の評価をもらい、そして二人はしばらく蔵馬の部屋で軽く食べ物(蔵馬は飛影がお風呂に入っているうちに本当にコロッケを揚げていた)をつまんだり、少々お酒を飲んだり、たわいもない会話を楽しんだりした。
 それはまるで、数年前の七夕逢瀬を思い返すようで。
 しかし、実際は台風の猛攻撃真っ盛り。ついには瞬間的な暴風で家が一瞬大きく揺れ、ギシギシッっと柱か屋根か木々の軋む音が鳴った。
「わっ」
 思わず声を上げてしまったのはどちらだったのか、『貴方でしょう』『いやお前じゃないか』と擦り付ける間もなく、ふっと辺りは闇に包まれてしまった。
「停電……ですね」
「どうなるんだ、これは?」
「すぐに復旧するかもしれませんけれど、もしかしたら当分このままかもしれませんね……なにせ外はこれだけ酷いですし……」
 そう言葉を紡ぐ蔵馬の声は、外の風雨の音に押されているのか、やや小さく聞えるような気がする。そう思ったら。
 蔵馬がすすっと、飛影の元に近寄ってきた。そっと飛影の服の袖口を掴む。
「飛影……」
「なんだ」
 蔵馬の声が僅かに震えていた。
「暗くなっちゃいました……ね。もう朝まで戻らないかも……」
「……」
 そうだろう。真っ暗になってしまえば、もうやることなど一つではないか。
 飛影は蔵馬の腕を取り、背中に自分の腕を回すとぐいっと引き寄せた。
「風がとてもすごいから、これからきっともっと家が揺れますよ……」
「そうか、それは楽しみだな」
 確かに不意打ちで揺れる環境の中でやったことはなかったし、それもたまにはいいものかもしれない。飛影はそう思いながら、蔵馬の服のボタンに手をかけようとした。
「た、楽しみだなんてそんな!オレ、そういうのが、その、……とっても怖いんです!」
「……は?」
 飛影ははたと手を止めた。まさかオレは何かを勘違いしていたのだろうか。
「ええ、笑ってもいいですよ!おかしいでしょ、伝説の妖狐蔵馬ともあろうものが、実は台風の暴風が苦手だったなんて!今までオレ、なんとか我慢して隠してきたけど、もう我慢できないんです、飛影!」
 その時再び轟音と共に家が揺れた。
「ひっ!」
 思わず蔵馬が抱きつく。
「……こ、これくらいの風で家がどうにかなってしまうわけじゃないって分かってはいるんですが、やっぱりどうも苦手で……近所の会館に避難することも考えたんですけど、飛影も連れていくのもどうだろうって思ってしまって……ああ、オレったら情けない」
 飛影の腕の中で、蔵馬はしゅんと小さくなってしまっていた。
「そうか、なら今この環境を忘れてしまうくらい楽しめばいいんだろ?」
 予想外の蔵馬の弱みを握れた飛影は、嬉しそうに蔵馬を床に押し付けた。
「ああもう、やっぱりこうなるんですね……」
 そんな台詞とは裏腹に、蔵馬もしっかり飛影を抱きしめ返した。

 翌朝。
 台風はなんとか去ったようで、そとは淡い光に包まれているのか、雨戸と雨戸の隙間から一筋二筋の光が部屋の中を差し込んでいた。
「飛影、飛影、起きて下さい」
 ちょっとだけ楽しげな蔵馬の顔に、ちょっとだけ不機嫌な飛影の顔。
「うるさい……あれからあまり眠れなかったんだ……」
「え、飛影ったらどうかしたんですか、あれだけやったのに眠れなかっただなんて?オレはちゃんと眠れましたけれどねぇ」
 蔵馬の予想は大当たりだった。昨夜停電が起きるちょっと前、暴風で家が揺れた時の飛影のたった一瞬の動揺を、蔵馬は見逃さなかった。人間界にもう20年と住んでいる蔵馬にとって、台風の暴風が苦手だなんてあるわけがない。それは飛影じゃないのかとカマをかけてみたら見事にビンゴ。暴風雨の激しい音と揺れる家と軋む音に、全く眠れなかっただなんて。飛影の今までの生活を考えたら、ありえない話ではないだろうけれど。
「暴風警報が解除されたらオレは出勤しなくちゃいけないので。それまでにちょっと、外に出て辺りの様子でも見学しません、飛影?」
 前言撤回。飛影はこの時を境に、たとえ七夕だろうと、どんなにやりたくとも、決して嵐の夜を前にして蔵馬の元へ訪れることはなくなったという。

おわり


というワケで七夕ネタ第二弾でした。
第一弾はいつ書いたんだっけ……と思ったら5年も前!(驚愕)
七夕逢瀬設定は第一弾から引っ張ってきたものです。古いので今更載せられませんが……;;
今年の七夕は台風が迫ってきているそうで、うっかり台風と対決するお話になってしまいました(笑)。
実は私、台風大好きです(笑)。仕事中も気象板に張り付いていました(笑)。
家は台風の通り道なので、怖いんですけどね。怖いんだけどあの緊張感がたまらない!
うっかりタイトルが某オオカミ×ヤギ物語になってしまいましたが、もちろん単なる気の迷いです。関係はありません(笑)。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!



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