一夜、夜食考
 

おそらく今まで夜食を食べたことのない人間はおそらくいないと思うんですが、まあ日頃よりよほどの事、自分に対して健康管理を怠らず、三食きちんきちんと戴きそれ意外はもっての他と考えている方でも、例えば学生時代の試験勉強だとか徹夜仕事でとか、思いかえせば誰しもが何らかの情況にて経験があるはずじゃありませんか。
そこで別に統計的とかおおよそとか、さしたる意味あいはないけれど、どうでしょう、やはりどちらかと言えばその食するものなんですけど、麺類ではないでしょうかな。夜中にカツ丼とかカレーライスというのはまあ、考えただけでも胃弱系の方にはちと荷が重過ぎる、いや自殺行為ですな。
というわけで「草木も眠る丑三つ刻」にさしかかろうとしている深夜のひととき、ふと夜食にあれこれ思いをめぐらせてみようなどと行き着く先は、麺、そうです、インスタントらーめんについての夜想であります。

ひとくちにインスタントといっても何種類かありまして、カップ麺はお湯を注ぐだけと手軽さが身上ですが、何かその紙なりプラスチックの容器というのが夜食のイメージからすると、お菓子とかスナックの類いにいってしまうんですねえ。やっぱり、陶器ですよ、どんぶり!あの重みと手触りこそが「食」そのものと言っても過言ではないはずで、つまりそうなると袋麺ってことに帰結してしまいます。
ところがこの分野にも分水嶺となる大きな系統に分かれるんですよね、これ又みなさん御存じ、フライ麺とノンフライ麺とに。ざっと例をあげると「昔ながらの中華そば」「日清中華そばらうめん」「細打名人」「麺の達人」などがノンフライ、「出前一丁」「サッポロ一番」「明星 チャルメラ 」「マルタイラーメン」といった定番がフライであります。
さて方々、そっと胸に手を当て思い出して欲しい。あの時、あの夜、僕はわたしはどう決断したか。そう、そのらーめんに具を入れるか、入れまいかと。「栄養が偏るといけないから・・・」「具がないと寂しいわ・・・」それぞれの胸中と胃中を煩悶の炎が火柱を立てたのでは。そして、ふと手にした袋麺の裏側にある一文字、その一文字によって問題は終結へと一気になだれ込みませんでしたか!そうなんです、「フライ麺だらシンプルにいーこうっ」と。大体、ノンフライ系ではそのスープからしていわゆる、中華風の味わいの傾向にあることは御存じでしょう。そして麺は煮てもけっして白く濁らず、本格的な食感をもち最低でもネギだけは添えてほしいものです。ところがフライ系になりますと、やはりこれ別次元の味覚世界なんですよね。
つまるところ、あれらは「らーめんもどき」とも形容すべき一食品なのでありまして、上記にあげました品々に至っては最早、何びとも口を差しはさむ余地のない確立された独自の街道を、胸を張って堂々と邁進している次第なのであります!えー段々と力が入って来ましたところで、そろそろ今夜の主賓ともいえるこの方を紹介したいと思います。みなさん、拍手でもってお迎え下さい!

「サッポロ一番しょうゆ味」であります!この赤く縁取られたいつまでも変わらぬパッケージを知らぬ人は日本にはいないでしょう。1966年発売とありますから何と40年近くにわたって時代を歩んで来たのです。食し続けらてれきたのです。そして様々な歴史が生まれました、もちろんわたくしにもありました、そうなんです、一時期まったくサッポロ一番を食べない時代があったのです。先程にふれたノンフライ系の台頭が、彼の行く先をさえぎってしまったのだ。折しも時代はバブル、グルメやら本格派なるフレーズよろしく、高級中華なる意匠をまとった美味な新製品が続々と巷に席巻、おまけにダイエットブームに健康志向、どなたも店頭で手にした食品のカロリー表などにまじまじと目をやった覚えがあるはずです。
思えば「明星中華三昧」(1981年発売)の出現がインスタント界に新風を吹き込みました。それまでネギやキャベツ、せいぜい奮発してムハ(ハムの事)がのっけるくらいが関の山、あと卵もある。それがですよー 「豊かな香りと厚みのある深い味わいの本格的即席中華麺」なるふれこみで、一躍グルメ中華の冠を戴いて、価格も130円(現在)と若干の差異を示し、あげくには「ラーメン界の金字塔である」ときたもんだ、その高級志向は見事なまでに時代に共感したっていう次第ですわっ。わたくしも即購入、たちまちにしてその麺のシルクのごとくのどごしと、鶏ガラの風味濃厚かつ醤油の香ばしさただよう奥の深いスープにはガツンといわされました。これにはムハどころか、チャーシュウだってメンマだってのっけられる、もやしもタケノコもいや、ふかひれだっていけるに違いない。挙げくの果てには野菜や肉類などを炒めて片栗粉でとろみなどつけたり、溶き卵をまわし入れたりと、随分と具材に精を出したもんである。
そして今日、飽食の時代が去り、再び原点に帰ってきました、なんて人達けっこう多いんじゃないですかねえ。わたくしもそうでして、先日の深夜、台所の下にちょこんと鎮座しておりました、サッポロ一番を見かけるや否や、あえて何も加えずにストレートで食おうと固く決意、手鍋に張った湯の面をじっと見つめ続けたのでありました。すると何やら初心に帰った時のような殊勝な心持ちと、どこか後ろめたいほの暗い影が交叉していく自分を感じたのです。

家人が寝静まった夜更けの食卓。足音も密やかに台所の蛍光灯だけ灯し独りいただく夜食という名の儀式。決して大食にはならないけれども、いつになく味覚が鋭敏にそして「食」そのものを素直に感じる瞬間。
どことなくやるせない小さな欲望が産声を上げてような気がして、自分でも戸惑いふと我にもどる・・・.日頃のゆうげにはない不思議な時間が流れている。


一日の身につき垢をみそぎする心持ちにて
眠り入る夜
名もない境、蛇を封じる




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二夜