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川俣の県造に関係する「川俣神社」についてであるが、「延喜式神名帳」には伊勢国253座、うち鈴鹿郡19座のひとつとして川俣神社があげられている。
古代における川俣の地が不詳であったため、社名の川俣の意にかなった鈴鹿川沿岸の各所にその伝承地を生むにいたり、現在、鈴鹿の地には「川俣神社」と称する神社が次の6社ある。上流部から
(1)鈴鹿郡関町大字加太板屋5470
(2)鈴鹿市和泉町213
(3)鈴鹿市西富田町709
(4)鈴鹿市中富田町5
(5)鈴鹿市庄野町1622
(6)鈴鹿市平田町363
上記6神社の中で、川俣県造祖大比古命を祭神とする神社は、(1)の関町加太板屋にある川俣神社と(4)の鈴鹿市中富田にある川俣神社のみである。
また、関町加太板屋の川俣神社では、その昔、祖大比古命がお宮を造り神田、神戸を献上するとともに、味酒を大神に奉られたということで、現在も12月3日に味酒祭が行われている。
延喜式神名帳における当時の式内川俣神社がどこにあったかは、これまでの調査においてははっきりとしていない。
社名の「川俣」は地名によったもので、河川が分かれている所と推測とされている。
また、奉斎氏族である川俣氏族は大比古命を祖とする鈴鹿の豪族であったと見られるとともに、その本拠地は牧田郷と推定され、当時の牧田郷の所在、範囲等は明確ではないが、一応、井田川・国府の近辺と考えられている。
この井田川・国府近辺を、川俣神社の鎮座地として想定する場合、鈴鹿川の本流と第一の支流である安楽川の合流する地点であり、その地勢が川俣の意に合致すること、また古墳・遺跡の分布が最も濃密な地域で、後に國衙(朝廷の政庁)が置かれるなど早い時期から開墾された地であったことから、その環境は式内社鎮座地としてふさわしい地域であったと考えられる。
なお、郷名「英多」は、川俣県造に因んだ地名であったと見られることから、現在の亀山市川崎町付近と見られる英多郷も川俣氏族の居住地域として挙げられ、この地も鈴鹿川支流の御幣川・八島川・安楽川の合流する所で、社名の川俣の意にかなった地形といえ、一考すべき地とされている。
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