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 種まき権兵衛さんのお話を知っている方は、いますでしょうか?
 ゴンベさんはお話の中だけの人物ではなく、本当にいた江戸時代の人なのです。一番有名なのは「ゴンベが種まきゃカラスがほじくる〜♪」の唄とそれに交わるカラスとゴンベさんの心温まる物語です。しかし、それ以外にも色んな逸話、そして勇敢で心優しく秀でた才能の持ち主だったのです。そんなゴンベさんの物語をちょっとご紹介させていただきます。

  参考文献・資料
   たねまきごんべい(民話の絵本5) 小倉肇 文  さ・え・ら書房 発行 
   「町おこしのスター」 三重県立図書館情報サービスグループ
   海山町 種まき権兵衛の里
   アンド 昔近所のおじちゃんから聞いた話

 ゴンベさんのお父さん、上村兵部(うえむらひょうぶ)という人は、もともと武士だったのですが大人になった頃、侍を辞めて家来の川端左近とともに大和の国(今の奈良県)から熊野へ、そして(今の海山町の)便の山(びんのやま)にやってきました。そして、寺子屋の先生となって暮らすことになり、村人達は喜んで迎え入れ、後に村の娘と結婚をして権兵衛という子供が生まれました。
 ゴンベさんは性格は磊落(らいらく:細かな事にこだわらない)で無欲恬淡(むよくてんたん:金品、名誉などにこだわりなく、あっさりとしている事)、力はとても強く十人力だったといいます。
 お父さんに砲術(鉄砲の撃ち方)を教わり、母の田畑を手伝いながらも、お山に入って猟をしていましたが、だんだん猟のほうが面白くなりよく出かけるようになります。両親は農業に精を出してほしく、言い聞かせます。が、しかし、農家が困っていた田畑を荒らす獣を退治してからというもの村人達が大喜びしてゴンベさんを誉め称えるようになり、それを聞いた両親はしぶしぶ許すようになりました。
 ゴンベさんは近くの山での猟では物足りなくなり、だんだん山の奥へと入って狩りをするようになります。ゴンベさんの狩りの腕前はめきめき上達し誰もかなわないほどとなります。そして鉄砲の達人として諸国にまで知られるようになりました。
 お父さんの兵部は心配して、「鉄砲は困っている農家に出てくる獣を撃つだけにして、母の田畑を一生懸命手伝ってくれ。深入りはするな。」と強く念を押しますがゴンベさんは生まれつき農業が性に合わずお父さんの言いつけもあまり耳を貸さず、猟にのめり込むようになります。
 銚子川の水源地、大台ケ原のニノ俣(にのまた)〜岩井谷の深山と景勝(けいしょう)「魚飛渓(うおとびけい)」をさかのぼった又口川(またぐちがわ)の山々は、昼間でも暗い深山幽谷(しんざんゆうこく)で猪、鹿、熊、狼など獲物がおびただしく生息していてゴンベさんの活躍の場としてはまさに絶好の場所であったのです。

写真/ゴンベさんが猟をする様子(種まき権兵衛の里資料館)

 ゴンベさんの銃の腕前が諸国まで広まっていた頃、紀州のお殿様が自分の国中を観てまわっていて、ここ便の山にもおいでになった。お殿様はゴンベさんの噂を聞き、その腕前を見てみたいと便の山の銚子川下流にある宇山(うやま)と言う野山の山腹でお披露目を行なった。
 宇山の斜面に樽を転がしてそれを打てと命じられたゴンベさん。転がって来た樽にめがけて一発。「パーン!」 樽を見てみると見事、樽の真中、表と裏を打ち抜いていました。そしてまたその樽を山の上まで持っていき転がして狙います。「パーン!」轟音とともにゴンベさんの顔には確かな手ごたえが。しかし、樽を見に行った役人が「おーい。樽にはさっきの穴が一つ空いているだけだ。二発目ははずしたぞーっ!」周りの見物の人々もがっかりし、ため息をもらします。でもゴンベさんはおちついて「樽の裏をみてくれんかいー」と言った。役人が樽の裏を見ると穴が2つ空いているではないか。なんと二発目の弾は一発目の弾の空けた穴から入り、別の所から出たのであった。
 「見事じゃ!見事じゃ!」お殿様は大いに喜ばれてゴンベさんにご褒美を取らせる事にしました。「権兵衛よ。なんでも好きな褒美をやる。申してみよ。」お殿様は上機嫌で言いました。
 ゴンベさんはちょっと考えた後、「私はなにもいりません。そのかわりこの村の今年の年貢を無しにしてください。」と言いました。
 お殿様はぐぐっと険しい顔になりじっとゴンベさんをにらみつけて低い声で「本当にいらんのじゃな?」と念を押しました。ゴンベさんは「はい」と迷い無い声で答え、それを見たお殿様はそれまでの怖い顔からにっこりと笑顔になり「村の者!権兵衛というヤツはたいした男だ。皆感謝せい!今年の年貢は無しじゃ!!」
 「ワーーッ!」見物していた村人から歓声が上がりました。
 この話はすぐに諸国に広まり、より一層ゴンベさんの銃の腕前は知られることになります。

写真/ゴンベさんが使った物と同じ火縄銃(種まき権兵衛の里資料館)

 ゴンベさんは猟に夢中にはなっていたがそれでいて田畑に力を入れない事も無かった。当時、便の山はまだまだ荒れた原野がほとんどであり、その中でもゴンベさんの田畑は、まだましな田畑であった。
 だが、父、兵部が亡くなった時、ゴンベさんは父の言葉を思い返していた。「あれほど母を手伝い、田畑に専念しろといっていたのに、私はなんと親不孝者だ。」ゴンベさんは一念発起し、開墾して田畑を広げ始めた。朝から晩までせっせと働きとおし、しだいにそれが楽しみになって行くのであった。少しでも暇があれば草を刈り、田畑を耕し肥やしていった。毎日毎日仕事に精を出した結果、村一番の収穫量を誇るほどになっていた。
 そんなゴンベさんの田畑でのエピソードにカラスとのお話がある。
 お米の秋の収穫の後、刈り取られた田んぼを畑に作り変え麦を蒔くゴンベさん。ゴンベさんが一列に麦の種をまくとカラスが下りてきて食べてしまうではないか。
 それを見ていた村人が、まだまだ鍬の持ち方や種のまき方がなれておらず、へっぴり腰になっているゴンベさんを見て、当時唄われていた俗謡で、「権兵衛が種まきゃ〜カラスが〜ほじくる〜♪三度にぃ一度はぁ追はずばなるまい〜♪」とはやしたてた。しかし、ゴンベさんはそんな歌も聞こえないかのようにせっせ、せっせと種をまいていく。時折りカラスのほうを振り帰るが追い払うどころか慈愛の目で見つめるだけ。「カラスよ。お前もひもじいのだろう。たんとお食べ。」と言っているようである。
 村人はゴンベさんが父を亡くした悲しみで頭がおかしくなってしまったのではと、うわさした。
 だがこの年”飢饉(ききん)”に村は襲われてしまう。しかし、ゴンベさんの畑は充分な収穫が取れたのだった。
 それは他の村人がカラスを追い払うのに気をとられて種をまききれなかったのに対して、カラスを気にせず、どちらかというとカラスに与える分もと、よけいに多くまいていた、そしてカラスもすべて残らず種を食べてしまうわけではなく、食べ残しもありそれが立派な麦となって収穫につながったのであった。
そしてゴンベさんはその収穫した麦を飢饉に苦しんでいる村人に分け与えたのであった。村人達は反省し、同時に感心もして「権兵衛さんは猟で熊をも倒す勇者だが、同時に観音様のような慈悲深い心を持っている。」とほめたたえるのであった。

写真/当時の便の山の農家の様子(種まき権兵衛の里資料館)

 お伊勢さんから熊野に通じる道が一本通っており、熊野詣(くまのもうで)や、お伊勢参りに、そして行商の人たち、奉公に出かける人たちなど、色々な人たちがその街道を利用していた。
 その道の途中にある峠でゴンベさんの住んでいる便の山の近く、馬越峠(まごせとうげ)の天狗倉山(てんぐらさん)の山頂の岩窟(がんくつ)に数百年も生きているといわれる大蛇が住んでいて、村人やその近くを通る旅人を襲い食べているというのだ。みな怖がり、大勢で行けば大丈夫だろうと団体で街道を通り峠を越える、しかし、ふもとに下りてから人数を数えると一人、二人少なくなっているということであった。
 そこで紀州藩は木之本(現在の熊野市内)の代官所を通してゴンベさんに大蛇退治を命じた。ゴンベさんは喜んでその命令をお受けした。
 ゴンベさんは家族のみんなに「自分は長い間、猟を生業(なりわい)としてきて、熊や鹿などの大物を仕留めるのが生き甲斐でもあった。この度、殿様の命令で大蛇退治を仰せつかった。もし、万が一、命を落とすような事になっても、自分は本望だ。悔いは無い。」と言い聞かせたのであった。
 ゴンベさんは大蛇には鉛の玉では効かないのを知っていたので、五徳(コンロ)の足を欠き取って、それで鉄の弾をこしらえた。大蛇をおびき寄せる鹿笛も作った。鹿笛は手のひらに入るほどの大きさで木で出来た扁平な口とヒキガエルの革で出来ており吹くと牝鹿の鳴き声がする。猟師が鹿狩りに使う物である。
 準備万端整ってゴンベさんは大蛇の通り道で待ち構え来た所を襲う計画を立てた。魚飛の谷から三十メートルほど登ったところにある岩窟に身を潜めて大蛇が通るのを待った。この岩窟は魚飛不動尊の上にありいまでもゴンベイワヤと呼ばれている。
 しかし待てと暮らせどいっこうに訪れる気配が無い。ゴンベさんは天狗倉山に登る事にした。従者を二人連れてきたが馬越峠の茶屋に残して、「鉄砲の音が聞こえたらすぐに来い。」と言って一人で山頂に上っていった。
 ゴンベさんは大蛇の棲むと言われる穴に近づいて鹿笛を吹いた。その音におびき寄せられて大蛇が顔を出し穴からずるり、ずるりと出てきた。大蛇はゴンベさんに気付き、あごを引いたまま上体を高く持ち上げた。じっと真正面にゴンベさんを見つめる目は薄気味悪く笑っているように見えた。・・・じわじわと大蛇が近づいてくる。ゴンベさんは銃を持ったままじっとしている。もう目と鼻の先、大蛇がゴンベさんに喰らいつこうと大口を開けて飛び掛ろうとした瞬間!「バーンッ!!」ゴンベさんの銃が雷が落ちたかと思わせる銃声を天狗倉山に轟かせる。
 ゴンベさんは考えていた。大蛇の体の表面は固いうろこで守られていて鉛の玉は簡単にはじいてしまう。鉄の弾でも致命傷にはならないだろう。そこで外からダメなら中から、つまり口の中に銃口を突っ込んでそこで打てばさすがの大蛇もひとたまりも無いと思ったのだ。後ろにもんどりうって倒れる大蛇。しかし驚いた事にまだとどめにはなっておらず、ゴンベさんに向かってにじり寄ってくるではないか!数百年も生きた大蛇の執念にも似た生命力の凄さにぞっとしながらもゴンベさんはまた弾を込めた。この頃の銃は火縄銃といって一発撃って終り、次の弾を撃つには筒の中の燃えカスを銃口に口を当てて吹き出し、また火薬を詰めて弾を込める。それを熟練の技でゴンベさんは素早く終えた。身構えるゴンベさん。今度もじっくりと待った。ぐらりぐらりとなりながらも身体を立たせる大蛇。弱々しく開いた口にゴンベさんの銃口が近づいたその瞬間、「カーッ!!」大蛇が毒霧を吐いた。「うわっ!」ゴンベさんたまらず口を押さえ後ずさった。大蛇の毒霧は吸えば体の中から腐って死んでしまうと知っていたからだ。しかしうろたえてはやられてしまう。ゴンベさんはそのまま銃の引き金を引いた。「バーン!」またのけぞり倒れる大蛇。見てみるともうぐったりとしているが、まだ動いている。ゴンベさんもう一度弾を込めなおす。そして今度はゴンベさんの方から近づき大蛇の半分空いた口の中に銃を突っ込み「なむあみだぶつ」と唱えると引き金を引いた。「バーン!」 しかしまだ倒れない。それどころか弾を込めさせまいと近づいてくる。そこでゴンベさんは懐にあった「ズンベラ石」とゴンベさんが呼んでいるお守りを大蛇の額めがけて投げた。「ビシッ!」眉間に見事決まり、大蛇はまるでのたうつかのように山の崖から転げ落ちて行った。
 銃声を聞きつけて茶屋で待機していた従者が天狗倉山を駆け上っていく。途中でゴンベさんに会うが銃を杖にしていなければならないほど弱り果てていた。峠の茶屋までたどり着いた時にはもう歩けずに倒れこんでしまう。従者は茶屋で戸板を借りてゴンベさんを乗せ、家まで運んだ。村のみんなはゴンベさんの家に駆けつけて心配そうに出むかえた。ゴンベさんの身体はみるみる膨れ上がり戸口から家に入れないほどになっていたという。
ゴンベさんは2発目を打つ際に毒霧を吐かれた。大蛇の口近くにあった銃口に毒が付きそれに気付かずゴンベさんは燃えカスを吹き飛ばすのに口をつけてしまったのだ。そこから大蛇の毒を入れてしまったということであった。
 大蛇は見事撃ち倒したがゴンベさんはそれから十日程あとについに還らぬ人となった。
 村の人々はゴンベさんの勇気と優しさを後々まで伝えようと宝泉寺に墓と碑を作り、今に語り継がれている。

写真/実際にゴンベさんが持っていたもの。(種まき権兵衛の里資料館

 「権兵衛さんがー種ぇーまぁきゃあーからすーがぁほじくーるぅ、三度に一度はぁ追はずばぁなるまいー♪ズンベラ ズンベラ ズンベラ・・・」
 ゴンベさんとカラスのユーモラスな姿を村人がはやし立てる所から来たこの唄。全国でもよく知られ地元便の山地区では「権兵衛踊り」の歌ともなっています。 なぜこの唄の歌詞は全国的に知れ渡っているのでしょう? 
 ゴンベさんが種をまいている時、カラスが種をついばみます。それを見ていた村人がその唄ではやし立てています。つまりこの唄は既にこの時には出来ていたようなんですが?仮にもし即興で作ったとしたとして、この唄はなぜこんな田舎の小さな村から全国にまで知れ渡る事になってしまったのか? いろいろ疑問が出てきます。その答えのヒントが歌詞の内容にありました。
 「三度に一度は追わずばなるまい。」・・・・おかしいと思いません?ゴンベさんは3回蒔くうちに1回はカラスを追い払わねばならないという意味ですよね。でも実際ゴンベさんは追い払うどころかそっとカラスを見るだけ。・・? なぜ?こんな唄になっているのか?三度に一度は追い払っていたであろう人は村人のほうなのに? やはりこの唄には元々存在している唄があり、それの替え歌としてゴンベさんに当てて唄われた可能性が高いのではと、思いはじめました。で、調べてみました。インターネット。真偽も在りますが色んな角度から見ている方がたくさんいて中々参考になります。
 解かった事を順番はバラバラかもしれませんが書いてゆきます。(これを見て「ここちがうんじゃない?」と思われた方、ぜひご一報ください)
 時は江戸時代五代将軍綱吉候の「生類哀れみの令」(1687)から端を発します。29年間続いたこの前代未聞の法律も将軍の死とともに廃止。その間出来なかった「鷹狩り」をしたいと殿様の命令で目黒(江戸)の川井家では鷹狩の準備をはじめました。この川井家、代々「鳥見役:鷹を世話したり、狩場の管理をする仕事をお上より命じられていた役人」だったのだが、生類哀れみの令で実質廃業、お家存続の危機に立たされていたのだ。しかも30年近くお役目が無かったので誰もその技を引き継いでおらず、当時鷹狩をやっていた者は亡くなっていた。そこで四方に従者を飛ばし、鷹狩の出来る者を探させた。そして権兵衛という男を見つけ養子とし、狩場を作り始めた。権兵衛も百姓からお役人への大出世。はりきって仕事に精を出す。狩場には色々な野鳥を住まわせねばならない。そこでエサの作物の種をまいた。が、目当ての美しい鳥やキジが寄ってくるまでにカラスが先にやってきて全部平らげてしまうのだ。おこった権兵衛はまいた後、見張りをしてカラスが来ると追い払う。その甲斐あって鷹狩は見事成功、お家継続と褒美をもらうのだが、権兵衛のカラスを追う姿が街の人には面白おかしく「権兵衛が種まきゃ、カラスがほじくる、三度に一度は追はずばなるまい」と、はやしたという。この唄は江戸中に広まり、旅芸人により諸国に伝わったのだ。(逆にゴンベさんの話も芝居として少し広まったそうです。)
 で、ここ海山町(当時は相賀村便の山)の権兵衛さん、同じ名前でカラスも同じなのでこの唄が使われたようです。納得。

 ゴンベさんが亡くなったのは元文元年(1736)。八代将軍吉宗/暴れん坊将軍(笑)の頃ですね。そしてお江戸の権兵衛さんがカラスを追っていたのが1716年前後、約20年の開きがあります。ということはゴンベさんが村人にはやしたてられていた時はこの唄は今で言う流行歌みたいな物で、芝居芸人達ばかりではなく、全国的にも知られた唄だったかもしれませんね。なのでよけいに歌詞の内容もあまり替えず唄われたのでしょう。 ちなみに「ズンベラ」ですが、これはゴンベさんからのオリジナル。お守りとして肌身はなさず持っていた「ズンベラ石」から来ています。
ズンベラとはこのあたりの方言でつるっとした、とかすべすべしているとかの意味です。平坦な物ではなく、滑らかなカーブを描いているものに良く使われます。正につるんとしている丸っこい石は「ズンベラ石」なのでしょう。
この「ズンベラ」がお囃子の中にあるのは「チャンチキ、チャンチキ、チャンチキ・・・」というお囃子の音にちょうど「ズンベラ」が合うからかも知れません。
 ちょっと話がそれますがズンベラ石は不思議な石です。一説によるとゴンベさんはこの石を痛い所に当てて病気を治したりしたといわれていたり、大蛇との決闘でもこの石に隠れて(!)身を守りながら仕留めたとも言われています。また、ズンベラは「ジンバラ」(梵語で「光明」を意味する語)から来ている、ゴンベさんは実は山伏ではないか?との説まで出ています。ここまで来るとSFミステリーですが色々思いをめぐらすのにはとても楽しい想像です。
 大蛇にしてもしかり、本当に実在していたのなら凄い事ですが、実際はどうなんでしょうか?ゴンベさんが亡くなったのは12月26日、その数十日前に大蛇を倒していますがヘビが活動するにはあまりにも寒い時期ではないでしょうか?私が思うに、ヘビ顔の背丈の高い抜け忍上がりの毒矢か毒液を出す道具を使うのが得意な山賊・・・・で、性格は執念深く、誰にもわからないように人を襲うので「数百年生きたヘビの化身ではないか」と噂されていて、そして隠れ山伏のゴンベさんと一騎打ち・・・。山田風太郎の小説の様、とはいきませんがどうでしょうか。

写真/地元保存会による権兵衛踊り