フランケンシュタイン


夏を夢見る。部屋の中をしめやかにさせた陽の陰りに午後の衰退を覚えれば、うつらうつらとした意識は更に心地よく、このまま眠りに落ちていく軽やかさがかけがえのないようなものに思えてくる。が、陽射しは白雲に暫しさえぎられただけで、海水浴場を輝かせていたまばゆさは生真面目に名残りをとどめ、畳のうえに白くひろがっていた。首をゆっくり降る扇風機の微風が開け放たれた窓の外へと逃げてゆく。波の揺らぎをまだ感じているのか、頬を撫でつけるそよ風の役割を果たしながら。
夏の記憶はきらめきという目くらましによって、遠景の細やかさを屈折させ、笑顔と寝顔を混在させる。
「誰の、わたしはあなたのもとで眠ったことなんてない」
取り繕ろいの煩わしさを投げだしてみても、怯弱な神経は反射的に心持ちを縫い合わせてしまう。
楽しみにしていた海水浴から家へ帰り、畳でごろ寝しながら程よい疲労と虚脱をしみじみ味わってると、現実の太陽の下、遠浅の浜辺と白砂の醍醐味はちょうど宿題の絵日記のように、原色ながら淡いクレヨンや色えんぴつが醸す追想の素材と化すばかりであった。
「きみの寝顔とは違うよ。海遊びのうれしさに切なく目を閉じている自分の顔にさ」
窮屈な答弁はそのまま打ち捨てたいところだが、積み木に土台が必要であるごとく、これから重ねていくものの為にも言葉は記される。
去年の今頃だった、浜辺に向かう混み合った乗客のひとりがどうした加減か、列車の窓から放り出され滑りこんだトンネルの壁に激突、片腕を切断するという惨事にいたった。。真相はさだかではなかったが、幽霊話し以上に子供らを震え上がらせたことだけは間違いない。
今日父とふたりで乗り込んだ車内も大変な混雑で、空席を探し当てるのは不可能だったから車両の入り口に突っ立っているしかなかった。トンネルの位置はある駅を越えたところと噂されていたので、段々そこが近づいてくるに従い胸の動悸は速まりだした。入り口のドアの窓は風通しの為か、大きく開けられており、自分より上背のある父がドアへ寄りかかっている姿に大きな不安を感じていたのだ。
「危ないよ、もっとこっちに」
おそらく、声に出して注意を促してはいなかった。ただひたすら、それこそ祈るように内心に焦りと怖れを共振させ、列車の震動から不吉な響きを聞き取っては、片腕切断の情景を回避させようと努めていた。
どうして言葉にできなかったのだろう。他者からの非難に対しては自若として感情に抑制を効かせたふうな応酬が作動するのだが、もっとも身近な肉親に面しては、たったひとことさえ口にすることが難しかった。
あのとき、わざと風を浴びる素振りをし、父と場所を変わってもらった。いや、この行動さえ実際であったのか、遺憾ながら明確な記憶は呼び起こせない。
ともあれ、列車は夏の熱気をたっぷりはらんで、慎ましげな情熱を乗せ、無事に目的地へ到着した。
解放感をみなぎらせた波しぶきと戯れた想い出も今では曖昧である。ただ帰路を待つ間、反対側のホームにいた青年らがラジカセ片手の悪戯をしていた光景はありありと焼付いている。青年らは駅員のマイクから発せられたアナウンスを録音し、臆面もなく再生しながら愉快そうに目を細めていた。そして彼らを見つめる父の目も似たような光を放っていたのだった。
日曜の昼下がりであったと記憶している。扇風機の音だけが静かに鳴っていたのだから。相変わらず家人は誰もおらず、外の様子も休日の穏やかさに引き延ばされいた。

燦々とした西日をまとも受けながら急勾配の坂道を歩いている。待ち合わせをした女性はとうとうその場所へ来なかった。いら立ちに蝕まれるより、胸のなかが急速に冷えていく体感に支配されていた。やがて坂道をのぼりきった辺りで冷えた胸が小刻みに揺れ動きはじめ、焦燥と疑心はひとまたぎされて、激しい後悔が満ち寄せてくるのがわかった。親密さは良識的に通い合い、肉体は刹那である宿命を本能的に放擲し情熱を傾けた。結果何倍にも膨れ上がった孤独感に苛まれてしまい、短命の恋を呪いかけては苦笑いでごまかしたのだった。そうすることが一番の良薬である気がし、傷口を設ける労力を惜しんだわけである。
あの夏は軽症で済んだが、虜という磁力によってねじ伏せられているものの復権はそう容易くない。慌てても仕方あるまい、などとのんきに構えているのも結構だがなるだけ時間を計測し、ちぎれちぎれになった心身の修復をはかるべきで、完全に失われるのがこの身であっては困る。失われるもの、それは積み木細工を模倣した記憶である。どうしても印象を残存させたいのなら言葉を残しておけばいい。大変好都合な具合に印象も感動も苦渋もみんなねじ曲げてくれる。スプーン曲げより簡単に。ついでによく切れるナイフも用意しておこう。
縫い合わせは様々だ。傷んだからだと空疎なあたまを繋いでみるのも、あるいは反対に健全な肉体へ冒された頭脳をくっつけてみるのも一興だろう。
大都会のむせ返るような夏の終わりは何やら暗喩じみている、そう念じることでまとわりついた魔を払い落とした。それまでは恋に魅入られし者として当然の振る舞い、つまりスプーン曲げを演じてみるサービス精神と、情欲という得体の知れない馬力に突き動かされ、巧みに弁解を並べたてて見た。危機は同じなんだろうか、列車から放りだされた間抜けな男と同様に。
なら対処は異なるはずだ。あのときの、過大な、もしくは悪夢好みの裏返しとして去来した肉親への配慮は無言に終始したままで、方や約束を反古にされた失意は饒舌を極める。この使い分けが正しいかどうかは等閑に付させれており、更なる言葉の上塗りが妙薬みたいな効能を発揮してくれることに期待するまでだ。

身の丈ほどの雑木が必要以上にからみつく。まるで影を封じこめているかのように。抜け出た光景は水辺のきらめきであった。少女が無心で花をつんでいた。大きな影が突然現れようとも奇異な目を向けたりはしない。「わたしはマリア。一緒に遊ぶ、わたしのお花が欲しいのね。こっちがあなたの、こっちがわたしの。お船がつくれるのよ」
少女は香しい花びらをちぎっては湖に投げ入れた。いくつもいくつも。それらは小さな波紋を描いて可憐に浮かんだ。双方の笑みが時間を抜け出たとき、悲劇は発生した。モンスターの手にはもう花びらがない、間が差すより早く、笑顔のまま少女を抱き上げると水中に放り投げる。マリアは没して浮かびあがることはなかった。水辺のモンスターは嘆く暇もなくその場から立ち去った。


2013.7.29