新・探偵


出来れば259「探偵」268「続・探偵」、もしくはSTORY内「短編」の同タイトルにざっと目を通していただけるとありがたい。正統な続きものではないけれど、まるっきり無関係とも言い難くて、どうしてかというと、あなたがこちら側にいて自分がむこう側の橋から呼びかけているようなものだから、多少の意思疎通とか、了承事項の確認(そこまで面倒じゃないが)なぞ入用な気がしてこないわけでもなく、これは例えるなら、年末風習の年越しそばみたいなものであり、が、別に細く長くなんて縁起でもないし、取り立てて深意があるはずもなく、気楽に冷めないうちづるづっとすすってもらえば幸いなので、出汁に鰹節はもちろん、昆布も敷いておいたら、どうしたのやら、本来うまみ成分が交じりあって香しい味わいとなるところ、卑猥なことにその昆布の切り方が、つまり大変こころ苦しくて、気恥ずかしいけれど、女体の股間に繁茂する黒々しく、艶やかな形状となっていて、それは水だしした結果ぬめりが多いに貢献していると考えられるのだったが、自分としては毛頭そんな期待をしてそば汁を仕込んだつもりなどない、ましてなべに沈めてあった昆布が知らない間に、死せる黒衣のグリーン女史の股ぐらに張りついているなんて、夢にも思ってなかったし、斯様なリサイクル的行状にいたろうとは、いや、非日常的な按配になろうとはまったく予期できるはずもなかった。
あまつさえ真犯人の汚名を着せられ続け、不運の最期を遂げたこの女性に屈折した官能を求めようなど不届き千万、金田一探偵の名推理には感服するしかなかったけれど、三たびグリーン女史のすがたと出会うとはにわかに信じ難かった。しかし、どうやら劇中は収拾つかぬ事態に陥っているらしく、
「だいたいだよ、死人の着物のすそをめくりあげて昆布をだね、そのように扱うとはどうしたもんなんだ」
前回の役者とは違う見慣れない顔の中年男が、激昂しつつもどこかしらくすぐったそうな口ぶりで周囲にしきりに訴えている。まわりの連中にも見覚えはない、知り得るのは困惑気味の表情を浮かべ隅っこに佇んでいる金田一探偵だけである。
「あれは去年の事件でしたか」もの静かだが、腰のあるうどんみたいに芯をもった柔らかな、よく通る声が何故かしら自分の頭だけに響いてくる。おそらく、これは自分の劇中に対するわくわくした気分のなせるわざに違いない、それくらい認識できるよう。いくらなんでも思い上がりと焦燥だけで顔色は変えてはおらず、呼吸をしていない。
また、前回、前々回の失態を繰り返す懸念が相当あり、自分なりに沈着な意識は保っていて、無闇矢鱈に横やりを入れるなど大人げない行動は慎んでいたつもりだ。
さて読者諸氏に理解を促す意味で補足させてもらうと、もはや、自分はむこう側に橋渡しされているようなので、これは毎度のことでもあるのだが、今回こそ、透徹した洞察をもってことに臨もうと意気込んでいた次第であって、言わずもがな、金田一探偵に一歩もひけをとらぬという気概さえ胸裏に秘めていたのだ。結局、劇中であることの自在な不用意に甘んじており、焦りがせり出してしまい、しかも短命であるのを直感的、生理的に予測しいていたから、要は澄まし顔で成りゆきを傍観していれば、醜態をさらすなくて済むだろうし、薄ら寒い思いもしなくてよかったに違いない。
「毒殺だったのでしょう、では短剣をいっせいに投げつけた理由ですよ、あれは、つまり死後痙攣を不気味な甦生と見誤ったわけですな。警官隊のおののきも分からんではないが、早まってしまった、残酷です、冒涜です、更にこの有り様だ。わたしはそこの探偵さんに伺いたいですね、これもなんですか、古くから伝わる地唄とか、なにか由縁のある短歌とかによる、犯人の撹乱作戦というわけですかな」
まるで中年男のひとり芝居の態で台詞はよく行き渡り、他の面々は脇役というより小道具の存在と化してしまっている。増々したり顔になった男は身振り手振りも大仰に、
「あきらかにこの昆布はあるものを隠匿しておると推測されましょう、被害者には気の毒だが、犯人の意図するところは淫らで、他愛もない、児戯にも劣る、変態心理がありありと見通せます」
と、高らかに声を張り上げた。
なるほどと、自分の鼓動は強まってきた。探偵の出る幕ではない、この無名の中年男こそがこの劇の主役だのだ。金田一を脇の脇に添えることで斬新な手法とし、見るものに意外性を授ける。が、自分は慎重であった、裏の裏をかくというのもあり得るかも知れない。そこであえて探偵の表情を凝視することに専念したのだったが、困惑顔が色褪せてしまったとでもいえばいいのだろうか、微笑までにはいたらぬけれど、そのまなざしにはこれまでの名誉に相応しいひかりが備わっており、次第に隠微な面持ちへと変化してゆくのが見てとれた。
とはいえ、早鐘がつくのと意識を抑える葛藤に苛まれている自分が心地よく感じられたからには、幾ばくかの学習能力を身につけたと思われて、更なる事態を飽きずに眺めていた。もう便所に布団が敷かれている気色悪さも、這々の体で逃げ出したい恥辱を受けるはめもないだろう、肝心なのはこの演劇空間を見舞わすことでなく、もろん一点を熟視する執念でもない、それは刻一刻と経ってゆく時間をいかに見送るかに尽きよう。黙視はむしろ自尊心に似た、優雅な調べを奏でる無の音階であった、心の臓が脈打つのを数えているような限りなく無意味でありながら、至上の行為に連なる、神々しいまでの橋渡しであった。
自分の視線は探偵から逸れて、声の主にすべてを委ねるよう軽やかになった意識を向かわせると、中年男は犯行動機を理路整然と解き明かす大詰めを確信したのか、深く息を吸って浅く目もとを落とし、
「ところでグリーン女史が食べたのは、うどんでしたか、そばでしたか」そうおもむろに問うたところ、
菅井きん似の老女が「そばでございますよ」と即座に応えた。
自分はその刹那それまでの平穏な時間に亀裂が生じるのを感じざる得なくなってしまった。菅井きんはいつの間に現われたというのだ。不吉な思惑がもたげ、目が泳ぎだした頃、今度はあの真犯人であった岩下志摩似の奥さんが、
「わたしは申したはずです」とひとこと呟いた。
この場面は終わったはずだ、自分はついに我慢しきれずに劇中劇の階層を深めてしまった。
「いえ、奥さん、あなたはただ煙る線香を横顔に漂わせただけです、なにも話してはいません」
すると、あたかも自分の衝動に被さるよう金田一探偵が低い声色で言葉をつなげた。むろん知っている、探偵は自分の存在を無視、いや感じてはいない、つまりここにあり得ないことを、、、
だが、これで観念してしまえば、新探偵の面目が立たない、意味も意義も必要なかった、悪あがきだろうが、うめき声であろうがものは試しである。
「ちょっと待って下さい、グリーン女史は自分と心中しようとさえしたのでした。覚えているでしょう。昆布に毒薬が仕込まれていたなんて単純すぎるでしょうが、股間に張りつけることによってあえて他殺か自殺かの謎にしてしまった。どうです、古典的な犯行ですよ、もっとも目につきやすい箇所に凶器は転がっていた。が、その昆布を検視にまわせば一目でしょう、そこで裏の裏ですけどね。そばには天かすが入っていませんでしたか、奥さんは語らずとも自分にはそうとしか考えられない」
さきほどまで主役であった中年男、菅井きん、岩下志摩、そして金田一探偵、その他のとりまきらが、まるで夜空を彩る待望の花火を見上げるように自分のほうを振り向いた。夢なら覚めないでほしい。しかし同時に自分は悟っていた。黙って見送ればよいものを、、、またしても、、、いや悔やんだりはしていない、ただそうあるべきものが愛おしいのか、少し戸惑っただけであった。
もう目覚めだ。金田一探偵がわずかだが微笑んでくれたような気がする。菅井きんの言葉が耳もとから遠ざかるとき、これが初夢であればさぞかし愉快なのだが、そう思いつつ、しわがれた声が消え去っていった。
「あたしは見てましたけど、そばに天かすは最初から入ってはおりませんでしたよ」


2012.12.31