まんだら 第一篇〜記憶の町へ1 住み慣れたこの町を離れ専門学校のある名古屋に越してから一年目の夏は、木下富江に対して瑞々しい陽光で向かい入れた。 この正月にも一度帰省しているものの、冬着で重ねた衣服のせいなのか、直接素肌全体に光差すのを、訳ありにこばむかのようにその冷たい上空からの陽を意識することはなかった。日中は特に外出もせず姉や姪たちも生家に帰っていたこともあり、家族団らんの屋内は何の誇張もなく富江を心地よく暖めてくれたから。 あれから半年があっと云う間に過ぎ去って行ったようにも思えたのは、先ほど少し港の方を歩いてこようと思い、玄関から表に出た刹那ふとよぎった季節の推移であり、時間の変りようを劇的に知らしめた、まばゆい昼すぎの太陽の仕業であった。二日前に名古屋のアパートを後にしてから、ずっと汗がにじみだす暑さを片時も忘れさせない、この日射しは常に自分を照らし続けている、、、 この夏は例年になく七月の半ばから猛暑となり、額からしたたり落ちるほどの汗ばみにすでに慣れてしまったはずだが、今しがた軒先に臨んだ瞬間、いつも変らない陽の光はまるで不思議の国への入り口を証明せんとばかりと、見慣れた近所の意味あいをわずかなのだろうけれども、ちょうど密閉された納戸が経年によって軋みが生じ魔物じみた荘厳さで一条の光を忍び込ませるように、静かな孤立感を伴った変化をもたらしたのだった。 富江は寸秒の間、凍りついてみたが、肝試しの遊技が不気味をもって辺りを一変してしまうのと似た感覚で、もうこの家で生活してはいないすでに一人暮らしで通学している日々が、こうやって夏休みと云う郷愁を抱えているのだと想ってみれば、なるほど自分はまだ成人にはあと一年ある身分、大人への脱皮など大仰なたとえで今の得体の知れない緊縛を夢想の責任であると信じるのだった。 狭い路地を抜け川筋に出る横道へさしかかる頃には道行きながら、先の帰省の折のこと、元旦の午後親戚や家族のなかにあって、よく甘受出来ない抑制されたかの安堵に寄り添うようにしている小さなほこらみたいなものが、胸の奥底に祭ってある気持ちがして、それは去年まで養い住まわせてもらっていたこの家と両親に対する真摯な感謝であったのだろうかとぼんやりとしたまま考えながら、しかしすでに歩が進み眼前に川向うに大きな神木が表れた時には、祈祷が深い情念とともに気化してしまったのか逍遥の自然と、こころのなかに仕舞われていった。 話には聞いていたがこの川は随分と奇麗になった、小さな時分よりその流れと淀みと腐敗を見てきた富江の目に映る川水は澄みきっているほどに清冽ではなかったが、真夏の陽の下を健気に河口へとはけてゆく様は涼し気であった。 数日前から断続的な大雨が降ったせいかこの季節にしては水かさもある。今夜はこの町の港祭り、すでに魚市場では出店も準備され、手踊りやカッター競技などが催され人出でにぎわっていることだろう。 富江も宵からの花火大会に仲のよかった同級生らと連れ立って、そのお祭り気分のうちへととけ込んでいくよう、早くも浴衣の装いであった。これは名古屋の大須にある店で見立てた時代物の、白地に紺が大半を染め抜いてところどころを朱の綾が大胆に配色された、現代から眺めると古風でありながら未来的な新鮮な位相がそこに浮かびあがり、若さゆえの気概にその浴衣をまとえば、背伸びした心意気は自身の思慮をそれこそ軽く飛び越え、夜空に打ち上げられる大輪の火花となって活写されるに違いない。 わたしは水路そのものだし、まだ始まったばかりだけど、恐れや不安が宿すから大きくそこから跳躍してみることが出来ると思う、、、確かに一人で寝起きする毎日は自由で放埒な一面を獲得しているけど、その分先行きの決定がすべて自分に押し迫ってくる、、、見知らぬ土地でどこに向かへば良いのかもわからない、、、 富江は気がつくと巨大な神木の茂りの木陰に佇んでいた。物思いに耽りながらも身体は不必要なまで熱射を欲しないもの、また太陽のひりつきにも悪心などなく決して大事な隠れ蓑を剥奪したりはしないもの。 夜になれば浄化された川面に照り返すだろう火花の影、放恣なままに散花してゆく刹那の悦びの紋様は側溝を流下するだけと言えまい。 夕暮れにもまだ遠い炎天のもと、海上をなでつけた潮風が富江の鼻に少し強く匂っていった。 |
|||||||
|
|||||||