音楽のあるショートストリー 5
本木周一

モルナ

西アフリカの島、サオ・ヴィセント島のミンデロという寂れた漁村にセサリアは生まれて育った。異国に出稼ぎにでた兄弟の仕送りで腹をすかすこともなく、祖母がいつもそばにいて暮らした。歌手にあこがれた。
私にできることと言えば歌うことだけだわ。植民地のこの島は中心のエレナに酒場が数件ある。ここで歌わせてもらいチップとわずかな歌い料を得た。ビギンやコラデーラを歌った。低く柔らかい、解放感のある声で酒を飲みながら歌った。コラデーラとは対照的な哀しい響きのモルディーナも歌った。モルディーナを歌うと客は心を揺さぶられ、セシリアはこの島にはいなくてはならない存在になっていた。やがてセシリアの歌はモルナという新しい魂の歌として確立していった。セサリアはすでに47歳リスボンやパリで歌ってみたいと思っていた。無花果の実がなり、チンチロッテが囀る季節、セサリアにパリでのレコーディングの話が来た。セサリアの歌の噂を聞き、プロデューサーがやってきたのだ。
捨てるものは何もなかった。一番最初に言いたかった祖母はすでにいない。父と母に告げた。
「私、パリで勝負してみる。私の歌のスタイル、モルナが完成しているわ。これを持ってパリでやる、お金いっぱいもって帰ってくるから」
「それはチャンスっていうやつかい。お前の声と歌ならきっと成功するよ。この島で歌い続けた魂の歌だからね。売れなくてもしょげることはないぞ。みんなお前の歌をこの島の人はいつでも待ってるんだから。故郷を忘れるんじゃないぞ」
と父は言った。子供たちはもう18歳と20歳でリスボンで働いている。靴がなかった子供の頃のことも、船溜まりで遊んだことも、この村のこと、この海のこともモルナで歌いたい。
「おい、チンチロッテ、お前のことも歌うからね。私はもうおばちゃんだけど、ちょっとは人生もわかってきた。哀しいことも愛しいことも、笑っちゃうことも、噂話をすることも、囀ることもね、私に染まった生活のアカもね、全部出して歌で歌うわ。裸足で歌うからね。」
 
信吾がリスボンのアルファーマに入る界隈にある店でセサリアを見つけてから何度もセアリアの歌を聴いた。久美子にも何度も聞かせた。やがて日本のCDショップにも登場した。セサリアはパリで大成功をおさめ、ついにアメリカツアーも行った。メルギブソン、ビルゲイツ、カルバンクライン。クリントン大統領もセサリアの歌を聴いた。マドンナは泣きじゃくったという。
信吾は運命的なものを感じた。どうしてあの時、CDショップで手がセサリアの盤に伸び、視聴もできないのに買ったのだろう。
「久美子、これ君にあげる。僕はまた買うから。ずっと持っていてよ。もう会えないからな。これを聴けばオレのこと思いだすよ。きっとそうだ。お前の留学に乾杯だ。
いっぱい勉強して賢くなって帰って来いよ。お前は頑張りやだからな」
信吾は目的も計画もない男だった。しかし、いいものを見つけてくる何かを持っていた。マニアックさは微塵もない。軽やかによいものをよいと判断して見つけてくるのだった。久美子はそれを不思議だと思う。信吾はふざけて歌う。
おい、チンチロッテ、オレの大好きな人が理由あって去っていくよ。でもね、いいことなんだ。止める理由なんてなんにもオレにはないんだ。あいつはもっと勉強したいんだって。
勉強だってさ。どうしてそんなに向上心が強いんだ。
なあ、チンチロッテ、お前はどうだい。
勉強したいかい。
勉強して馬鹿になるってこともあるんだぜ。

久美子は笑って、セサリアをかけた。セサリアの歌う海は切なくて昏い。
「道を歩いたら必ず岐れ道がくるのよ。どうしようもないわ。自分で道をきめるんじゃないのよ。誰か、何かがどうぞ、って言うのよ」
「そうだな。向こう側から扉は開いてくる。そのチャンスは大事だよ」
「うん」

セサリアはよく故郷に帰る。地元の貧しい子供たちが家にきたら、必ずお金をあげる。そして酒場で歌う。明るく陽気に、昏く哀しくセシリアは人の魂を歌う。故郷では駆け巡った世界ツアーのセシリアではない。酒場歌手の裸足のセシリアだ。あの時、運命が来た。そうあれから5年。一番の財産はもっといい歌を歌えるようになったことだ。ずいぶんでぶちょにもなったもしたが。