荷坂トンネル工事事故で死んだ朝鮮人労働者の墓を
守ってきたという記事が新聞に載った。


くろしお教研 平和教育部会 レポートの抜粋          2012年1月                


2011年12月11日の南海日日に1927(昭和2)年の荷坂峠の鉄道トンネル工事
事故で3人の朝鮮人労働者が亡くなり、その人たちの墓を守ってきたという記事であった。


翌日に墓を守ってきた和手さんに墓を案内してもらった。和手さんが所有している田んぼのそば、
亡くなった労働者の一人が家族と住んでいた家のそばに墓はあった。そのは、鉄道が通っている

そばであり、名倉川橋梁から見える場所にあった。


3人の墓です


2月13日(火)放課後、数人で聞き取りに行った。
 「和手さん、旦那が小さい頃、荷坂のトンネルの工事で朝鮮の人が働きに来ていた。
ちょうど、和手さんとこが田んぼのそばに、電気の点く小屋を持っていて、水も谷からとれるので、
朝鮮の人に貸してほしいと頼まれて貸した。そこで出産もした。旦那(甚兵衛さん)が小さい頃にその子と遊んだ記憶がある。
錦への往来の道(峠)なので、錦の魚売りがよくそこを通り、火に当たっていったそうな、そうしてお礼に魚をもらったと聞いた。
昭和2年の事故だろうが、3人の朝鮮人の工事関係者が死んだ。何もないことが不憫であったから葬式を出すことになり、
朝鮮の人たちも来て、葬式を出した。
和手さんとこが自分の家の地蔵院の過去帳に「金」という名前で入れた。」という話を聞いた。
 (そこら一帯は和手さんところの先祖が開墾した土地(田んぼ)である。)

インターネットで検索したら
1928年6月5日付けの新聞から「辰羽トンネル工事」で人夫5人は生き埋めで2人が助かり、3人が不明」とあった。
和手さんの所に墓は3つで、全員が朝鮮人ということであるから、そのうちの一人が和手さんに小屋を借りていた人で
金東根氏であろう。事故にあったが助けられた2人も朝鮮人である可能性が考えられる。

 JR東海の駅にトンネルの名前を聞きに行ったが、「部外秘」で、どのトンネルが「辰羽隧道」か不明です。。

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