荷坂トンネル工事事故で死んだ朝鮮人労働者の墓を
守ってきたという記事が新聞に載った。
くろしお教研 平和教育部会 レポートの抜粋 2012年1月
2011年12月11日の南海日日に1927(昭和2)年の荷坂峠の鉄道トンネル工事
事故で3人の朝鮮人労働者が亡くなり、その人たちの墓を守ってきたという記事であった。
翌日に墓を守ってきた和手さんに墓を案内してもらった。和手さんが所有している田んぼのそば、
亡くなった労働者の一人が家族と住んでいた家のそばに墓はあった。そのは、鉄道が通っている
そばであり、名倉川橋梁から見える場所にあった。
3人の墓です
インターネットで検索したら
「1928年6月5日付けの新聞から「辰羽トンネル工事」で人夫5人は生き埋めで2人が助かり、3人が不明」とあった。
和手さんの所に墓は3つで、全員が朝鮮人ということであるから、そのうちの一人が和手さんに小屋を借りていた人で
金東根氏であろう。事故にあったが助けられた2人も朝鮮人である可能性が考えられる。
JR東海の駅にトンネルの名前を聞きに行ったが、「部外秘」で、どのトンネルが「辰羽隧道」か不明です。。