おかあさんの防空壕(ぼうくうごう)

 相賀小学校の4年生が、2003年度の夏の平和教育の取り組みで見学してきた。
3年生の国語で「ちいちゃんのかげおくり」を授業したときに、児童が「おばあちゃんの
おかあさんが防空壕を一人で掘ったよ。」と言った。その防空壕はまだあるというので、
今年の夏休みに見学した。

                    

 その防空壕は、入り口の幅は1m10pほどで、高さは170pほどあった。奥行きは、
内側で5mほどで、中は左に曲がっていた。
                 
児童のおばあさんの話
「戦争が激しくなり、相賀の上をアメリカの飛行機が10機ほどずつ飛んでいくように
なったころ(昭和18年ごろか)、お母さんは、それまでの畑に掘った小さな防空壕では
危ないと思い、家の裏の山の岩の崖を掘り出した。

                 

道具は、石のみとげんのうだけで、
ひとりではじめた。朝はやくから夜遅くまで掘っていた。掘り出した石はそのまま屋敷にまいた。
学校では、運動場にサツマイモや米を作っていた。牛も飼っていた。草履作りもした。
作業ばかりしていた。空襲警報がなると、子どもは家に帰され、解除でまた学校へ行っていた。
お母さんは、一人でもたくさん入れるように深く掘った。
頑張って掘ったのでそれほど日にちがかからずにできた。
空襲警報が鳴ると家族・近所の人がそのお母さんの防空壕に逃げ込んだ。20人は超えていた。
私の姉は東京にいたが、東京の空襲が激しくなり、家では危ないので、(むこうの)防空壕で
女の子を生んだ。その家族も疎開してきた。

このあたりには、爆弾は落ちなかったが、便の山に落とされた時は、相賀の上を回って行ったのを見た。
私は、昭和20年3月に小学校(国民学校)を卒業した。」
と話してくれた。
最後に「また、戦争はあるんかいな。」と言っていた。

                            2003年8月30日

2006年8月19日(土)フジテレビの「めざましどようび」で相賀小学校の平和学習「おかあさんの防空壕の聞き取り」が放送されました。5年生が出演してくれました。

 


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