年代 | 内 容 | 背番号 | ポジション | 打順 |
小学校 | 小学校5年の時、熊野リトルジャイアンツ創立に伴い1期生として2年間プレーする。 2大会に出場も、2つとも準優勝に終わり、県大会に出場できず。 |
3 | 一塁手・投手 | 2番 |
中学校2年 | 1年秋のチームからベンチ入り。 2年夏に熊野地区大会優勝、三重県大会優勝 (県大会は主に、ランナーコチャー) |
11 | 一塁手・投手 | |
中学校3年 | 2年秋からエース格になるも、背番号は3。 最後の夏の大会も代表決定戦で敗戦投手となる。 |
3 | 投手・一塁手 | 3番 |
高校2年 | 1年秋からベンチ入り。主に投手として出場。 秋・春ともに地区予選敗退の屈辱。 夏の大会は、3回戦で敗退も、3試合14回無失点。 |
11 | 投手 | 8番 |
高校3年 | 秋の新チームからエース格に。 練習試合も好調で県内校相手に無敗の好調で予選に入る。 地区予選は全試合コールド勝ちで県大会も四日市、三重、海星、桑名工を破り秋季県大会初優勝! 栄えある優勝投手になる(ウイニングボールを球審から頂く) センバツをかけて東海大会出場も、中京商(岐阜)に敗れセンバツをあきらめる。 夏の大会は順調に勝ち進み(志摩・宮川・伊勢・白山に勝利)準決勝へ(先発は2回戦・3回戦のみ)。 しかし、肩痛により登板できず、延長10回0−1でサヨナラスクイズで高校野球を終了。 (試合終了後30分は号泣していた) |
1 | 投手・外野手 | 8番 |
高校時代 主な対戦相手 |
天理・県岐阜商・丸亀城西・新居浜商・今治西・今治北・中京商・浜松商・東洋大姫路・田辺商 三重・海星・宇治山田商・相可など |
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大学時代 | 名古屋の某大学に進学も、野球はせず。 | |||
軟式野球 | 帰郷後、軟式野球チームに入るが、肩を壊して打者転向。 エビス・北庄クラブを経て、今は羅生門クラブに在籍。2003年度から主将になる。 今は年間5試合程度しか出場していない。 | |||
審判 | 軟野連公式審判を1999年に取得。 学童・中学軟式など年間約30試合審判として参加 |
2002年7月(第30回全国○○野球大会:甲子園球場)
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試合開始前練習 | センターオーバー2塁打 | 左の写真の続きで2塁セーフ |
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